sketch 16

明日から11月!

「そういう運命だったんだよ」って言葉を聞くたびに思う
「運命」っていう言葉って多分、誰かが何かを諦めるときに自分を納得させるためにつかう言葉だということ
最初からそういう風に世界はできていて、そういう風に決められていて、だから仕方のないことだったんだと
私はそうは思わない、と心のなかでひそかに「運命」という言葉に、そういう概念に中指を立てている
人生には選べる道がたくさんあって、でもそれ以外に選べないこともあって、たまに道は一つしかないこともあって、
理不尽なことや不条理なことや、納得のいかない理由で人が死んだり悲しんだりする
そういうとき誰かが、「それは運命だったんだよ」って言って、納得できるか?
もしそれが本当に運命なら私はそれを憎む
いつかすべてが消える。私の命も消える。私の愛する誰かの命も消える。
でもそれは別に運命とは関係ない
私の前に広大な草原や、あるいは水平線の見えないほどの海が広がっていて
私は路地のどこで曲がってもよくて、仕事をさぼって電車で遠くにいってみたりしてもいい
極論死んでみたっていい
でも、それはべつに「運命」じゃない。
私が愛したこと、愛されたこと、誰かの胸に抱かれて眠っていたこと、安心したこと、優しくされたこと、与えられたこと
私が傷つけたこと、損なわれるほどに傷つけたこと、逆に傷つけられたこと、私が与えたすべてのもの
それは、私が、選んできたことであって、運命ではない。
捨てられたことも捨てたことも、みっともなく追いすがって泣いたことも、冷たい言葉を吐いて再起不能にになるほど傷つけたこと
これはすべて、私のものだ。だれのものでもない。
「それが運命だったんだよ」という言葉は光より早く私の胸を貫く。
そうやって私を納得させ、前に進ませようとする。
でも私は「運命」を信じない 運はいいけど
傷ついたことも傷つけられたことも愛したことも愛されたことも捨てたことも捨てられたこともすべて、
すべて私が選んだ。すべて私のものだ。
それがどんな罪であろうと対する罰がなかろうと、そういってもなお愛してくれる人がいるとしても、
それすら私は全部自分で選んできた。他人に強制されたことなんて一度だってない。
笑ったことも、涙を流したことも、怒ったことも、悲しみが胸に詰まって息ができないときも、毎日ぼんやりとした抑うつ状態に身を置きながら会社に行くことも、転職することも、親元を離れ生活していることも、誰かを傷つけてしまったことも、捨ててしまったことも、失くしてしまったことも、全部、全部だ。私が選んだ。
これから私が何一つ成し遂げることなく一生を終えようとするときも、たぶん私はこれを自分が選んだと、胸を張って死にたい。
すべてがもう最初から決められている「運命」だというのなら、私はそれにバーカ!と叫びながら走り続ける。
私達は「偶然」、「運命的」に、「会えた」んじゃなくて、
私は最初から君をずっと探していて、そうして選んで、選んで、やっと出会えて、そしてまた別れる

私は確かに与えられていた。たくさんのものを与えられていた。
そしておそらく私も与えていた。愛や、憎しみや、苦しみや、悲しみや、優しさを与えていた。
運命が追ってこられない場所まで私は走って逃げるのだ。
光よりも早く。