ユートピアはいつでもハレのちユーフォリア

何度他人の信頼を裏切ってきたら気が済むのかと思う。私の行動は他人の信頼を裏切る。私の頭は私の心を裏切り、私の心は私の身体を裏切り、私の身体は私の感情を裏切り続けている。
「結局のところ、あなたはあまりに強い光で、私は哀れな蛾だ。自分が焼き焦がされて死ぬとわかっているのに、近づかないわけにはいかない」
私はとっても橋をかけようと頑張っている。河を渡ろうと頑張っている。山に登ろうと頑張っている。
今日、院長に言われてうれしかったのは、「僕たちが目指そうとしているのは結局深く自分を信じられるようになることで、自分の行動に信頼が持てれば他者評価に依存しなくてもやっていけるじゃない」。
何がうれしかったかと言うと、私個人の問題であるとするのではなく、「僕たち」と言ってくれたこと。
深い恐怖や怯えや淋しさが私を苦しめるが、痛みや傷を抱えずに生きている人間はいないのだと思った。

ベートーベンの「悲しみから歓喜へ」という言葉を、武者小路実篤は「悲しみを貫いて歓喜へ」と直した、と昔教えてもらった。
深い悲しみを通して私は喜びを見つけ出せると、なぜか、信じている。心の底から何かを信じるとか、リスペクトするとか、愛するとか、そういうこともしかしたらなかったのかもしれない。でも私はいつも希望を信じることを捨てることはできない。この世のどこかに愛や真実や希望が転がっているということを信じてやまない。