愛の空洞

愛は底の見えない暗い穴。見つめ続けるのとても辛い、しんどい、逃げたい、愛なんてないと言った方が本当に楽
楽だね
埋めることのできない空虚さが愛なのだとしたら、結局それを隙間なく埋めることのできるものもまた愛しかない
お前愛してるんだろ?愛してるって言ったよなと自問すると、即で愛してる!と自答する。
じゃあその愛を証明しろと、百万回愛してると言ったところでそれはただの言葉だ
「愛してるなんて言うな/そんな言葉 ただの言葉なのさ/そんなに強くないぜ」


JUDE / SILVET


誓うとか言うの簡単でそれを破るのはもっと簡単で
信じるということは簡単で裏切るのはもっと簡単で
愛すると言うことは簡単で
言うだけなら 言うだけならタダ

その身をもって一生かけて戦いつづけて証明しろという
もしかしたら一生かかっても証明できないかもしれないけど挑戦しない手はない、どうしても
受けなきゃよかった傷なんてない、今のところ
旅をしている

innocent

「innocent」…無罪、無垢、純真、汚れのない

イノセントさを人はだんだん忘れていくらしい。それが大人になるってことらしい。そう聞くとなんかそれを失うことがダメだというように聞こえるけど、イノセントな魂が人生のいったい何の役に立つ?
自分の死生観や世界観を培っていく過程で、人はいろんなことを忘れ、自分が子どもだった時のことを、気持ちを、だんだん忘れて世の中に適応し、苦しいなとおもいながらもなんとか世界の一部として頑張って生きていく、そういうことしたかったよ。
自分のことばかり考えている。

純粋さ、無垢さ、そういったものは世界にとても傷つけられる。世界のすべてを自分が変えられるわけではないと気づいたとき、世界は自分にやさしくないのだと気づいたとき、私(たち)はなぜか非常に孤独を感じる。純粋さとは、高潔さとは、無垢さとは? 汚されないことはつまり適応できないということだ。
そしてそういう気持ちって大変な閉塞感につながる。それは翻れば自分は悪くないという気持ちに繋がりやすい。
この世界は私が選んだのではないし、この≪存在≫もまた私が選んだのではない。そこで受ける苦しいとか悲しいとか大変とかしんどいとか、自分を脅かす傷は自分が選んだものではない、から。
そしてその閉塞感を打ち破るほどの何かを自分は持っていないから。
そういう苦しみから解放されるためには、自らもその世界の一部だと受け入れるか、その世界から永遠におさらばするしかないんだろう。
もしかしたらすごく極端なこと言っているのかもしれない。

なんか一種のそういう閉塞感から抜け出すことができないという気持ちを抱えている人は多い気がする。

もうちょっと誰かと深くかかわりあえたら少しは楽になるんだと思うけど、誰かと深くフィットしてかかわりあうっていうのが私はあんまり得意じゃない。なぜならそういうことに傷つけられるから、自分の思ったことを言うと人は傷つくし、わからないというから。
世界に理解を求めるくせに、私は世界を理解する気がないというのはとても卑怯なことのような気がする。

抵抗することって私の人格の大部分を占めていて、それはなにか特定のものというより≪世界≫そのものへの抵抗。
私は≪世界≫を受け入れてたまるかという抵抗。思春期のような。
いくら≪世界≫が理不尽に私を傷つけても、私はそれに屈しないという、あきらめの悪さ。どうあっても私は≪世界≫を変えてみせるという気持ち。
でもまったくの他人と深くわかりあえた瞬間に私は≪世界≫のことを忘れるし、許したり、愛せたりもする。
ただそのわかりあえる他人ってあんまりそうそう出会えるものではないし、結構あっさり別れてしまったりその後何年も連絡をとらなかったりする。そのとき、私はその人のことを本当に必要とし、その人も私を本当に必要とする。何事にも代えがたい素晴らしい経験を私は何度もしているが、それってあっさり失われたり途切れたりする。
そして私はその事実にとても傷ついたり、平気で忘れたりする。
でも傷跡はちゃんと残っているから私はときどきちゃんと思い出して繰り返し傷ついてどんどん閉じていく感じがするなあ。

生まれたとき、子どもの頃、無垢な純真な汚れない魂があったとする。
でも無垢であることはもうれっきとして一つの傷だ。
魂には最初から傷がついている。

もうちょっと≪世界≫と仲良くなりて~~と思う。でもそういうものって他人を通じてしかもらえない。言葉や振る舞いによってしか繋がれない。もうちょっとなにか、理解できる「形」として残してくれりゃいいのにそううまくはいかない。
なので社会性は失いたくないな、働こう、無垢な魂がご飯用意してくれるわけじゃないし、家賃も水光熱費も払ってくれるわけじゃないのよ。
≪存在≫に意味が与えられるなんてことはないと知っているのに私はそこにあらん限りの抵抗をしている。本当の愛、本当の信頼、本当のなにか。嘘やごまかしやなんとなくじゃなくて、本当にゆるぎなく真であるなにか。
きっと見つかると信じて生きていきましょう、と私の大学の恩師は昔言った。
でもそれって躍起になって探すと見つからなくて、ふと何の気なしに目をやったときそこに見つかる。一瞬だけ。

一見正反対の、矛盾した事柄はいつも隣にいる。生と死だったり、嘘と本当だったり、愛と憎しみだったり、悲しみと喜びだったり。それこそ無垢なものとそうでないものとか。そういうものが。
割とそういう事実に直面すると混乱するので整理して反対に置いておきたいんだけど、天秤みたいにつり合いが取れる状態に。
そういうものを整理しておけるようになりたいと望む一方、整理できない自分を失いたくないとも思う。
もしかしたらその正反対の一方を通ってからじゃないと、もう一方にはたどり着けないんじゃないかなと思う。

そんな感じで苦しんでいる。

「明日はこっちも降るらしいよ」

 「明日はこっちも降るらしいよ」と彼女は言った。私はふーんとつまらなさそうに返事をした、居候として受け入れてみたはいいものの、私はまだ彼女の名前のすら知らず、また彼女のほうでも私の名前なんて知らない。それでいいんだろうなと思う。
 無職でどうしようもないから、一日だけでいいから風呂を貸してくれと言われてもう三日たった。ここ東京都足立区は空っ風が強く寒かったが、私はずっとここに住んでいるから別にどうとも思わない。彼女の方が異様に寒がっていた。
 「ふるさとには雪が降るの?」
 と私が問いかけると彼女はあーとから返事をしたままテレビから視線を動かさなかった。テレビでは全国の降雪確率が順番に流れている。
 天気予報は外れたのか当たっているのか、その日のお昼の内に雪が降り始めた。私は街灯に照らされて白く光り、さらさらと音を出して積もる雪を飽きもせずに眺めていたかったけど、彼女はそうではないらしかった。
「眩しい。眩しくて眠れないから閉めてよ」
 私は軽くため息をついてカーテンをぴたりと閉じた。「こっちは雪が少ないからはしゃいじゃう気持ちわからないかな」と彼女に言うと、彼女はもう眠り込んでいるようで小さな寝息だけが大して広くない(二人で暮らすなんて考えられないような)部屋に響いた。私は眠ることができず、時折カーテンを少しだけ空けては雪の積もって行く様を見ていた。電線に積もった雪が、重みに耐えられず地面に落ちた。明け方まで私はそうしていた。雪は降ってきているのではなく、地上のあらゆるものを空へ吸い込んでいるようにも見えた。このままだと空が落ちてくるかもしれない、と思ったところでようやく雪を眺めるのをやめて振り返ると彼女は起きていた。午前四時だった。
 出身地も名前も知らない彼女はただ「わけあって無職で」としか言わなかった。ただ雪に対する反応で、彼女が少なくとも雪の降る街で生まれたとなんとなく想像がついた。
 「雪国の生まれなの」と私が問いかけると、彼女は別段抵抗もなくあっさりと「そう」と答えた。
 「私は雪がたくさん降る場所のことを知らない。どんなところ?」
 言われて彼女は、まだ暗い朝の四時半のベッドで、故郷の話をはじめた。

 小さいころから見ていたから特別な感情なんて普段ない。寒いのは嫌で都会に出てきて、まあ種類の違う寒さにちょっとまいったけど雪の降る中外に出ているときほど痺れるような寒さはない。ちょうど五センチくらいの針が、耐えず自分の身体を刺し続けている感じ。それが私の生まれたところの寒さ。ただ家の中があったかい。外の空気を入れないようにできているからね。
 私が一番好きだったのは、裸の林檎の枝に雪が積もっている場面。…… 場面。情景? ごつごつと薄茶けてねじ曲がった林檎の枝に、白く雪がかかっている。これ以上ないほどの美しい。地面もみんな白く染まってて、タンポポだのそういうかわいい花は全部雪の下に埋まっている。
 本当に何もないんだ。そこだけ世界の終りのようだ。生きているものは、雪と私だけなんじゃないかと思うくらい、静かで、音は全部雪に吸われて消えて行ってしまう。とても死の世界が近くにある。灰色の雲から新しく雪がどんどん降ってきて、私の肩や頭にも積もって、耳が冷たくて呼吸するたびに肺が鳴る。本当になにもないところだった。喜びとか、命とかそういうものがないようだった。私は好きだった。

 新雪の上に鼻血を垂らしてしまったことがあったよ。たしか雪合戦の球が丁度鼻にぶつかって、その球がまたこれでもかというほどに固められていたから私は思いっきり鼻面を雪の球で打たれて、あっと思った瞬間には遅かった。鼻の中を生暖かい液体が伝ってくる嫌な感じがして、ぽたぽたとあっという間に三個、白い雪の上に血が滲んでいった。
血があまりにも赤くて、雪があまりにも白くて、そして自分から流れて出た血は湯気が立っていたのが気持ち悪いと思った。血は美しい形で雪の上に跡を残した。自分の手足は冷え切っているのに、身体の中だけはこんなに熱いんだ。そのとき、私は自分も周りの人間も急に恐ろしくなったことを覚えている。
 恐ろしく、不気味で、でも美しかった。本当に。なにか汚してはいけないものを汚してしまった罪悪感みたいなもの、初めてそこで知ったように思う。
 そして、採血するたびに自分の血の色のことを思った。雪の上に降ったような鮮烈な赤さではなく、身体の奥深くにはこんな赤黒い血が流れているんだと思って、そのたびなんだか嫌な気持ちだった。私の身体の血を全部抜いて、あのきれいな赤い色で満たせていたらよかったのになと。

 越えられない山があったんだ。峰が白く染まり始めると里にも雪が降る。そういう目印の山があって。子どもの頃の私はその山は越えてはいけないもので、恐れとか憧れとかそんな感傷をさしはさむ余地もなく、ただの境界線だった。
 でも大人になったら、その山を簡単に越してきてしまった(正確に言うと、新幹線でね)。ここで彼女は少し笑った。自嘲的な、鬱屈した、ひねくれたような笑い方だった。
 ああ、越えてしまえるなんて思ってすらいなかったのにな、と彼女は言った。

 雪国に戻る気はないの、と私が聞くと、彼女は今のところはないよと答えた。彼女は荷造りをしていた。荷造りをしていたと言ってもパジャマも歯ブラシもシャンプーも私の家のやつだから、彼女の持ち物はあの日新宿で出会ったときの恰好そのままで、小さな鞄一つ持つだけの簡単なものだった。
 死ぬときはどうするの、最後私は彼女に聞いた。
 「死ぬときは。――死ぬときは雪国に帰るよ。私はいろんなことがあって無職で貯金もないし、家族はいるけど金の無心をするような親不孝者だし、明日の保証もなんにもない人間なわけ。だけどせめて死ぬときくらいはあの雪の上で力尽きていたい。焼かれて灰になってしまうよりいいような気がする。清潔で。山にはカラスとか動物もたくさんいるけど、そいつらが食べればまたあの白い雪の上に赤いまだらの花が咲いて、湯気が立って、それも凍って、春になる前にすべて消えていてほしいというのが私の願い」
 「これからどこに行くの?」と私が聞くと、彼女は黙ってわからないというように首を振った。
 「私はいつか、その裸の林檎の木に積もる雪を見に行こうかな」と言うと、彼女は鞄からペンとメモ帳を取り出して、自分の実家への行き方を丁寧に書いてくれた。思ったよりも整った字だった。
 準備が終わって彼女が私の家のドアノブを回すとき、「そういえばなんて呼べばよかった?」と聞いた。彼女は振り返って少し考えてから「ぼたん」と言った。
 「じゃあ、あなたのことなんて呼べばいい」と逆に聞かれたので、私は私の本名を名乗った。「みゆき」
 ぼたんは少し考えたあと、自嘲的でも何でもなく、ただ純粋に小さく笑った。
 「いつか来なよ。――きっと美しいから、みゆき」

 それじゃありがとう、となんの感慨も名残惜しさも残さずぼたんはドアの向こうに消えていった。ふと窓の外を見るとまだ雪は降り続いていて、私は慌てて傘を持ってぼたんの跡を追おうと外を見たが、そこにはもうぼたんの姿はなかった。そういえば彼女の脚は長かった。走るのに長けていそうな。

 一人になった部屋で考える。ぼたんのこれからのこととか私のこれからのこととか考えても仕方ないことを。さらさらと降り続ける雪をぼたんも見ているはずで、明日の朝になれば積もった雪は水交じりの泥になって、車がそれを跳ね上げる。テレビは同じ言葉を繰り返していた。「東京都でも雪は続くようです。明日の降雪確率は50%。傘が必須の天気となります。」明日になればどうせ消えてしまうのになぜ、今雪は降らなければいけないのかなと私は考えていた。答えはいつまでもわからなかった。

sketch 32

高いビルの上についているあの、赤い色のランプが好きだ。
夜の中で明滅する赤い光。

33歳の知り合いのお父様が亡くなられたそうな。
時間は待ってはくれない。生きている意味を感じなければ、どうやって生きていっていいのかわからない
傍にいたかった。
でもそれはできなかった。

光について Ⅱ

結局ぼくたちが光について言えることなんていくつあるのだろう。
「君はぼくの光だ。」なんていう、ただ恥ずかしいだけでもはや古代のものとなった定型文を、最初に考えついた人間にノーベル文学賞のひとつでもくれてやりたい気持ちになる。そうしてそんな言葉を簡単に使うやつらを全員裁いてやりたい。もうこの言葉は余りに使い古されすぎた。言おうと思えばいくらでも、誰にだって言える。

光について考えることは、愛について考えるのに似ている。

光はいつもそこにある。ただある。それが何なのかぼくたちは一つも考えない。朝になれば自然と世界には光があふれ、夜はまぶしいライトの下でいつまでも眠らない。愛もそうだ。自然といつでもそこにある。でも実体はない。かたちもない。それをつかまえることはできない。ぼくたちがそれをつかまえようとすれば、それはいつでも指の間をすり抜けていく。でも確かにここにはある。なくなっちまえと思ってもたしかにここにはある。夜のうちにも太陽がどこかで照っているように、星が燃えているように。

ぼくは本当に君の夢を見た。
たくさんの光の中で君が笑っている夢を見た。
その夢を見たあとで、ぼくはずいぶん長い間たくさん泣いた。なぜならそれは確かに純粋に夢で、現実ではなかった。ぼくは現実で君がそんな風に笑っているのをみたことはなかったし、現実で君をそんな風に笑わせてあげることはできなかった。

光について考えることは、君について考えるのに似ている。

報われない愛をきっかけに地球が全部爆発して消えてしまうとしても、固い愛の結び目をほどくためにぼくはここにいた。
どんなに厳しい夜が来ようとも、ぼくがじっと留まっていても、閉ざしたカーテンの向こうにはやがて新しい朝が来てそこにはまた新しい光があふれ、人々はそれぞれどこかに向かう。
ぼくはそれにとても救われるし、とても傷つけられる。
どんなに固く閉ざした悲しみのなかにも、少しの隙間があれば光は浸食して、やがてそれをきれいさっぱり癒してしまう。
ぼくはそれにとても救われるし、とても傷つけられる。
ぼくは光から逃げることができない。実体もない、かたちもない、つかまえることができない、だからぼくはどこまで行っても光からのがれることはできない。どんなに悲しいことがあっても、君がいなくなってしまっても、たくさんのものを失ってそれが二度ともどってこないとしても、ぼくは光だけは失うことができない。

光とはいったいなんなんだろう?
結局のところぼくにはわからない。ぼくが光について言えることはそれだけだ。

新世界より

世界は一つしかない。世界はたくさんある。
多元宇宙とかそういう科学的な話ではなく、主観の話。
私の世界は私にとって一つしかない。私の見ている・感じている世界は一つだけなんだけど、
他の人にもこれは言える。なぜなら私はその人とは違う個体だから、その人の見ている「世界」を共有することができない。
え?でも世界って共通認識できる現実としてそこにあるじゃん?
というのとはまた別の話で、認識できる世界の周りに人それぞれの世界観が膜を張っている言えばわかりやすいだろうか。
そう、私の世界はシャボン玉の膜で、つつけばもろく崩れる結構弱いものなのだ。だから簡単に、知らない間に他人の世界観に生きることにもなってしまう。
世間ではそれを「大人になる」と呼んでいる。
それ自体悪いことなんかじゃなくて、脈々と続く命の連なりを考えればむしろ歓迎すべきことだ。家には家の「世界」がある。その中で過ごすことは、人間がこれからも生きていくことに多分多大な貢献をしている。

トンネルを抜けると雪国だということはわかっていた。
だから別段驚きもしなかったけど、いつみても家の屋根がそろって真っ白、というのは美しい光景だと思う。
冬の日はもう低く柔らかく家々を照らしている。山の雪と、屋根の雪と、夕日に照らされた家の壁。あっという間に後ろへ通り過ぎてしまう景色を私はとても好きだった。

真冬の夜空、ベランダに出て上を見上げると、私をめがけて雪が降ってくる。私は雪に吸い込まれていくような感じがする。さらさら、と雪と雪がぶつかり合う音がして、それ以外は全くの無音だ。寒くて仕方ない。呼吸するたび耳が痛くなる。
でも息を吸うと冷たくて透明な空気が肺を満たして気持ちがよかった。

多分創世記は神様だからできたのであって、人間である私がそれをするのは非常な困難をともなうだろう。
現に28歳になっても、欠片すらつくれてはいない。
でも私は結構マジで創世記を行わなければいけない。何故ならそうしないと、生きていけないからだ。
物語を作るということは、生きていくということの芯にとっても近い。
だからこそマグダラちゃんは物語を作り、それを人に届けている。それはだれかのなにかのためではなく、全く個人的な行為で、マグダラちゃん自身のための行為だ。
実際マグダラちゃんが港区のキレーなクリニックかなんかで受付をやっている普通の社会人だとしてもそれはいい。
マグダラちゃんの物語が重要なのだ。星にAIを増やした結果人類は衰退し、愛する人の死から立ち直れないまま自分の脳をAIに移して永遠の命を手に入れる。そしてその星で一人ぼっちになってもずっと生きながらえているというマグダラちゃんの作った世界。
世界の物語が重要なのであって、そこにマグダラちゃんの生が刻み込まれている。
何億個もある銀河系の内、太陽を中心に回る地球という星にその呼びかけが天文学的確率で届き、それを聞いた人々がパズルをするようにマグダラちゃんの物語のピースを埋めていく。
マグダラちゃんのためだけの世界は、私の世界と重なり合って、そこに微妙に違う色彩が流れる。
完全な理解などというものはない。

重要なのは、世界を作ることなのだ。何度も言うけど。
だから私も私の創成期をしないといけない。一からきちんと、世界を立て直さないと、他人の作った世界の中で生きてしまうことになる。
大変にむずかしいことで、結構私は積み木を積んだ傍から足を引っかけて倒していっているが、もう少し、あと少しは考えたい。
その目に見つめられると、少し怖い。
もし私が死んだら、この目をあげよう。どんな風に見えるんだろう。
すこしでも美しい世界であることを望んでいる。君が気に入る世界だとなおいい。