イノセント

冬の新宿駅は人でごった返していた。夜だった。これだけの人間がいるのにもかかわらず、夜風は寒く開けたシャツのボタンから容赦なく私の体を切って行った。コートも重いだけで防寒にそれほど貢献していない。私は人の間を縫うように早足で歩いた。

目の前のカップルが肩を寄せ合って腕を組んで歩いているのを見て、反射的に蹴飛ばしそうになった。が、それは言ってみればらうらやましいの延長線上の行為で、私はその時好きな人のことを考えていた。

美しい、愛、やさしさ、体温、冬は愚かだ。寒いというだけで誰かを抱きしめる口実ができる。私にはそんな口実は必要ないと言えども、たまに抗いがたいほどの羨ましさを感じた。抱きしめて欲しい。でもそれは不特定多数のだれかではなく、私の場合は相手が決まっていて、それはつまり私の今の好きな人で、多分都内で今も働いていて、私のことを好きではない、そう、だから私を抱きしめる腕はどこにもなかった。

永遠は手の届かないところにある。

永遠は手に入らない。永遠の愛とか永遠の幸福とか、そんなものは、ない。

ただひとつ永遠と呼んで差し支えないものといえば、それは「死」だけだ。

私は走り出しそうになる。

もうとにかく今すぐ会いたくて会いたくて、なんでかわかんないけどそのひとじゃないとダメだ、という状態が5年くらい続いていて、私はもう潮時だなと冷静に考える頭の反対側で、どうしても会いたい。

一昨年の1月末、まだ付き合っていた頃。

私の方が起きるのが早いから、10分くらいずっとその寝顔を見ていた。とにかく毎日でも会いに行きたい!レベルで連絡を取り合っていたから、きっと自分の時間なんてぜんぜんとれなかったんだろう。タオルを目に巻いて苦しそうに眠っていた、私はそれを自分のせいだと思った。

人は言う「お前の恋愛って中学生がやるやつだよ」

人は言う「よく考えてみればその男そんなにいい男ではないから」

人は言う「もっと周りに目を向けたら、次に突然好きになる人が現れるかもしれない」

すべて正しい。私は理解している。

でもこの、心の底から湧き上がるような感情はなんなんだろう。

タオルで隠れる目を避けながら私はその人の顔にキスをした。頬に、唇に、指先に、タオルをめくって、閉じられていたそのまぶたに。鼻先に。

やがていやいや起こされた彼はそれでも私の方に向かって手を広げる。私はそこに滑り込むようにして抱きしめられる。抱きしめられたその腕の強さを、私がすぐに忘れてしまったとしても。

「もう準備して会社行かなきゃならない。」

でも思うんだが、その一瞬の行為の中に私は永遠を見ていた。世の恋人達もそう、世界は自分たちのために回っていると思っている。私もそうだった。広げられた手、あの一瞬だけは世界が私のものだった。

実らない恋を力技で推し進めることに未来なんてないことは知ってはいた。

私はそれを十分すぎるくらい知っていた。

でも私が欲しいのは瞬間であり永遠だった。ふれていること、肌の感じ、閉じられたまぶたの先の長い睫毛、高い鼻、特徴的な声。その瞬間をぎゅっと凝縮して私の中にひとつ美しいナイフができる、それは人を傷付けない。ただのメタファーだ。愛というのは永遠からは程遠い。

愛は瞬間で、すぐに通り過ぎて行き、私の魂にたくさんの傷をつけ、でもその人が生きていればと思えば思うほど、私もなんか生きていけそうな気がしてくるのだ。

私にとってはそういうものだ。

思考のトンネルを抜けたら雪国ではなく、相変わらず高いビルとたくさんの人で私は家に帰り着くことだけを考えることにした。

神様は言った。

「そんな話はどこにだってよくある」 私が返事をする前に、神様は雑踏に揉まれて消えていった。でも神様、私は確かに一瞬の中に永遠を見ていた。見ていた。見ていた。

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