死者と眠る(running home)

電車を乗り継いで祖母の家まで到着した頃、金木犀のいい香りがしていた。薄曇りの秋の午後だった。

荼毘に付される一日前、私と祖母と母で、祖父の寝ている部屋で一緒に眠った。
死者と眠ると、不思議な感覚を覚える。隣の人は生きている。反対隣の人は死んでいる。死んで、固く冷たくなっている。
生きていることとと死んでいることと、そうたいした差はないのかもしれない、そういう気分になった。
だが実際そこには超えることのできない高い壁が立ちはだかっている。
私は生きていた。
祖父は死んでいた。
言葉にすればただこれだけのことが、世界をいくらひっくり返しても変わりようのない真実だ。
世界はこんなにも広く、まだ誰も到達したことのない未開の地もたくさん眠っている。
宇宙には今日も恒星が輝き、彼らは近づくことも離れることもできない。
間を行く流星は、一時の旅人で、もう二度と会うことなんてない。
世界はこんなに広いのに、もうどこを探してもじいちゃんはいない。

火葬場で、機械に乗って運ばれて炉に入れられて、その扉が閉まるとき、
「これで本当に最後なんだ」と姉が言い、私の手を強く握る。私もそう思い、強く強く握り返す。
葬式中泣き通しだった私とは違い、気丈に振る舞っていた姉はここで初めて涙をこぼす。
ドライアイスを抱きしめ眠っていたじいちゃんはひんやりしているが、これから肉も髪も、骨以外の組織をほとんど残さずじいちゃんは業火に焼かれ、これで肉体を持つじいちゃんの姿を見るのは最後だ。
焼いてなんてほしくない、と私は駆けよりそうになるのを必死で抑えていた、焼いてなんてほしくない。
やめて!
あの温かくて、優しくて、大きな塊を、そんなところで焼いてなんてほしくない!

火葬の間私は一人外に出て煙を眺めていたが、施設も気を使っているのだろう、ほとんど煙らしきものは見当たらなかった、
ただ世界が一気に寂しく思えた。みんなが知らなさすぎるだけなのかもしれない。私が知りすぎているだけなのかもしれない。この世の誰にも癒すことのできない世界のさみしさを知った。
大好きなじいちゃんだった。寡黙で、ひょうきんで、優しく、いつも優しく笑っていた。晩年のじいちゃんはその淋しさからか、施設へ見舞いに行けば必ず泣いた。じいちゃんが泣いたのを見たのは後にも先にもその一回だった。
もう声も出なくなって、それでも喉の奥から私の名前を呼んで泣いた。

死者と眠ったその夜、安置されているじいちゃんの死体を、私はこっそり抱きしめてみた。冷たかった。
大好きだった手を握ってみた。ドライアイスを持ち続けていたせいでもう皮がべろべろに剥けていた。
人ひとりの魂がもうこの世のどこにもいないということは、悲しい、切ないことだ。
生きていればまた会えるかもしれない。
でも死はそう甘くはない。

とりあえず明日から私は日常に戻り、仕事をし、帰宅して眠る、この繰り返しの中に入っていく。
死者と眠っている間、死者は死者としてきちんとそこにいた。起き上がったり動いたり、息を吹き返したりなんてしなかった。
生きている私は寝がえりをうち、夜中に何度か目を覚ましながら、その長い夜を終えた。
私の姉のお腹の中にいる子どもは、きっとかわいい女の子だろう。
なんとなくそんな気がする。
そしてじいちゃんはその子を守ってくれるだろう。
そういう気がする。

私が左利きなのは、じいちゃんが左利きだったからだ。
たくさんのものを、くれた。
ただ私は今、寂しい。さみしくてたまらない。
少し眠ろうと思う。疲れているし。
明日になったらまた全然別の世界が私を待っている。システマチックな、商業の世界だ。
そこにダイブしてしまう前に、ゆっくりと休んでおこうとそう思った。

なんか思い出したようにボン・イヴェールを聞いている。「for Emma, forever ago」を。
静かな音楽がいい。今は。