sketch 41
あっという間に冬になりそうです。
また一つ歳をとりました。昔は思い描いていた「大人」からはかけ離れた人間になっています。
寒いといろいろ辛いよね。
私は寒い時期にいろんな悪いことが重なって、あんまり冬にいい印象がないので春になるまで冬眠していたいです。
いつまでたっても色あせない、とけることのない呪い。
寒くなっていいのは、星空がきれいに見えることです。
もっと山の方にいけば満天の星空を見ることができるんだろうけど、さすがに夜道の車の運転しかも山、はハードルが高いのでだめです。
オリオン座がはっきり見えます。痛いほどに寒いです。
光が降ってくるイメージがあります。
何枚かのガラスを通して、やわらかくにぶくなった光が降り注いでくるイメージ。
そういう日がくればいいのになあと思っています。
なにか赦しのようなものを与えられる日。
私はいつだって待ってばかりいます。
うーん、最近は手に職つけるためにコーディングの勉強を始めました。
在宅で働けるようになるのが目標です。何年かかるかわからないな……。
日があっという間に落ちるようになってきました。
山の稜線が光って、空は薄い水色からオレンジのグラデーションに染まります。
自然というものをもっと感じられるようになれたら、私は自らの「存在」を少し手放せるようになるのかもしれません。
自分の「存在」にしがみついていると、けっこう苦しいことばかりです。
今世ではできるだけ徳を積んで、来世は絶対草になりたいです。
sketch 40
「死をしめだすのは一回きりの行為ではあり得ない。ぼくたちの意識はつねに死に侵されようとしているので、ぼくたちはそれをしめだしつづけなければならない。たえざるたたかいが必要なのだ。
たたかいにつかれたぼくらが矛盾のない平和な眠りとしての死の魅惑をはげしく感じる時、生命が死の本能(フロイト)を持っているというのが真実のように思われてくる。
無機物が生命を獲得した時に大きな緊張が生じ、生命体はたえずその緊張からのがれて無機物にかえろうとする傾向をもつ。これが、粗雑な説明だが、死の本能の源であると言われている。この仮説を認めるならば、人間もまた死の魅惑からのがれられないのだろうか?」
「しかし、死の魅惑が生物学的な本能だとしても、死が具体的にぼくたちに力を及ぼすのは矛盾に満ちた社会的現実の中でであり、死の魅惑はそこからの出口としての魅惑である。
つまり、死のもつ意味は決して〈生物学的〉ではあり得ない。死の魅惑の力は歴史的現実にからみあわせて測られる。しばしば甘美なのは死の観念であり、現実の死は多くみじめだ。
そのうえ、ぼくたちの社会は決して正当化され得ない数知れぬ死を含んでいる。そしてみずから意識しているかどうかは別として、そのような死のうえにあぐらをかいて温和な微笑をうかべている人間もいる。
ぼくらはナメられているわけにはいかない。たたかいをはじめなければならない。」
(渡辺武信「風の中から 書くことの位置づけの試み」)
死の観念というのは本当に美しく、魅惑的で、それはオフィーリアの絵が美しいのと同じ理由だ。
死は夢とロマンにあふれている。
なぜ死がそこまで美しく思えるかと言えば、それは「想像の彼岸」に行くことだから。
私たちが憧れ求めやまないものはいつでも彼岸にあり、それは手の届かないところにあるからとても美しい。
死も愛も、友情も永遠も、奇跡も楽園も、すべて私たちの手の届かないところで美しく輝いている。
私たちは星をつかむことはできない。そしてあの星に降り立つこともできない。
彼岸の誘惑というのはとても強く、はげしく、私は一生目を覚ますことなく眠り続けたい。
理由のない激しい怒りの感情にとても疲弊している。何にこんなにイライラしているのかわからないけれど本当はわかっている。
血のつながった人間を無条件に愛せるかと言えばそうじゃないことだって往々にある。距離をとってはじめて愛しあえる人間だっている。
私の考える「愛」と他人の考える「愛」は時折すれ違いを見せる。私の求めるものと相手の与えるものが違うことだってある。
何をこんなにイライラしているのかよくわからない、わかっている、わからない。言葉にして決定的に壊してしまう前に離れなければいけないと強く思う。
私の人生は闘争続きだ、「私」と闘っている、社会的な私、正しい私と闘っている。
私はいつも社会的な言葉を代弁している「私」がいるので、社会的に正しくないことを許さない、まあつまり社会と闘っているということになるのか。
だれも私を責めていないし、誰も私を殺しはしないけれど、私はいつも私を責める社会とか私を殺す誰かと闘っているような気がする。だれもそんなことしないのに。
私が死を夢見るときは、遠い遠い憧れとともにこの世界からの逃避を夢見ているのだ。
二度と戻ってこられない彼岸への旅を夢見ている。
両親に愛されていることを知っているけど、私のなかを通り抜けていくだけなんだなあ。褒められても怒られても、私のなかを通り抜けていくだけなんだなあ。おいしいものを食べても、友達とカラオケに行っても、楽しくおしゃべりしても、私のなかを通り抜けていくだけなんだなあ。私のなかには決定的になにかが足りないような気がとってもした。私は一枚の透明な板でしかない。
とても苦しい、でもこの苦しみがなにかを生み出すと信じていないと、私が信じていないとどうしようもなくなってしまう。
無意味に生を享受することになってしまう。意味の病にかかっているから、なにもないということには耐えられそうもない。戦いの日々を続けています。
3歩進まず50歩下がる
お久しぶりです。近況を書く書くと言いつつ全然書いていません。
お友達に手紙を書く書く言って全然書けていません。何書いていいのかわかりません。
人生にドラマはありません。
とても安定した生活を送っています、朝起きてご飯を食べ、掃除をして好きなことをして、薬を正しく飲んで眠るという。
本当に普通の生活を送っています。
なので報告というほどの報告もないのです。
私は薬物中毒から抜け出すために実家に戻ることを選択したのですが、
たまにそれを後悔するときがあります。
このまま私はずっとここにいて、一人で立ち上がることもできずになあなあに生きて死んでいくのかなと思うと非常に怖くなります。
なので早く元気になって、またなんとかして職を得て、東京に戻りて~~みたいなことばっかり思っています。
ただ今の生活は一人で全部やらなくていいのでそこは非常に楽です。
ありがたみを感じます。
私はこの町で生きていくという決心はまだつきません。
私の人生は私だけのものであり、代わりに誰かが生きてくれるわけではないので、私が選ばなければ。
母はとても悲しいと言うし、この家に一生縛り付けておこうとする意志をガンガン感じるのですが。
人は元来孤独にできているのだと思います。
私は私のために他人を犠牲にしてしまうことを厭わない人間だと自覚しました。
夢をみるのをやめろ、これ私のここ5~6年ずっとずっと言われ続けてきたキーワードなんですけど、
それを言われるたびに私には反骨心のようなものがぶわっと沸き起こります。
夢を見ているわけではないです。夢をかなえようとしているというだけです。
現実見られないわけじゃないです。可能性を見ているだけです。
でもそう語るには実績と信頼を少しずつ積み重ねていかないといけないんだなあと思っています。
なので今その作業を一つずつやっています。
マイスリーのことはいまだに夢に見ます。
病院に間に合わなくてものすごい焦る夢とかも見ます。
私に残された時間がどのくらいあるのか、自分ではわかりません。
でもできることからやっていくしかないと自分に言い聞かせます。
たまに、いつもの穴の存在を感じます。
奈落の底を。
つまんない話になっちゃったけど、そんな感じで日々を生きています。
sketch 39
お久しぶりです。近況はまた別に書きます。生きています。生きているのでまだマシです。
たまに突然ものすごく会いたくなります
人は声から忘れていく、とどこかのなにかで読みました
とても好きだった声が、たしかに思い出せなくなっている
私はこのままどこにいくのか、とても不安になる夜、出されることのない手紙を何枚も書き、今日も大事に引き出しにしまう
燃やすこともできない想いは身体の隅々を駆け巡り、私の胸は苦しくなる
美しい思い出は苦しい、今でも生々しい傷跡が癒えることなく私の中に横たわり、色鮮やかに赤く蘇る
胸の真ん中に穴をあけたまま、
たぶんこれからも生きていくのだろうな
悲しみを笑い飛ばせ、私は旅をしている
sketch 38
本当はとても辛かった。
報われない想いや、伝わらない気持ちや、間違えてしまったことや、伝えきれなかった、あるいは歪んで伝わってしまったこと、あなたが私と違うこと、別の気持ちを持っていること、社会、世界、吹く風、夏草、遮断機の音、一人でいること、夜、孤独、くる朝、なにもかも、あらゆるものに、傷ついて
平気な顔をしていたが
誰のせいでもなかったから
本当はとてもつらかった
sketch 37
地元に帰る前にTHE PINBALLSライブいくことにしました!
やったー!楽しんでいこうと思います。
最後の楽しみ。
最近WOMCADOLEが再結成したみたいですね!
めっちゃ苦しい歌だけどとても好きです
「自転車のライトが消えて何も見えない
早くこの場所から/逃げ出したいな/出られるかな
君の場所目指した/世界の終りの日にも
僕は走りながら言う 歌おうか
そこで泣いてる君に 聞こえるかな
教えてくれよ/教えて」
仕事行かないでダラダラしていると気が狂いそうになります。
先輩が言っていた「そりまちは愛される才能があるよ」
友達が言っていた「そりまちさんは海を抱えているようなものだから」
不安なことたくさんある、身体の機能がぶっ壊れたみたいに突然泣き出してしまう。
休みが必要だ(ユニコーン)
ラブストーリー大賞に出すためにラブストリーを書いているんですが、つっまんねえなやっぱラブストリーは向いてないなと思いつつも、書いているうちにだんだんん面白くなってきたからこのまま進めていこうと思います。まず、間に合うのか。
そのあとは日大文芸の章に出す小説を書こうと思っています。
不労所得がほしい。
散歩していたりすると、ふと思い出の場所に出会ったりする。
10年間いろんなことあって、もう十分傷ついて傷つけたから、少し休もうと思っています。
といっても簡単なバイトくらいはしよう……
悲しみが押し寄せて涙になって流れて、また引いて、また打ち寄せて、
「私の目の後ろには海がある。だから私はそれを全部泣いてしまわないといけない」
うろ覚えだけど、好きな詩。
私の中に広い海があって、悲しみの海があって、とりあえず誰かにそばにいてほしいと願っています。死んだ方がマシだと思うし、
生きてても負債を重ねていくだけで、うまくいかないことばかりで、不安でどうしようもなくて笑うことも出来なくて、
季節を感じることもできない。
それでも神様、明日も生きていかれますように。