救済と喪失 2
なんかあれよあれという間にやっぱり頭まともじゃなくなってきたので
私の好きなキリストの言葉を書く。
「だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」
ナイフや刃物や鈍器でなくとも人は傷つけられ痛みを感じているとするなら、誰もが一回は腹をぶち抜かれたり、後ろから刺されている。
それでも生きていかれるなら生きていこうよというのが私の趣旨。
私の罪は誰が許すのかはわからないけど、あなたの罪は私が許す。
例えば愛している人が大量殺人鬼だったら、あなたはその罪をゆるさない?私はわかんないけど。
そういうギリギリの攻防戦で、あなたがその罪を許せば、それは許された、他の誰が許さなくても。あなたが許さなかったら、他の誰に許されてもあなたは許さなかったことが残る。
私が愛している人のこれから犯すかもしれない罪についても最初から赦す。
そうした方が、いいような気がするからさ。生きていってほしいじゃん。「そんなことなんでもなかったんだよ」じゃなくて、クソの役にも立たない枕詞なんていらなくて、ただ「許します」と
私とあなたが違うこと、別の苦しみを持っていること、誰かのことを傷つけてしまった、もしかしたらお互いが傷つけあってしまうかもしれないこと、全部最初から許しているからいいんだ、と
そういう気持ちになることがあるよ
じゃあ自分で自分を赦せればすごく楽
それがうまくできないから苦しいけど
最終的には自分のことを赦せる日がくるといい
12月の終りも差し迫ってきて、山茶花が咲き始めた。
闇の中で、くっきり赤い 息を吸うと山茶花の匂いと、どこか知らない他人の家のお風呂の石鹸のいい匂いがする。
冬、寒くて寒くてマジで無理なんだけど(ていうか最近寒すぎると思うんだけど)
夜のなかで深呼吸すると、透明できれいな空気が肺のなかを冷たくし、私の外から見えない臓器の存在を感じさせる。
冬至も近くなった太陽の光は低いところから真直ぐ私の目を射して、とても眩しいし涙が出る。
もう年の瀬です。
救済と喪失 1
割と今日頭がまともだったんでいろんなことを考えていました。
煙草を買いに夜中コンビニに行ったら道の途中で職質された冬。人生で初めてでした(しなくてもいい経験)
おまわりさん「はーい。家出ですか?」
私「ち、ちがいます…」
おまわりさん「免許証見せて」
私「ハイ!」
おまわりさん「何してたの?」
私「煙草買いに行ったんですけど」
おまわりさん「たしかに財布とタバコしか持ってないね…」
私「ハイ!」
おまわりさん「家近いの?帰れる?めっちゃ車道に出てあぶないよ」
私「ハイ!」
おまわりさん「気をつけて帰るんだよー」
私「ハイ!」
はた目から見てもヤバかったんでしょうね、睡眠導入剤入れてから煙草ないことに気付いて外出た私が悪いなこれは
さてこのようなことをのっけから書いてるんですけど、こういう、メンタルヘルスで笑いをとることについて考えました。
共有できないこと
俗にいうメンヘラ芸について、私もやります。上記のようなことが主な例です。「こんなことやっちまった!ワハハ」みんな笑ってくれよと私は言う。
だけどこれは本当は笑いたくはないです。私は結構な勢いで睡眠薬の中毒者なんですが、それを15人いるくらいのTwitterでネタみたいに書きます。笑い話として。今日は60錠飲んじゃったよ~という話をします。笑ってくれよと思っています。面白いと思ってくれたらいいなとそのときは思います。
でもそれは違うのでした。私はそうでもしないと自分のした行為にとてつもない恐怖を感じてまともでいられないので、「そんなことは大したことじゃない」と誰かに言われたいのでした。たしかに言われたい。ウケる!と言われたらほっとします。
でも心の奥底ではそうではなく、私は必死に懺悔し、誰かに許しを求めています。
私はこんなことをした。したくなかった。誰か許してくださいと
誰か許してください。誰か助けてください。誰か救ってください。
「正解はだれも救ってくれない」です!わかるかな?
これは「誰も私のメンヘラを理解してくれない」ではないです。理解してくれる人めっちゃいます。でもこの痛みや傷や空虚さは私のものであり、誰かのものではないので、似ているというだけで誰かと同じではないです。正確には誰も私の痛みを全く同じように感じることはできない、ということです。
ここで最初のメンヘラ芸のことに戻りますが、「こういう人間です」と痛みをさらけ出すこと、「私もそうなんですよ」と同じく痛みを晒されること、これは悪いことではないと思います。
でもそこで生まれるのが、「この人は私と同じだし、私だけじゃないんだ」という気持ちです。
「メンヘラなんてみんななる、お前だけが辛い思いをしているわけではない」これもよく聞く言葉です。
なあでも、誰かが代わりにこの痛みを受けてくれるのか?
お前だけが辛い思いをしてるわけじゃない、じゃあお前の痛みは誰のものなんだ?私の痛みは誰のものなんだ?
あなたのつらさや痛みや、傷つけられたことや傷つけたことは、すべてあなたのものだ。
私の痛みも私だけのものだ。
それは共有することができない。
共有できないことの希望的側面と絶望感
なあ、じゃあこれはどこにしまえばいい?どこにオチをもってくればいい?ストーカーみたいな電話しまくってガチの拒否をされたよ。職質されたよ。薬飲みまくったよ。こんなこと本当はしたくなかった。もっと自然に愛したり愛されたり、労りあったり支え合ったり、そういうことしたかったよ。でもどうしてもそれができない。ひどい言葉を投げつけて相手が傷つくまでやって、やって、やって、やった先には同じ傷を私も負う。私のような(あくまで「ような」)人種は、とにかく人を傷つけることに関しては悪魔的な才能があります。
この空虚感を、焦燥感を、死にたいと思う気持ちを、他の誰も理解はしてくれない。1mmのずれもなく同じ感情を抱くというのは無理な話です。できない。神であってもできない。私は私であって、あなたではない。あなたの存在の代わりにはなれない。それと一緒で、だれも私の人生を代わりに生きてくれるなんてことはない。
救いを待ち続けていました。焦がれていました。いつか誰かが私を助けてくれるなんてことを考えていました。バカでした。私は寄り添うことはできるけど、人を救えるわけではないのです。逆もまたしかり、人は私にやさしく寄り添うが、お互いの空虚さを埋めることはできないのです。我々はお互い胸に空いた穴を見ることができないのです。
ここまできて結構絶望感だぜ~と思ったけどこれは希望の言葉でもあるからよく覚えていてほしい。
「君が辛いと思っていること、それはすべて君のものだ」ということ。誰にも渡すことなどできない。それこそがあなたの存在を存在たらしめているのです。みんな、そりゃそれぞれ辛いさ。人生生きてんだもん。想像もできないようなひどい目にあったりもする。
でも君はどこまでいっても「君」のものです。他の誰かと比較する必要なんてない。あなたの受けた傷は、あなただけのもので、他の誰のものでもない。
だから他人と分かり合うことなんて絶対にできない。あなたは他人のために自分のメンヘラをコンテンツとして提供するけど、それはあなたを救わない。家に帰って「私はなぜこんなメンヘラになってしまったのだろう」と過去の呪いをもう一度思い出し、自分のためだけに泣くことが、正しいことだと思っています。
世界から消えてなくなるということ
私は結構いろんな人に「死ぬのだけはやめとけ」と言います。それはなぜかというとほんとに死んでほしくないからです。
私とあなたが理解し合えないということは、つまり世界はそれだけの人数でできていて、大好きな人もいれば死んでくれ!!と唾棄すべき存在もあります。
死にたいよ~~と言われると、言われた相手は傷つきます。愛していればいるほど傷つくでしょう。
でも現実の死はそう甘くない。
もう失ったら何をしてもなにを差し出しても戻ってこない。これが現実です。
死んだらそれで終わりです。呪いがかかり、もう二度と笑ったりする権利なんかないんじゃないか?と一生後悔し続ける。
「あなたがいる世界」はその時点でおしまいになり、世界は決して連続してはいない。「あなたがいない世界」になる。
「あなたがいる世界」はもう二度と戻ってこない。
死ぬかもしれないことをイメージするだけで、だいぶ精神に来るのですが、本当に死んでしまうということは失う予感なんかよりもっとシンプルで暴力的にきます。この世のどこを探してももう君はいない。
考えるだけで辛いことです。イメージの死、想像の死はそれだけでもかなりつらい。でも現実の死というのはそれとは全く別のレイヤーで語られます。
それは予感なんていうものをぶっ飛ばしていきなり暴力的にぶつかってきます。
ああもっと優しくすればよかった、あんなこと言わなきゃよかった、なんて言ったところで何も変わったりなんてしない。戻って来られない場所、それが彼岸です。
死にてえ〜〜、私よく言う。でも死ぬよりマシだと思う。責任という言葉においては、それが一番理解できる「責任」というもの。選択の果てにわたしたちの生があり、私は自分で選んで息してる。
でもふと思うけど、それを他人に強要するのってどんなもんなんだろう?
私はあなたに死んでほしくない。無様に這いずり回ってたとえ私が見捨ててしまう側になったとしても、
生きていてほしい。生き抜いてほしい。戦ってほしい。生まれたことを選べなかった自分たちは、産んだやつの責任にしたい、ところだけど
生まれてしまったからには自分が生きなきゃいけない。人生ハードモード。
生まれたくても生まれられなかった人もいる。それに対して何をするの?とかそういうモラルの話ではないです。
生まれられなかった人、生きられなかった人の分まで生きてもその人たちの代わりにはならないし、
今リアルに感じている私たちの生の痛みは癒されたりはしない、という話。
好き好き大好き超愛してる。
この本超好きです
突然の不安感ばくはつでもどうしたらいいのかわかんなくなって泣き出して、電話してしまった。
今も心臓ばくばく言っているのをなんとか誤魔化そうとしてるけどどーにもならないかもしれない。
弱々の自律神経が…ぜんぜん自律してない。
天気が悪いのかもしれない。寒すぎ、冬かよ!!
突然訳のわからない不安や恐怖が降りかかってきて、最終的には泣き出す(泣くと多少スッキリする)、私はやっぱり好きな人に電話かけて、その頃薬でラリってるからどうしようもなく断片的な会話しかできない
何が不安なのかわかんないならできることないし、やる気もないし、どうしたらいいのかわからないしとにかく迷惑なんだよ
と、マジレスをいただいてしまった。
これはいよいよダメなやつだなと思う。もういよいよダメなやつ。私が作ったんだから私が壊さないと
「この電話で俺にすごくストレスがかかって、明日自殺したらどうも思うよ?」
「いやです」
「でもそれは逆のパターンもあって、この電話を正面から受け取らず、拒絶されたと思った私が明日自殺したらどうですか?」
命を盾にするのは嫌いだ
辛くても辛くても生きていかなければいけない。
生まれたのだから。死の情動は絶えず私を揺り動かし、そちらの世界に誘うけど、もう二度とやり直せないんだよ
そう、その人との関係も、もう二度とやり直せないんだよ。時間は巻き戻らないし、評価が変わることもない。
潮時というやつなのかもね。
私が作ったんだから、私が壊さないと
昔から私は与えられてばかりで、他人に与えることをしてこなかった。与えることができていたのかもしれないけど、自覚としてはない。人々は私に愛を与え続けている。私が愛を与えたい人間は、私からの愛を受け取ってくれない。
高校の頃、不登校でさ、男友達が毎週ジョジョを10巻くらいずつ持ってきてくれて、続きが読みたかったら学校に来なさいと言われて、そういう思い出。
彼は私のことが好きだったけど、きっともう違う場所で幸せになっている。
私は与えたい。愛情を。もっと優しくしたい。もっと優しくしたかった。こんなことをしたいわけじゃなかった。もっと別の形で渡せたらよかったのに。いつも傷つけることしかしない。
好き好き大好き超愛してる、のなかで、割愛するけどバディの女の子が死んだと聞いて、一緒に死のうと言いながら主人公は自殺しようとすると、止められる「それは一時の情熱」だということを知っているから。
愛は、とても偏る。
私人を幸せにできないどころか自分の幸せからも猛ダッシュで逃げてる
ほんとはもっと優しくしたかった。
与えたかった。
でも私の与えたい人は、私から何も欲しくない。
その人に心をあげてしまって、じゃあその心を別の人にあげればいいのかもしれないけど、それはその人のために作ったから他のには変えられない。埋葬して時が経って風化するのを待つしかないのよ。
愛して欲しい、不安だと言った時、泣いた時、大丈夫、何も不安じゃないといって、抱きしめてほしかった。
何も叶わなかった。
私はあなたの、そういう理解しようともしないところが嫌いです。
と、言った。涙が出ると楽なんだけどなかなか出てこないな
さよーならを言わなければいけない。
もうこれ以上、なんの見込みもない。遠くに行きたい。遠くで幸せに生きててほしい。ほんとうに愛していた、独りよがりだったかもしれない、
でも本当に愛してたんだよ。人の魂はその人のものだ。うまくいかない。
愛しすぎてないってことは、愛してないということなのだ。
なかなか伝わらない。私本当は誰のことも愛してないのかもしれない。感情を押し付けて
他人はただのサンドバッグか?と思う
でも誰に弁解でも弁明するつもりない、私は愛してる
私は愛してる
これを人はメンヘラと呼び境界性人格障害と呼ぶ医者も中にはいるだろう。
私は愛されたいのと同時に愛したい。与えたい。与えられない。うまく与えられない、優しくもできない。
人として生きていくのに欠けてるのかもしれない、最初から
努力はしてる 私の人生だから
傷を分かち合って、泣ける夜が来たらいいのにと思う。今まで受けて来た傷が全て溶けて無くなって、新しい生き物に生まれ変われたらいいのに。そんなものはない。だから私は今日も生きて、恥をさらし、人を傷つけ、同じくらい自分を傷つける いつか楽になれたらいい
妄想と現実の区別をつけてと言われても、私の現実はこれなんだ
今までの罪が溶けてなくなればいい もっと優しく労わりあったり、優しくしたり、自然にできるようになりたい
my three(dead end ver.)
骨の髄まで凍らせるような寒さでした
私はもうさいきん、不眠恐怖になっていて、眠れなかったらどうしよう、という焦燥感で薬爆買いして、
60確保したその日に60おわらすという暴挙
なんか気候が良くてちょっと調子がいいとかそんなレベルではない日本の秋、
my three(less and dead end)