ユートピアのユーフォリア

ユートピアユーフォリア

普通に分割しないと長すぎるので、続きを読むボタンをつけました。
文フリに出そうと思っていたのですが、次いつ参加できるかわかんないのでここに置いておく。。。
本にできても無配にするかプラスアルファしようと思います。





   1


 澄み切った夏の青い空をセストラルの大群が音もなく飛んでいく。おそらくこれから彼らは大量のアビタ人を殺しに行くんだろうな、と私は考える。セストラルは頭のいい狂った世界中の科学者たちが改良に改良を重ねて作った最新のステルス機で、まったく目に見えなければ音もしない。ただどうしてかはわからないけれどそれらは必ず空に綺麗な飛行機雲をつくる。だから一般人はみんな飛行機雲を見るとセストラルが飛んでるんだな、とわかる。そして今日はアビタ人が何人死んで、地球人が何人死ぬのか考えるんだろう。そして死に行く地球人の中に、自分の愛する人はいないか心配するんだろう。
 そんな中で私は八万円の入った財布を落としたことによってあることに気づかされる。この世にユートピアなど存在しない。そんな簡単なことに気付いたときには私はすでに二十七歳になっていた。遅すぎる。
 今まさに宇宙人と殺るか殺られるかの戦いを繰り広げようとしている人たちのはるか真下で私は暢気に八万円のことを考えている。だけど私にとってそれは重大なことで、私はもう家賃を三か月も滞納しているので大家に強制退去させられそうになっていてとにかく一か月分だけ払うから待ってくれと土下座せんばかりの勢いで大家に頼み込んで、それでやっとかき集めた八万円だったのだ。空から謎の宇宙人が降ってきて突然地球連合軍と戦争を始めたからと言って、世の中の仕組みがコペルニクス的転回みたいにがらっと変わってしまうわけではない。家賃も電気水道ガス代もちゃんとある。家賃収入だけで食いながら出来の悪い店子を追い出そうとする大家のような人間もいれば、私のようなフリーター歴五年の人間もちゃんといる。
 八万円を集めるにあたって、私はステルス機のくせに飛行機雲出しちゃうようなあのアホなセストラルを作る軍需工場でなんて死んでも働きたくなかった。だから方々つてを回りに回って、駐車場の警備をしたり、工事現場で赤くて光る棒を一晩中振り続けたり、昼間は公園で空き缶を集めまくって市役所で換金したりもした。私のようなプロのフリーターにとって昼間の仕事はもう軍需工場以外ないに等しい。まっとうな会社はもうまっとうな人間しか雇わない。夜だって仕事の八割は軍需工場の夜勤かソープ嬢だ。この世はますますまともな人間にやさしくなり、私のようなアホに厳しい世界になりつつある。それでも私はなんとか食いつないでいる。つい先日友人のつてで花屋で働かせてもらえることになったばかりなのだ。アルバイトでも昼間まともな仕事をさせてもらえるこの幸運、こんなところで家を追い出されているわけにはいかない。私は私の人生を生き切らなければならない。お空の向こうにはアビタ人に粉砕される将来有望な若者たちが多くいるのだ。

 ところでなぜアビタ人が突如地球を襲いに舞い降りたのか、それは本当のところは誰にもわかっていなかった。いやもしかしたら一部の上流階級には知らされているのかもしれなかったけど、少なくとも私たちのような一般市民にその理由はまったくわからなかった。
 ある日突然光の筋と共にアビタ人の大群が同時多発的に空から舞い降りてきて、わけのわからないまま地球人は粉砕されていった。アビタ人はその言葉どおり地球人を「粉砕」する。アビタ人の武器は私たち地球人を直径二センチ程度の角砂糖に変えてしまう。こんな酷いことってあるだろうか。粉砕された人間は骨も残らず、角砂糖の山になって地球に降ってくるだけだ。遺族には、その小さな角砂糖が渡される。これが勇敢な誰々だったんですよという言葉と共に。私の友人の未知は三年前恋人を戦争にとられ、その恋人は死んで角砂糖になって帰って来て、未知は巾着袋にその角砂糖をぎゅうぎゅうに詰めて首からいつもぶら下げていた。未知は去年の暮れにその角砂糖を食べたあとに部屋で首をつって死んだ。突然恋人を奪われ挙句の果てに角砂糖に変えられるような不条理な世界に耐え切れなくなった、と遺書にはあった。
 そりゃそうだろう、と私は思う。
 兵隊にとられるのはすべて男だ。ある日突然お腹の内側が光りはじめて、まるで点きっぱなしで消えなくなった懐中電灯を埋め込まれたようになる。それが「しるし」と呼ばれる現象で、そうなった男は問答無用で戦争に駆り出される。一回「しるし」の出た男を間近で見たことがあるけど、驚異の人間蛍って感じだった。男たちはみんなその「しるし」がいつ出るのか、それを恐れながら生きている。
 そしてその「しるし」を神聖なものとして見て勝手に宗教を立ち上げる人間もいた。地球人のなかにはアビタ人の余りの恐ろしさにその宗教にすがってしまうやつも結構いるにはいて、その宗教は地球上でかなり規模を増しつつある。信者は圧倒的に男が多い。そりゃそうだよねいきなりわけわかんないまま腹の中が光りはじめて、あまりに強い光だから暗い所ではお腹の中身とか骨とかちょっと透けて見えるくらいだ。そんな状態になってわけわかんない戦争に駆り出されて角砂糖に変えられる悲劇を考えたら、そういうものにすがってしまうのも仕方のないことなのかなと思うこともある。

 アホなセストラルたちが白い飛行機雲を引きながら空を飛んでいる下で、私は勾配のきつい坂を汗をかきながら登っていた。今持っている八万円はどうしたかというと、もと恋人に借りたのだ。私は貴重な八万円の入ったバッグを抱えるようにして前を急ぐ。一秒でも早く、大家に家賃を払っておきたい。
 もと恋人の泰幸に会うのは実に一年ぶりくらいだった。会うにあたって会いたい、ということとその理由を書いたメールを泰幸に送ったが、そのときの私の気持ちはずいぶん情けないものだった。なにが楽しくて別れた男に金を借りにいかねばならないのだろう。しかも私フリーター向こうは会社員。彼が今も会社勤めを続けていればの話だが。宛先不明で戻ってくるだろうと思っていたメールはしかしちゃんと泰幸のもとに届いて、そして「いいよ。どこで会う?」という短い文章を載せて私のもとへ届いた。
 そのとき私は、ああ泰幸はまだ兵隊にとられていなかったのだ、と一瞬思った。私のなかにまだこんな気持ちが残っていることに少し驚いた。そうしてそのあとすぐに思う。そうだよな、私は随分泰幸のこと好きだったし。友人の加奈子の兄は戦争初期に兵隊にとられて、いまだに行方が分かっていない。未だにどこかでセストラルに乗るかあるいは歩兵としてアビタ人をぶっ殺しているのかもしれないし、逆にもうすでに角砂糖に変えられてしまっているのかもしれない。おそらく後者の方が確率は上だろうと思う。だけどなんの知らせもないまま、戦争だけが続いてもう三年になる。そもそも国から渡された角砂糖がほんとうに自分の愛する人なのかどうかさえ私たちに確かめる術はないのだ。沙織は弟も恋人も兵隊にとられて二人とも結局角砂糖になって帰って来た。矢野なんて付き合う人付き合う人三人も兵隊にとられている。そんな状況を考えると泰幸がいつ兵隊にとられて角砂糖に変えられてしまってもおかしくない。非現実的な戦争はしかし現実として私たちの日常に迫っているのだ。それでもみんな明日があると思って生きている。
 立川にある西東京基地から飛び立つセストラルは、ひっかき傷のような無数の白い線を空に残しながら飛んでいく。私はそれを見てああ今日の戦闘はかなり大規模なんだなと思う。この戦争においては女はいつも残される側で、若い男たちが次々戦争にとられていくせいで出生率がかなり下がっている。男の子を産んだお母さんたちは、こんな戦争早く終わらせてほしいと市民活動に精を出す人も少なくない。残していく方が悲しいのか残されていく方が悲しいのか私にはわからない。私は女だから、戦争に行かされて角砂糖にされる心配は今のところないけれど、でもそれだっていつまで続くのかはわからない。身体の中が急に光り出す「しるし」という現象の原因はいまだはっきりとは解明されていないし、今は女がそうなった事例がないというだけで、もしかしたら私が栄光の女兵士第一号となって地球のために角砂糖と散る日がくるかもしれない。それを考えると私は恐怖する。震える。そんなのは嫌だ、と思う。でも男たちは毎日この恐怖と戦っている。男性の自殺率もこの数年で一気に跳ね上がった。だんだんといろんなものが壊れてきている。

 ところでそんな極悪非道なアビタ人たちがどんな姿をしているかというと、実を言えば地球人とあまり変わらない外見をしている。ふつうの地球人と変わらない。でも決定的な違いが地球人とアビタ人との間にはちゃんとある。
 まず我々地球人には腕が二本なんだけど、アビタ人には腕が三本あった。そしてその三本目の腕は頭のてっぺんから生えている。頭頂部から突き出た第三の手。そしてアビタ人はみんな揃って白い髪をしている。それが地球人との違いだ。でも噂によると小賢しいアビタ人たちは頭頂部の腕をわざわざ切り落とし、髪を染めて地球人そっくりな姿で攻撃してくることを覚えたらしい。アビタ人たちは腕一本切り落とせばいいだろうけど、私たちは頭頂部に腕を生やすことなんてできない。このだまし討ち戦法で先日オーストラリアの小隊が一個全滅したとニュースでやっていた。私たちはさらにアビタ人への憎しみを強く、強くしていく。
 もう一つ、アホなセストラル共が暢気に飛行機雲を描きながら空を飛べる理由も、アビタ人の特徴と関係している。アビタ人には「白」という色が見えない。そう思うと真っ白なアビタ人の髪の毛を彼らはどう認識しているのか疑問も出てくるが、とにかくアビタ人は「白」を認識できないということしかわかっていない。だから白い飛行機雲をいくら残しても平気なのだ。彼らには見えない。服屋はどこも今では白がバカ売れで、もうずっとトレンドのまんまだ。かくいう私も白い Tシャツだのカットソーだの何着も持っている。
 そしてその白をイメージカラーとした宗教「ユートピアユーフォリア」が、述べたとおり世間でははやり始めている。彼らは「しるし」の出た人間を神に選ばれたものとしてあがめ、角砂糖に変えられた人間は身体のレベルでそうなっただけで精神は次の高次元の幸福なユートピアに行ったのだとか平気でのたまう。アビタ人は神の使いで、彼らの目的は私たち低次の人間という存在を、より高次な世界へと連れていくことであると言う。彼らのシンボルマークは大きな手のひらで、それはもちろんアビタ人の三本目の手を表している。日本にも数えるだけで八十二個、「ユートピアユーフォリア支部がある。
 でもそういうとんでも思考を、特に愛する人が角砂糖になってしまった人々は喜んで信じる。だってただわけわからないまま戦争に行って帰って来たと思ったらおいしくて甘い角砂糖に変えられてました、なんて救いがなさすぎるからだ。だったらまだそのとんでもない宗教にすがってた方がまだ救いがある。私の知ってるだけでも、美奈子のお母さんは美奈子の兄、つまり自分の息子が角砂糖になって帰って来た二日後には入信した。高校の頃の同級生だった松本は弟がいるのだが、その弟が戦争に取られてからは一気に家族で入信し、今は残った兄の松本が「しるし」を受けないように必死で祈っているらしい。おかしくないか? 「しるし」が出てアビタ人に粉砕された人間は幸福でその精神は今頃ユートピアにいるはずなのに、今でも松本と松本のお父さんとお母さんは、松本が戦争に行かないように、角砂糖になんて変えられないように必死で祈っている。大きな矛盾だ。でも宗教なんてどこも結局大きな矛盾をはらんでいる。欧米だって日本だって、神の名のもとに侵略戦争を起こしたりしてきた。
 解っているだけでも、私の周りだけでもこんなに多くの人間がアビタ人に「粉砕」されている。
 話は戻るけど、泰幸だっていつそうなってしまうかなんてわからない。泰幸だけじゃない、もしかしたら私もいつそんなことになってしまうかわからないのだ。


   2


 約束の時間の十分前に待ち合せの喫茶店に来て、少し早かったかなと思いながら見回すともう泰幸はそこにいた。「早いね、暇なの?」と聞くと「一体何やってんだよ」と泰幸は言う。言葉は怒っていたけど顔は笑っていた。約一年も喋っちゃいなかったのに、私たちはいとも簡単に昔のままに戻る。私はそれがうれしいしなんだか複雑な気分もした。私たちはもう道を分かち別々の場所に向かっていたはずなんだけどなあと思う。
「まだ戦争行ってなかったんだ」と私が言うと、泰幸は微妙な顔をした。
「行ってほしいの」
「まさか」
 そう言ったとき丁度店員が注文を取りに来る。「あ、とりあえずアイスコーヒー」とりあえずって何だ、ビールかよ。そう思いながら泰幸のほうを振り返ると泰幸は何も変わってなかった。とりあえず一年前のまんまだった。一年前と同じ顔をして泰幸はそこに座っていた。
「まだ勤めてんの、会社」
「そうじゃなかったらあなたに突然八万も貸せねーだろ」
「そうですね、ほんとすいません」
 本当に申し訳ない気持ちは持っているので私はとりあえず謝る。
「そっちは、まだフリーター?」
「そうだよ、でも一週間後から花屋でアルバイト」私は片手でピースサインを作る。
「おっ、よかったじゃん」
 私は自分の幸福について少し話す。本当によかったなにより運がよかった。友達の先輩が花屋の店長をしていて、ちょうど人手が足りなかったところを友達が私を推薦してくれたのだ。まともな人間をほしがる世の中はだんだん壊れてきているのでまともな人間かどうかを判断する材料もだんだん少なくなってきている。そういうとき信頼できる人間からの推薦というのは意外と大きな効果を出す。私はそうやって八万稼ぐためにいろんな仕事を探した。持つべきものは友人だと言うが本当にそうだなと私はしみじみ思う。
「泰幸もよかったね、とりあえず無事」
 そう言うと泰幸はやっぱり微妙な顔をした。
「ほんとに、毎日気が気じゃないよ、いつ自分の身体が光り出すのかと思えば」
 こうしている間にも閉鎖地区での白兵戦では若者たちがつぎつぎ角砂糖に変えられている。もしくは自動小銃でめちゃくちゃにアビタ人を惨殺している。殺したくも殺されたくもない普通の市民たちは、殺すか殺されなきゃ終わらない仕組みのなかに次々放り込まれている。
「最近明らかになって来たらしいね、『しるし』の原理、っていうか原因? 寄生虫みたいなもんらしいね」
「は? 寄生虫?」
「そう、寄生虫みたいな、まあ虫じゃないらしいんだけどなんかそういうのが体内の遺伝子と結合して光るらしい」
「それ男だけに反応すんの?」
「そうだよ、染色体に反応してんだって、いつから身体んなかにいたのかとかなんで今なのかとか、説明よくわかんなかったけど。新聞に書いてあった」
 へーそうなんだ、と私は返す。「あ、そういえば宗教施設逃げ込んだアビタ人がいろいろしゃべってるらしいね」
「どこまでほんとかわかんねーけどな、あいつら言葉しゃべれんの?」
 最近静岡にある「ユートピアユーフォリア」の御殿場支部に一人のアビタ人が逃げ込んで来た。そのアビタ人はどうやらこの戦争から逃げて、つまり地球人側に寝返って来たらしく、「ユートピアユーフォリア」の御殿場支部の大友支部長は協議の結果そのアビタ人を施設で保護することに決めたと発表した。武器も敵意も持っていないようだし、なによりそのアビタ人の第三の手は骨とかバキバキに折れているらしく腕がいろんな方向に曲がっていて親指と人差し指はすでになくなっていて、手のひらはズタズタに切り裂かれていたらしい。そのアビタ人が何語をしゃべるのか、どう意思疎通しているのかは公開されないのでよくわからないが、どうやら第三の手をちょん切って行われるだまし討ち戦法はアビタ人のなかでもかなりひどい戦法らしくそこには重罪人が使われているのだという。彼らは使い捨てだ。それくらいアビタ人の中では第三の手は大切なものらしく、へー手が三本あればPSPやりながらポテチ食えんじゃんとか意味わかんないこと考えてた私からするとちょっとびっくりしたのを覚えている。
「アビタ人が突然地球侵略してきた理由とかもちょっとずつわかってきてるらしいね。アビタ人て女いないから地球の男全員殺して成り代わって子孫繁栄させようとしてるとか聞いた」
「それが本当だったら最悪だよな」
 そりゃ地球の女からしてみても最悪で、私だったらやっぱり地球人の男と子どもつくって幸せに生きていきたいと思う。訳の分からない手の三本ある異星人愛してみろって言われたって普通に無理だ。
 そして私はなんとなく、やっぱり自分は随分泰幸のことを好きだったなと思い出す。私が二十五のときに泰幸と付き合い始めてだいたい一年くらい付き合っていた。付き合った当時泰幸は二十九歳だったからたぶん今は三十一歳だ。泰幸と結婚するってことを想像したことももちろん何回もあった。もしかしたら私泰幸のこともっともっと大切にすればよかったのかなと思う。別れて一年も経てばだんだんそういう後悔とか悲しい気持ちは薄れていく。別れた当時も、たしか何度も思った。もっと泰幸のこと大事にしてあげればよかった、と。でもそういうのってだいたい気づいたときには遅すぎる類の感情だ。
 でも泰幸のこともっともっと大事にしてればもしかしたら今頃私は泰幸の子ども産んでたかもしれない。
 わけのわからないアビタ人と交配させられて妊娠するくらいなら、泰幸が戦争行って角砂糖になって帰って来て子どもを一人で育て上げることになってもそっちのほうがはるかにマシだ。
 やっぱり私自分のことしか考えてない。私はすぐにそう思いなおす。
「いまいる会社に年が近い束田ってやつがいるんだけど」
 泰幸はそこで一口アイスコーヒーを飲む。あれそういえば私のまだ来てない。
「束田ついに『しるし』出ちゃって、戦争行ったのがだいたい二か月前で、二週間前に角砂糖んなって帰ってきたんだよ。そしたら束田の奥さん発狂しちゃって、部屋グチャグチャに壊して薬大量に飲んで自殺しようとして、今入院してるから会社の人たちで代わりばんこで様子見に行ったりしてんだ。そういうの見ると俺やっぱ許せないと思うし、早く終わればいいと思うよ、戦争」
 うん、と私は答える。夏の真っ青な空にセストラル飛んでる、飛行機雲きれいとかつい思っちゃったりするけれど、そういう悲劇は私たちのすぐ裏側について回っている。というか後ろから追いかけられている。今は二十代から三十代を中心に出ている「しるし」はやがて上は七十代、下は十代以下にも多く出るようになって私のお父さんとかも戦争に行くことになるかもしれない。というかアビタ人の目的が本当に地球人の男を根絶やしにすることなら、近い将来必ずそれはやってくるだろう。現実に最年少で「しるし」が出ちゃった男の子はアメリカ人で、八歳だった。彼もまた問答無用で戦争に引っ張り出された。神様に慈悲なんてないと私は強く感じたことを覚えている。
 泰幸が戦争に行って角砂糖に変えられちゃったらやっぱり私は悲しいだろう。
 一年前別れの間際、私は長いフリーター生活にだんだん心身のバランスを崩し始めていて、心療内科に通って毎晩薬を飲んで眠っていた。泰幸は三回目の転職をしようとしていていろいろと余裕がなかった。泰幸は私より年上でちゃんとした職についていたから私に弱音を吐いたり愚痴を言ったりすることはぜんぜんなかったけど、いま思えばきっと泰幸は誰かに甘えたかったんだろう。私は泰幸にもっと甘えてほしかったけど、でも現実的に泰幸を甘えさせてあげられる余裕なんてなかったし、泰幸は泰幸で毎晩毎晩泣きながら眠れない私を支えてる余裕なんてなかった。
やっぱ私もっと泰幸のこと大切にすればよかったのかな、と思う。
 自分の悲しみとか苦しみとか考えてばっかりいないで、泰幸の悲しみとか苦しみとかもっと考えてあげればよかったな、と思う。
「でも俺、束田見てて代わりに俺が戦争行ってやればよかったと思ったよ。俺には奥さんとかまだいないし、あんなになってまで悲しむ人そんないないし、周りの奴らどんどん戦争行って帰ってこなくて、俺このまんまここでのんびり仕事しながら生きてていいのかって思うとき、正直ある」
泰幸は微妙な顔のままそうつぶやく。私は反射的に首を振る。
「え、やだそんなの私泰幸に戦争行ってほしくない」
「なんで」
「なんでって……普通いやでしょそんなの、悲しいよ」
 そう言うと泰幸は黙ってしまう。
 私たちは当時いろんな約束をして、カラオケ行こうとかディズニー行こうとかアレしようコレしよう食べよう見に行こうとか、そういうことをよく言っていた。でも気づいたらそれは何一つ叶えられないままに私たちは別れてしまっていた。中高生やカップルたちが大好きなディズニーのある舞浜はもうすでに閉鎖地区になっていて、地上に舞い降りたアビタ人を囲い込んで閉じ込めてそこで白兵戦を行っている。人のいなくなったディズニーランドの園内にいったいどれだけの角砂糖が転がっているんだろうか。

「ほれ」
 そう言って泰幸は銀行の袋に入った八万円を私に差し出した。
「返さなくていいから」
 今度は落とすなよ、と泰幸は言う。
「返すよ、もうバイト始まるしすぐたまるって」
 そう言うと泰幸は苦笑しながら首を振った。「いいって」
「やだってば」
 返すという口実があれば泰幸にもう一度会えるかもしれない、私はそう思っていた。別にヨリを戻したいとかそういうことを考えていたわけじゃなくて、いつ会えなくなるか本当にわからないのだ、いまこの世界にあっては。もしかしたら明日泰幸の身体が神秘的に、しかし強く光りはじめるかもしれない。そうなったら多分私たちはもう二度と会えない。もうあの頃みたいに身体を焦がして内側から溶かすような強烈な「好き」ではなくても、恋ではなくても、私はやっぱり泰幸のことを変わらず大事だと思う。泰幸に幸せになってほしいと思う。またこうやってなんとなく二人でお茶を飲めたらどんなに素敵だろうかと思う。
 結局私のアイスコーヒーはいつまで経っても来なくて、泰幸が店員を呼んで持ってきてもらう。泰幸のアイスコーヒーはもうとっくに空になっているけど、泰幸は私が飲み終わるのを嫌そうでもなくのんびり話をしながら待っていてくれる。
「泰幸、戦争なんていかないでね」
 そう言うと泰幸は「そんなん言ったって、わかんないよそればっかりは」と言いかけて黙る。私があんまり真剣に心配そうな顔で泰幸のこと見ていたからだろう。そして泰幸は頷いて言う。「うん、俺戦争行きたくないし、行かないから大丈夫だよ」


   3


 花なんて余剰品に金を落とす人間がいるということを僚子さんは大変にありがたがる。花なんて生活の必需品でもなんでもないのに、まだ買う人間がいるということは、この逼迫した世界のなかに少しはゆとりがあるということの証でもあった。
 店長の僚子さんは三十五歳で、痩せていて背中の半分くらいまである茶色い髪はだいぶ傷んでいる。肌は焼けていて、仕事のため手は荒れていた。言葉遣いはどこか子どもっぽくてそのせいかなんとなく元ヤンっぽく見える。だけど彼女は十九のときにはもうすでに花屋で働いていて、かれこれ十年以上花の仕入れと売値のことを考えて生きてきたという。話してみるとすごくしっかりしていて私は最初そのギャップに驚く。
「このご時世にまだ花を買う主婦がいるっていうことに私はすごく驚くしものすごく感謝してる」
 ある日の閉店後、次の日に売るための花を束にしてセロハンで巻いてバケツに入れていくという作業をしている私に僚子さんはそう言った。確かにそうで、もっともっと日常が抜き差しならない状況になれば、みんな花なんて買ってる場合じゃなくなるだろう。「最終的には葬式用の花専門になって、それもできなくなったら花屋は終わりかな」と、僚子さんは続けて言う。いつの世も人が死ぬのは変わらない。落ち続ける出生率の果てに新しく生まれてくる命がひとつもなくなったとしても、生きている人間は死に続ける。それはとても暗い話のはずが、僚子さんの口調のせいかあんまり暗くは響かなかった。
 小さいこの店は僚子さんが十九のときから働いていた店の支店みたいなもので、その店をまかされたとき僚子さんは丁度今の私と同じ年だったという。店には私以外にアルバイトの女の人が二人いて、三十歳のしのぶさんと三十五歳の荻野さん。しのぶさんは僚子さんと同じく二十歳くらいからずっと花屋で働いていた。荻野さんは花屋で働く前は証券会社で事務系の仕事をしてて、いわゆるOLさんだった。
 すごいなあ世の中にはいろんな人がいるなあとバカな感想を漏らす私は二十七歳で社会経験はほぼゼロだった。でも二人ともびっくりするくらい優しいし、こんなフリーターにも丁寧に仕事を教えてくれる。おかげで私は一か月くらいで簡単な花束なら一人で作れるようになる。
 僚子さんにはケンジくんという恋人がいて、ケンジくんは私と同じ二十七歳だった。ケンジくんは商社の営業マンをしながらも、たまに僚子さんの仕事も手伝いにくる。花の競りの日には僚子さんのためにトラックを運転して市場まで行ったり、閉店後の店舗にひょっこり顔を出して、二人で帰っていったりもする。
 僚子さんはそのちょっと子どもっぽい喋り方で、「ケン、今日のごはんはケンが作ってよお」といったりする。そういうときケンジくんは仕方ねーな、という顔をして、頷く。そういうのを見ていると私はちょっと胸が詰まって苦しくなる。あんまりにも二人が幸せそうなのですごくうらやましくなるし、すごく嬉しくもなる。こういった日常的な幸せがここに存在しているということにわけもなく嬉しくなる。ともすればめちゃくちゃに暗くなりそうになる、世界人類の危機のなかでもささやかな灯りは存在している。
 そんなささかな幸せをぶちやぶってくれるのが、一週間に一度くる大口商品を買っていく三十代半ばくらいのお姉さんだった。
 白いカサブランカ、どでかい蘭の鉢植え、観葉植物、予算三万円の大きな大きな花束。それらがそのお姉さんの注文の多くだった。
 何度も来るお得意のお客様はいい意味であっても悪い意味であってもなにかしらのあだ名がつけられるんだけど、その人に対してついたあだ名は「未亡人」だった。
 たしかに未亡人っぽく見える。なんか着物かなんかを着て畳の部屋にいそうな顔をしている。顔はかなり整っていてきれいなタイプで、眉がきりっとしていて濃く、目がちょっとたれ目なところが和で未亡人な雰囲気をかもしだしているのだろう。
 毎週毎週高い花を買っていくそのお姉さんは店にとってはなかなかいいお客さんなんだけど、私はどうしてもその人を好きになれなかった。なぜならそのお姉さんは「ユートピアユーフォリア」の信者だった。
 高額な花を買ったあとかならずお姉さんは領収書をきっていくのだが、その宛名が「ユートピアユーフォリア」で、最初それを聞いて私は驚いてしまった。
 こんな近くに信者がいた! そういう気持ちだったのだ。
 思い返せば語った通り私の友人にもその家族にも信者はいたのだが、こういう生活レベルで顔を合わせる人間ははじめてだった。彼らは昔の友人とかもう滅多に会わない人間で、現実的な姿かたちをもった「信者」ってそういえば私初めて見た。
「未亡人、今日もいっぱい買ってったねえ」
 しのぶさんがある日のんびりとした口調でそう言った。
「あ、あのひとやっぱ信者なんですか」
 私がそう言うと、しのぶさんは笑いながら「そっかそっか知らなかったかー」と言う。
 しのぶさんは慣れてるのかそれとも偏見なんてないのか、ニコニコしながら店に置いてある花の図鑑をめくりつづけている。「たぶん市川支部の人じゃないかな」
 市川支部って言ったら千葉県内でもかなりの大きさの支部で、信者を百人以上は抱えている。そりゃいろいろご入用だよな、花とか特に。花なんて余剰品、という僚子さんの言葉を思い出す。余剰品があるってことはそこが潤ってて安全で憩える場所だということだ。そんな中でこの店は安さが売りで、ギリギリの売値で僚子さんは頑張っていて、正直同じ花でも他の店の半値で買える。お得意様になるのも頷ける話だった。
「しのぶさんは、こう、怖かったりしないんですか」
 しのぶさんは図鑑から目を上げて答える。「ぜんぜん」
「怖いの?」
 としのぶさんんが今度は私に聞いた。私は正直に答える。「怖いっす」
 するとしのぶさんはアハハと声を出して笑う。私はちょっと子どもっぽかったかなと思って少し恥ずかしくなる。
「私ねー信者の友達いるんだよ」
 だから全然怖くないよ、としのぶさんはあっけらかんとしながら話し始めた。お盆も過ぎて繁忙期でもない、セールもやってない、昼過ぎののんびりとした平日だった。「そうだ一緒にお仏花作っとこ。もう減ってきてるから」
そうしてしのぶさんは白い菊の束を私に渡す。私は机の角にその茎を当てて、束ごとその茎をボキボキ折る。下から三分の二くらい、余分な葉っぱを落す。もうだいぶ手慣れたものだ。折れた茎からは新鮮でそれでいて濃い緑の匂いがする。私の足元にはあっという間に菊の葉っぱが積もっていった。
「その友達はね、弟が戦争行ったんだ。私にも弟いるからなんかすごい悲しかったな、その話聞いたとき。その弟はまだ帰ってきてなくてね、耐えられなくなって入っちゃった」
「しのぶさんの、その、弟さんは?」
「私の弟? アハハ~無事無事。よかったよかった。たまにすごいムカつくときとかあるけど、夜寝る前とかに弟が戦争に取られちゃうってこと考えたりとかして、泣くよたまに」
 ははあ、しのぶさんは明るくて天然っぽいしあんまり深刻に悩んだりしなさそうだと勝手に思っていた私は意外に思う。夜寝る前に布団の中で静かに涙を流しているしのぶさんを想像するとなぜか私もちょっと泣きそうになった。
「たまにね、一緒に寝てもらうんだ、弟と。もしいつか弟に『しるし』がでちゃうとか考えると、そういうときそこにいたいなって思う。ぬいぐるみみたいにねえ、抱っこして寝んの」
 白い菊と赤いカーネーションと紫のスターチスが次々と作業台に並べられていく。この白い菊がしのぶさんの弟だとしたら、じゃあこの赤いカーネーションがしのぶさんで、スターチスとかはお母さん……ととりとめのない思考に陥っていく。
ユートピアユーフォリアって、なんなんでしょう結局。高いお金とか取るんですか? お札売ったり水晶売ったりするんですか?」
「いや、お布施的なものはあるみたいだけどそんな高くないみたいだよ。なんかねー、友達に聞いたらただ祈るんだって言ってた。みんなで手をつないで輪になって、とにかく一生懸命祈るんだって」
「何を祈るんですか?」
「さあ? なんかね、自由らしいよ。でもとにかく『幸せ』について考えて、祈るんだって。みんなで手つないで」
 なるほどそりゃ宗教っぽい、私はそう思った。とくにみんなで手をつないで輪になるってところが非常に宗教っぽい。「幸せ」なんて抽象的なものを一生懸命になって考えるところも非常に宗教っぽい。何の意味があるんだその行動、誰に届くんだUFO でも呼んでんのかアブダクションか、アビタ人はそれにつられて来てんじゃないのか?
「でね、その『幸せ』の内容って誰にも言っちゃいけないんだって。とにかくしあわせになりた~い! とかこんなのがしあわせ~! ていう気持ちが重なって超パワーになって高次元の魂に届いて、たまにその魂が偉い人に下りてきてくれるんだってさ。アビタ人は幸福をもたらしにやってきたんであって、べつに悪の手先とかじゃないんだってさ」
 なんじゃそりゃ、と思ったらしのぶさんも同じことを言った。「なんじゃそりゃって感じ」
「でもそれで救われる人もいるんだろうね。アビタ人は白が見えないって言ってるけど、じゃあなんでユートピアユーフォリアのイメージカラーは白なわけ? とか私もそう思うわけよ。矛盾だな~って。でもそれで心が楽になる人もいるんだろうね。慰められる人もいるんだろうね。そう思うとわけわかんないなあと思う」
 花の準備が終わって、二人で一つ一つ花を組んで仏花を作っていく。私は菊の花が好きだ。私の田舎の祖父は菊作りを趣味の一つとしていて、昔は大輪の菊を毎年きれいに咲かせていた。菊をきれいに咲かせるのは結構難しい。種類まではわからないけど、私は祖父の作る、細い花弁の白い菊が特に好きだった。繊細で蜘蛛の糸みたいな花弁だった。じーちゃんは歳をとってもう菊を作るのはやめてしまって、それを残念に思う。そんで、歳とったじーちゃんもある日突然「しるし」が出て、もう八十七歳なのにやっぱ問答無用で戦争に引っ張り出されんのかな、と思う。戦争はクソだし今もどこかに舞い降り続けるアビタ人はほんとクソだ。
 この手元の白い菊の花は、アビタ人の目にはどう映るんだろう? やっぱり見えないんだろうか、こんなに美しいのに。一個一個丁寧に花を組んでいく作業は、やっぱりなんか一つ一つの家庭を作っていくことを連想させた。一つに束ねて輪ゴムで縛って、下を切りそろえてまた作業台にばさばさ積んでいく。そしてそれが終わったらその束をセロハンで巻いて、水の入ったバケツに放り込む。
 しのぶさんはさすがにスピードが半端なく早いし正確だった。コピー商品のように同じものを次々と作っては作業台の上に放り投げていく。私は途中からその積まれた花をセロハンで巻く作業に移行することにする。
「この仏花をさ」
 しのぶさんが手元から目を離さずに言う。
「ちっちゃい角砂糖が入った立派な墓に泣きながら供える人がいるわけだ」
 私はそうですね、と答える。色とりどりのバラとか派手なオンシジュームとかグラジオラスとか、夏の終りの最後のひまわりとか透き通った青空の色をした立派なデルフィニウムなんかよりも、実際はこの仏花が一番売れる。
「しのぶさんにとってなにが『幸せ』ですか? 例えば信者になったとして」
 私がそう聞くとしのぶさんは首を傾げた。「ありきたりすぎてつまんない答えだけど」
「私の周りの人たちが辛い思いしないで死なずにしあわせに生きていってくれることじゃないかなあ」
 その言葉に感動屋の私はやっぱりすぐ感動して、思わず作業台の花束をほっぽり出してしのぶさん! と腰のあたりに抱き着く。しのぶさんはびっくりする。二十七歳の女に突然抱きしめられたらそりゃびっくりするだろうしまずキモイ。でもしのぶさんは驚きはしたけど拒否はしなかった。
「未亡人もきっとなにかに救われているんだよ」
 しのぶさんはそう言った。私はしのぶさんから離れて、答える。「じゃあ未亡人も幸せになってほしい」
 しのぶさんは床に散らばった大量の葉っぱをゴミ袋に詰め込みながら言う。「とりあえず、未亡人がこの店で花を買い続ける限り我々のお給金は安泰だね。宗教様様ってやつ」


  4


 バイト帰りに手渡しで給料を渡されて(この店は小さいので給料は袋に入れて僚子さんから渡される)、私はなんだかお腹がすいたなと思ってファミレスのドアを開けようとした。極貧もやし生活の私は月に一度の贅沢だ肉肉ハンバーグと思いながら浮かれまくってドアに手をかける。そこで、「あ」と後ろから声をかけられる。
 未亡人が立っていた。
「お花屋さん」
 未亡人はそう言って私を見る。相変わらずたれ目で濃い眉で結構な美人で、すこし微笑みながらお花屋さん、と声をかけられると私は照れてしまう。でもこの人信者なんだよなーとそのあとすぐに思う。
「ああ、いつも毎度ありがとうございます」
 私は三河屋のサブちゃんよろしくそう言って笑い返す。……で、その十五分後私は未亡人と一緒になぜかハンバーグを食べている。どうしてこんなことになったのか……私はそんなことを思いながら月に一度の贅沢のはずだった肉を口に運ぶ。味がしねーよ。

「せっかくここで会ったのも何かの縁ですし、一緒にご飯、どうですか」
 と言われて私は思わず身構えた。いやこれ絶対勧誘だろ宗教勧誘。友達呼んでいいですかあ? とかなんとか言いつつ私は奥の席に追いやられて逃げられなくなってユートピアユーフォリアに入信させられるに決まっている。そういう未来が見える。
「もちろん、付き合ってもらうんですから代金は私が持ちますよ。一度話して見たかったんです。丁度良かったんです」
 そう言っている未亡人の目は一点の曇りもなく真直ぐに輝いていて、私はじゃあいいかな、と思ってしまう。私は基本的に楽天的で人の悪意に鈍感なのですぐなんでも信じてしまうのです。そして何よりこの極貧生活野郎はとにかく「おごり」という言葉に弱い。十秒後には「二名です」と私は店員に言っていた。喫煙禁煙を聞かれて未亡人は申し訳なさそうに「喫煙席でいいかな?」と私に聞く。私はもうおごりのことしか考えてないので二つ返事でそれに答える。
 で、私のところに一番安いハンバーグセットが運ばれて来て、未亡人はアボカドサラダごはんというおしゃれでヘルシーそうなものを食べている。その間も私は勧誘されるという不安が拭いきれない。頼むから突然友人だの先輩だのに電話かけて私を囲むような真似しないでくれよな~と思いつつ、ハンバーグを小さく切って口の中に運んでいた。

 食べ終わった後、未亡人はアメスピの黄色い箱を小さい鞄から取り出して吸い始めた。美人は煙草吸ってる姿も何か様になってカッコイイなと私はぼんやり思う。おごってもらえると思ってホイホイついてきたはいいが一体何を話しゃあいいのかね、と私は水の入ったグラスを見ながらぼんやり考えていた。
「嫌いですか?」
 と突然未亡人が言って私ははっとして答える。「あ、全然大丈夫です煙草は」
 未亡人は苦笑しながら答える。「違います、宗教です」
 私はどきりとする。やべーな接客業にあるまじき態度とってたかなと自分の勤務態度を思い出してみる。たとえば領収証の宛名書くときとか、手震えてたりしたのかな。
「なんでですか?」
 と私が聞くと、未亡人は笑って「だって普通、やでしょう新興宗教」と言った。
 そういう気持ちがあるのになんで宗教やってんのかな、と私は思った。
 社会経験ほぼゼロの私は言葉をオブラートに包むことを知らないという自覚があるが、そのときもうっかり思ったことをそのまま口に出す。
「なんで入ろうかと思ったんですか? 『ユートピアユーフォリア』に」
 そしてあーしまったと思う。遅い。そりゃ入る理由なんてほとんど二つしかない。愛する人が死んだか、死地に赴いたかのどっちかだ。
 未亡人は優しそうな目で笑った。「夫が死んだので」
 しのぶさん未亡人はマジで未亡人でした! 衝撃の事実!
 とかふざけてる場合じゃない。
「あ、すみません、そういう……デリケートな話題に触れるつもりは……なくて、その」
 しどろもどろになって弁解する私を見ながら、未亡人は二本目のアメスピに火をつけて、吸い込んでゆっくり煙を吐き出した。
「いいですいいです、本気で信じてるわけじゃないんです、ただなんとなく、ね。そういう『もの』がほしかったんです。失ったものの代わりになるような何か、そういうものです」
「教義とか、そういうものですか」
「そうです」
 未亡人はやっぱり笑っている。そしてその笑顔は笑いたくて笑ってるわけではないことがさすがの私にもわかる。悲しいので笑っているのだ。世の中には悲しみを笑顔にするしかない状況もある。悲しいのに、泣かずに笑うことしかできないことがたくさんある。そういう経験がなくても二十七年生きてれば、なんとなくでもそういうのはわかる。未亡人の笑顔は、そういう類のものだった。
「話していいですか」
 そう言われて私は「どうぞ」とばかりに首を縦に振る。もちろん好奇心もある。というかほとんどそれしかない。我々一般人にとっては謎で意味わかんねーよの「ユートピアユーフォリア」がどういう宗教なのかとか、未亡人の人生に何があったのかとか、そういうことを知りたいーという純粋で残酷な好奇心だ。でも心の隅っこの方でなんとなく、この人は私にそれを話したかったんじゃないかなとも思った。理由はわからない。ただの店員と客というだけの関係だ。べつに家族でも友達でもなんでもない。でもこの人はたぶん、いろんなことを誰かに打ち明けたいんだろうと、そういう気がした。そしてその相手は、家族でも友達でもなんでもない存在でなくてはならないんだろう。
「結婚してたんです。子どもは二人ほしかったんです」
 未亡人はそう言って、三本目に火をつける。灰皿の中には同じ長さになったアメスピの吸殻が、一列に整然と並べられていた。

「短い話です」と未亡人は言う。
「結婚してて、子どもが二人ほしくて、でも夫には『しるし』が出て、戦争に行って、砂糖になりました。夫が戦争に行ったのは二年前です。私は夫のいない間に病気になりました。子宮をね、全部取って、子どもも産めなくなりました」
 それだけなんです、と未亡人は恥ずかしそうに笑って言って、煙草をもみ消した。三本目がまた灰皿の上に整列する。
 なんというか、想像することもできない話でどう反応していいのかわからず私は黙り込む。
 好きな人がいて結婚して愛し合ってて、子どもがほしくてこれからもっともっと幸せになれるはずだったのにそれは突然奪われる。何の理由もなく、何も納得できないままそれは理不尽に奪われて消える。私にはそういう経験ないから想像するしかないけど、たぶんその想像も絶対に現実の理不尽さに追いついたりはしない。突き落されたその絶望の深さに届いたりはしない。
 そのまま私と一緒に黙ってしまう未亡人の前で私はなんか喋らなきゃ話さなきゃ励まさなきゃ! と焦り、そうしてふと思う。哀れみや慰めを言って何になるだろう。失ってしまったものはもう二度と戻ってきたりなんかしない。未亡人の旦那さんはもう帰ってこない。未亡人の身体は、もうもとには戻らない。
「憎んでますか」
 私がそう聞くと、未亡人はもちろん憎んでいます、と答えた。平然としていた。明日の天気予報をお伝えしますみたいな声でそう言った。
「何をですか、アビタ人ですか」
「そうです」――明日は晴れのち曇り、夕方から雲が増えて夜中には雨になるでしょう。そんな声出してそんなこと言うなよ、と私は思う。たぶんこの人はそんなことを平然と言えるようになるまで、泣いて泣いて泣きつくして涙も涸れて、もうすべてのことに絶望しきってそれでも生きてるんだろうな、と思う。
「アビタ人のことは憎んでます。でも神様をもっと憎んでます。いろんなものを奪っていった世界の全部を憎んでるんです。でももう戻ってこないんです」
 むしろ泣いてほしかった。
「神様を憎んでるのに宗教やってるなんて、変でしょう」
 未亡人はそう言う。でもぜんぜん変じゃない。神様はたぶんいないのです。むしろ私が泣きたい、涙が涸れつくしてしまった未亡人のために、あんまりにも理不尽で悲しい彼女の世界のために。
「何の花が好きですか」
 私がそう聞くと、未亡人は一瞬あっけにとられたような顔をした。そのあとすぐ「コスモスとか、好きですね」と答える。
「じゃあ今度季節になったら店長に頼んで仕入れてもらいます。安くしますんで今度、……またお店来てください」
 そんでそれを旦那さんのお墓に供えてください、宗教の花なんて買わずに、そう私が言うと未亡人は礼儀正しく「ありがとうございます」と頭を下げた。私はあわてて、えっいやあのとか言いながらテンパる。もしかして今未亡人泣いたかなと思ったけど顔を上げた未亡人の顔に涙は一滴もなかった。強い、強いぜ未亡人。
 すべてを失い、すべてを奪われ、怒りや悲しみの行き場もない、この人は何をあてにして日々を凌いでいるのだろう。「ユートピアユーフォリア」のそんなとんでも教義が、そんなバカげた思想が、この人の心を救うとはとても思えない。失ったものの代わりになんてならない。何にすがったってもう失われたものは二度とは戻らず、損なわれてしまってそれは永遠に変わることなんてない。何度目かわからないけど早く終わらないかな戦争、と私は思う。
 席を立って二人分の水を持って戻ってくると、未亡人はぼんやりと窓の外を見ていた。夜の街に灯っているささやかな光のなかに、それぞれの人々が、それぞれ想像もできないような悲しみや苦しみを抱えて日々を生きている。もしもなんか願っていいんだとすれば、私はその小さな光がこれ以上消えてしまわないようにと、それを願いたいと思った。

 ちゃっかりおごってもらったあとの駅までの道すがら、私は未亡人に聞いた。
「『ユートピアユーフォリア』では、何を祈ってるんですか」
 何が幸せなんですか、と私が聞くと、未亡人は「それは人に言ってはいけないんです」と言った。しのぶさんの言う通りだった。様々な人々がなにかを失ってしまって、それはもう二度と戻ってこなくて、それでも希望を捨てきれずにみんなで手をつないで輪になって幸せについて祈る。降りてなんてくるわけない魂を待ち望みながら。私にとってそれはしのぶさんに聞いたときのような滑稽な、うわあーハイハイ新興宗教ですね怖いっす、なんて言葉で片付けられるようなものではなくなっていた。
 絶望的に悲しい風景に思えた。
「ああ、でも私の祈りは叶っちゃいけない類のものだから、花屋さんにだけこっそり教えようかな」
 別れる間際に未亡人は言った。「世界が終われと祈っています。こんな世界はさっさと滅びて、終わってしまった方がいい」

 絶望とは?
 終わりのない深い、なんの理由もない納得もできない理不尽な暗い井戸のような絶望。
 絶望という言葉で言い表すことなんてできやしない、それは確かに絶望だった。

 ぼーっとしながら電車に揺られて二駅、降りて家に帰って携帯を見ると泰幸からメールが来ていた。
「戦争行くことになった」
 それだけの文章を私は玄関で靴も脱がずに読み、理解するのに相当の時間を要した。戦争に行くことになった。泰幸が。つまりそれは泰幸の身体が内側から光って、それはつまり泰幸に「しるし」が出ちゃったと言うわけで、つまりそれは泰幸が戦争に行くことになって、それはつまり?
 私の膝が言うことを聞かずに、なんの意志もないのにがくがく震えはじめて、私は立っていられなくなってそのまま玄関に突っ伏した。あんまりのショックを受けると人間はなんも考えられなくなるんだなとどこか冷静に考えながら、ただ身体だけががたがた震え続けていた。
 それはつまり? と頭の中で声がこだまする。
 私はなにも考えられない頭で脈絡もなく思い出す。絶望。未亡人は結局アメスピを四本吸って、計算されたかのように同じ長さになった吸い殻は四本、灰皿の上で整列していた。子どもが二人ほしかったんです。四人家族。絶望。泰幸の笑った顔を思い出そうとしてもうまく思い出せなかった。泰幸の身体も思い出せなかった。絶望。あれだけ愛して好きになって何度もセックスして朝を迎えていたのに、泰幸の身体がどんな形でどんな温度でどの位の強さで私を抱きしめていてくれたか、そういうことを全然思い出せなくなっていた。
どんな気持ちで、泰幸がこのメールを私に送ってきたのか、やっぱり想像なんてできなかった。どんな気持ちで泰幸が戦場へ行くのか、私には全く想像なんてできなかった。私と泰幸との間には広い川が横たわっていて、もうそれは渡れない。傍に行くことはできない。
 一度失ってしまったらもう二度と、同じ形では戻ってこない。
 泰幸に借りた八万円は返せないまま終わる。メールの返事を私は一日たっても、二日たっても三日たっても一週間たっても、夏が終わり秋になって雲がその形を変え、空が濃い青からだんだん透明さを増していっても、泰幸の個人の携帯なんてとっくに解約されてると知っていても、できなかった。
 私は今までにないくらいに、初めて世界に対して絶望する。

 ある日の秋の空に、飛行機雲が一本だけ引かれているのを見て私は突然涙を流した。自分の意思とは関係なくただ涙がこぼれた。厳しい軍の訓練を受けて、泰幸があれに乗ってるかもしれない。泰幸、もし泰幸が角砂糖になって地球に降ってくるとしたら、それを一つだけでいいから私にくれよと、そう思った。私はそれをコーヒーかなんかに溶かして飲むのだ。そしたら泰幸は私の血に溶けて私の一部となって私の身体を循環し続ける。
 未亡人はそれからも相変わらず店で高い花をバンバン買っては領収証をきっていった。それから話をすることもなく、私たちはやっぱりただの店員と客だった。「ユートピアユーフォリア」と宛名を書くたび、みんな死んで早く戦争なんて終われと思った。そしてそれと一緒に世界が終わってしまえばいいのにと、そう強く思った。


   5


 インターバル。ここで話は前後するが、私達の周りをとりかこむ「戦争」の外にある死の話をしようと思う。
 一年前に泰幸と別れてからしばらくして私は朋くんという男の子と知り合った。朋くんは私より一つ年上なのだが、なんとなく弟っぽく思えて君付けで呼んでいた。朋くんもそれに対して何も言うこともなく、私たちは友人としてたまに遊んだりご飯を食べたりしていた。
 朋くんは「俺はもう死ぬから」と平気な顔して私に言う。
 そう言われると私はどんな顔してなんて答えたらいいのかが途端にわかんなくなる。もう死ぬから。それは自分の身体から「しるし」がでて、戦争に行って死ぬっていうことなのか?
 そう聞くと朋くんは首を横に振った。「ちがうよ、たぶん俺は戦争に行かない。でも近々別の理由で死ぬから」

 私はこの朋くんと海浜幕張の海で出会った。海のないところで育った私は海に対してよくわからない憧れのようなものを抱いていて、何もない日にはたまに理由もなく海を見に行くことがあった。海浜幕張の浜辺には何もない。サーファーもほとんどいない、たまにいるのは暇な釣り人、というがらんとしたこの海辺を私は気に入っていて、たまにふらっと散歩に来ていたのだ。
 朋くんは写真を撮るのが上手な人だった。靴を脱いで波打ち際を裸足でべしゃべしゃ歩く。くるぶしのあたりまで波がさらって行ってまた遠くへ行く。波。それが楽しくてしばらく歩いて行くと、休憩所のような場所で一人の男が本を読んでいた。その傍らには一眼レフとビールの缶があった。それが朋くんだった。
「写真撮っていいですか」
 そう聞かれて私は「あーいいですよー」と軽く答える。悪人だったらどうすんだとかそういうことは一切考えてなかった。アホなので。そして朋くんの方にあんまりにも邪気がなかったので。それどころか幼い少年のように緊張しながら声をかけてきたので、これはナンパではないとさすがの私も一発でわかったのだ。
 適当なポーズに服に表情で、何枚か写真を撮られていた。カメラに向かって笑ってみてくれと言われても、ひきつったような笑いにしかならなかった。朋くんとすこしだけ話をした。今阿部公房の『砂の女』読んでるんだ、と朋くんは言った。どーなのそのチョイスと思いながら、あらすじを教えてもらったり、好きなバンドや歌の話をした。そうして連絡先を交換してその日は帰った。後日送られてきた写真はとても美しかった。自分なんだけど自分じゃないみたいだなあ、と私は感心したのを覚えている。
 そのあとたまーに何度か遊んだりして、何枚か朋くんの撮った写真を見せてもらったけれど、それに抱いた感想は「やけに透明」というものだった。
 もちろん写真なんだから透明じゃないし紙だしちゃんと触れるんだけど、朋くんの撮る写真はうっすら向こうが透けて見えるような感じだった。そうしてそれがそのまま、私の朋くん自身への感想にもなっていった。
 朋くんはいつもそこにいる。ちゃんと身体もある。喋って動いて笑ったりする。でも本当はここにはいない。
 半分はここにいるけど、半分はどこか行ってる。
 手を離せば簡単に彼はどっかにいっちゃうだろう、それが朋くんに対して持ったイメージだった。

 「俺もう死ぬから」とのたまう朋くんはリアル旅人で、ふらっとインド行ったりスリランカ行ったりタイ行ったり海行ったり山行ったり樹海行ったりしていて、そのたびに私にお土産を買ってきてくれた。戦時中でも旅客機は飛ぶ。本数はぐっと減ったが、紛争地域を綿密に計算して避けて、今でもちゃんと空を飛び続けていている。それはセストラルと違ってちゃんと形の見える飛行機だ。でもやっぱり安全な旅とは言えない。朋くんはそれでも思いついてはいろんな国に行き、私が紅茶が好きだなという話をしたらその国のめずらしいお茶を良く買ってきてくれるようになって嬉しかった。タイで買ってきてくれたチョコレートの匂いのするお茶はとてもおいしかった。
 今になれば私は朋くんに半分恋をしかかっていたのだな、と思う。でも私に限って言えば、恋に「多分」とか「半分」とか、ない。絶対的に恋は恋だ。泰幸が戦争に行ってしまって、もう二度と会えないことを話したとき、朋くんは泣きまくる私を一晩中抱きしめていてくれた。朋くんは私に恋をしていた、と思う。でも私はしていなかった。
 でも五回くらいセックスはした。クズです、はい。

 一緒に遊びに行ってご飯食べて飲んで酔っ払った後に当たり前のように二人でラブホに入る。そのラブホはすごく古くて外装がお城みたいで、私のテンションは無駄に上がる。部屋のオーディオはぶっ壊れていてところどころ音が飛んでノイズが入る。うわーこわーとか言いながら私たちは服を脱いで裸になって抱き合う。ベッドサイドのオレンジ色の明かりだけをつけると鏡張りの部屋は薄暗くて、この年季の入った部屋で、いったいどれだけのカップルがどんなセックスをしたのかなと私は思う。たぶんすごく純粋に愛し合った人たちもいれば不倫カップルもいて、そして修羅場もあっただろう。煙草のヤニで黄色くなっている壁紙に、その歴史が刻み込まれているような気がした。
 朋くんはびっくりするくらい私を丁重に、壊れ物のように扱って優しかった。例え過去のことだとしてもひと時でも本気で愛した相手が戦地に行ってもう死んでるかもしれない、そういうときにこうやって現実存在の生身の温度や湿度や感触、肌、匂いを感じることは私の心を幾分か安定させたように思える。世界へのどうしようもない憎しみも悲しみも絶望も、少しはやわらぐ。
 朋くんはときどきとても傷ついたような顔をする。それでも私は朋くんを好きになりかけただけで好きにはならなかった。私はずるく朋くんを利用し、朋くんはかわいそうに私を好きだからそれを受け入れざるを得ない。
 裸のまま鎖骨のあたりを舐めあっているときふいに朋くんが、「俺もう死ぬから」と言った。私はいったん行動を止めて、朋くんの目をじっと見つめる。そこに嘘はないように思えた。それは自分の身体から「しるし」がでて、戦争に行って死ぬっていうことなのか?
 そう聞くと朋くんは首を横に振った。「ちがうよ、たぶん俺は戦争に行かない。でも近々別の理由で死ぬから」
「病気?」
 そう聞くと朋くんはまた静かに首を振った。彼はいつも静かだ。静謐という言葉が一番似合う。波の立たない森の中の湖のような目をしていた。
「病気じゃないよ。事故でもないと思う。ただ死が俺を追いかけてくるんだ、俺にはそれがわかってる。だから近い将来必ず死ぬ」
「でも死ぬのなんて誰も一緒じゃん、現に戦争駆り出されて死んでる人もたくさんいる」
「『戦争』は、俺にとっての世界の現実じゃないんだ、勝手かな」
 朋くんがそう言って私の胸に手を当てる。朋くんにとっての世界? と私は考える。多分朋くんのこの手の下には私の心臓があって、私の意志に関係なく絶えず脈動を続けている。目の前にいる朋くんのその胸の中の、肋骨の向こうにも同じものがあって、それも常に脈動を続ける。
 死に追いかけられている、私はそう口に出した。
「たまにさ、空っぽになるんだ、俺の人生というか、俺自体が。空っぽの、何もない空虚なただの空間になる」
 無意味になるんだ、と朋くんは言う。「じゃあこれも無意味?」
 私はそう言う。朋くんはまた首を横に振った。「俺、君のこと好きだ。たぶん君がいるから今、保っていられる何かがある。失ったら今度こそ俺の人生にはなにもなくなってしまう」
 朋くんは勝手だ。この世の中には愛し合ってるのにそれでも戦争行って死ななきゃいけなくて、殺したくもないのにアビタ人殺してそれが心の傷になって一生苦しむ人だっている。残されたくないのに、残していきたくないのに、そうせざるをえない人を私は何人も見てきた。それなのに、何もないだって? 友人も家族もいて、好きな食べ物も音楽もあって何より写真だってあるじゃん……、そう思ってから私は思い当たる。
 ああ、でもたぶんそんなモノには朋くんにとってはなんの意味もないのだ。世界のすべては一瞬の通過点でしかないのだ。だから朋くんの写真は、朋くんの存在自体は透明なんだ。朋くんのいる半分向こうの世界は、おそらく死の世界なのだ。
 戦争はずっと朋くんや私の周りで続いていて、朋くんには幸い「しるし」は出ず、そんなところに行く必要なんてない。死ぬ必要なんてない。でも朋くんは別のところで死に追いかけられている、戦争が始まる前から。戦争があればたくさん人は死ぬけど、戦争がなくても人は死ぬ。殺るか殺られるかの二つしかないと思ってたこの世の中には、ただのひっそりとした純粋な死もちゃんとあるのだ。
 それが誰であれ何であれ、失われることに理由なんて何もない。この世には、朋くんのようにあらかじめ失われてしまっているような人間もいるのだと私は知る。
「朋くん、戦争行きたいの? 死にたいの?」
 私がふざけてそう聞くと朋くんは笑って首を振る。
「俺は怖がりだからね、戦争なんて行きたくないよ」
「じゃさ、戦争行くのが怖くて自殺したいってことなの」
「死にたいなと思うことはあるけどそれと『戦争』はやっぱ関係ない。……うまく伝わらないかもしれないけど、俺の言いたいのはそういうことじゃない」
 君にこんなこと言うべきじゃなかったね、と朋くんは言う。目の前の身体は確かに現実のもので触れてあったかくて安心して……でも私は朋くんを救うことはできない。なぜなら恋をしてない。
 なんか朋くんもそうだし自分のあまりの自分勝手さに涙が出てきて、私は上に覆いかぶさっている朋くんの身体に足を絡ませて思い切り引き寄せて、バカバカ言いながら泣いた。初めはぽろぽろと出てくる程度だった涙はやがて号泣レベルに進化する。私は声をあげて泣いた。死なないでくれよと、声をあげて子どものように泣いた。
 そんなこと言わないでここにいてくれよと思った。
 でも同時に多分この人は死ぬとそう思った。思ったというより、それは確信めいた何かだった。
 世界からはいつも平等に何かが失われて、そこには納得できる理由なんてない。そして何度も繰り返すが、失ったものはもう戻ってはこない。二度と戻ってこないのだ。

 泣きまくって化粧落ちたブスな顔でそれでもやることちゃっかりやったその後、壊れたオーディオから The water is wide が流れていた。ノイズ交じりで音が飛んでいて、ともすればほんとホラーかよって感じだったけど、私はこの歌を知っていて、寝煙草をする朋くんの隣で小さく歌った。川は広くて渡ることができない。私には飛ぶための翼もない、船に載せるには愛は重すぎる、そういう失恋ソングだった。


   The water is wide, I can’t cross over
   And Neither have I wings to fly
   Give me a boat that can carry two
   And both shall row, my love and I


 朋くんはいつも「俺は全部わかってるよ」っていう顔をして笑う。でもお前なんもわかっちゃいねーよ、と私は思う。

「神様って信じる?」
 私がそう聞くと、朋くんは「信じる」と言った。意外だった。「でも一般的な『神様』じゃない。『ユートピアユーフォリア』の神様でもないし、仏教でもキリスト教でもない。俺の中の、俺だけの神様」
 オーディオから流れる the water  is  wideの邦題は「悲しみの水辺」という。誰か女の人のきれいな歌声の間にザザーっとノイズが入る。
「魂ってほんとにあると思う、見えないけど」
 朋くんがそう言った。朋くんはパンツ履いてたけど私は素っ裸で寝転がっていた。でもべつに恥ずかしくはない。めちゃくちゃ原始的な行為のあとでむしろこれが自然な姿なんだと思う。
「君の身体の中には君の魂が入っていて、君の身体はそれで満たされてる。君の肌の下にあるのは脂肪とか血管とかそういうんじゃなくて、薄い皮膚の下にはすぐ、魂があるんだ。俺はその魂が好きだから君の身体が好きだし、君の身体に触れるということは俺の魂が君の魂に触れるということで、だから好きなんだ」
 すげー意味わかんない思考なんだけどそれはすんなり私の中に入ってくる。朋くん教作ったら結構みんな信じるんじゃん? そう思う。少なくとも「ユートピアユーフォリア」の教義よか私にはよく思えた。ほんとにそうだったら素敵だなと思って私はうつ伏せになっている朋くんの背中に手を当てる。ちゃんと温かい、朋くんは体温が高いのだ。魂の温度。
 初めて会ったときのことを思い出していた。
「生きててよ」
 私がそう言うと、朋くんは「うん」と言って笑った。でも私にも朋くんにもわかっていた、多分朋くんは死ぬ。近いうちに。
 でも私はそれに抗ってほしかった。全人類が見境なく全戦力をもってアビタ人に対抗するように、朋くんにも見境いなくただ全力で、空虚さと戦ってほしかった。

 結局朋くんとはそれっきりだった。そのあとしばらくして彼の携帯は繋がらなくなり、メールも宛先不明で返ってくるようになった。二年くらい友達だったのに、私の中の朋くんの情報は偏りすぎていた。私は彼がどこに住んでるのかもどこで生まれたのかも、なんにも知らなかった。知ってるのは誕生日と、血液型と、身体の形と、そして彼が空虚さを抱えながら生きていて、もうすでに半分失われてしまっていたということ、それだけだった。
 結局いつかみんな死ぬ。生まれてくれば必ず死ぬ。泰幸のように戦争に取られて死ぬのかもしれないし(いや、泰幸はまだ生きていると信じたい)、朋くんのように死に魅入られてしまうのかもしれないし、なんか大きな病気になったり、うっかり電車に轢かれたりするのかもしれない。
 でもみんなそれをわかっているのに、「死にたくない」と無様に抗うのだ。殺されるものかとアビタ人に抵抗し、殺されるくらいならその前にぶっ殺す。私は戦争嫌いだし基本的に戦争反対みんな仲良く派なんだけど、その「生きること」へ向かう戦闘エネルギーみたいなものを大事にしたいと思う。だから朋くんにも、諦めないでほしかった。その温かい魂を簡単に死の手になんて渡さず、最後のときが来るまで抗ってほしかったのだ。その抵抗に関しては、戦争も平和も関係ない。
 私はそれを伝えたかった。でもやっぱり伝えたいことはそう思ったときにはすでに伝えられてなくなっていることの方が多く、いつでも私たちは遅すぎるのだった。
 それから私は時折、自分の魂について考えるようになる。色とか形とか匂いとか、そういうもの。
 以上、インターバル終わり。


   6


 十二月の頭、寒さも本格的になってきたころ、例の静岡御殿場支部に逃げ込んだアビタ人にスパイ容疑がかけられて国家権力は「ユートピアユーフォリア」に対し身柄の引き渡しを要求する。
 でも「ユートピアユーフォリア」としての言い分はアビタ人は神の使いであって我々の敵ではなくてむしろその逆で、魂を幸福なユートピアにつれてってくれるわけだからスパイとかそういうんではない。ということで御殿場支部大友支部長は引き渡しを断固拒否する。
 でも国家権力は強い。結局御殿場支部には強制捜査が入って軍人とか警察官とかが有無を言わさず武力を持って押し入ってそのアビタ人を拘束して連れていく。そんで結局十二月の半ばくらいにそのアビタ人は処刑されたとセンセーショナルに報道される。
 いまやグローバル規模の「ユートピアユーフォリア」であるが、そんなかでも一番えらい人が今回のことについて強い抗議声明文を出す。全世界に向けて。日本に八十二個ある支部の、全体の中でこれまた一番えらい宮地日本統括長が記者会見を開いてこれからも「ユートピアユーフォリア」は国家権力になんて負けません! と高らかに宣言する。地球側に寝返ってきたアビタ人の保護も絶対にやめないし今回のような強制的な立ち入りは今後ほんとマジで一切お断りしますと言う。そんで今まで集めてきたお布施でついに武装しはじめる。傭兵を雇う。なんかいよいよヤバい。
 心と身体が分離してしまうみたいに、宗教と政治は分離し始める。結局身体のレベルで戦って命を守っているのは戦争に取られている一般人や軍人だし、逆にその戦争に傷ついた心を守っているのは「ユートピアユーフォリア」という宗教だ。この二つが対立するようになって世界はますます混乱に陥っていく。
 十二月の後半になるとイタリアで一人、中国で二人のアビタ人が「ユートピアユーフォリア」に保護される。地球連合軍はそれに対して身柄の引き渡しを申し入れるけどやっぱり跳ね除けられて膠着状態に陥る。
 そしてつい先日にはまた光の筋と共に舞い降りてきたアビタ人をうまく閉鎖地区に追い込むことができず、広島の七十歳くらいのおばあちゃんがあっけなく角砂糖に変えられる。それを受けて日本にだいたい四十個くらいあった閉鎖地区が一気に六十いくつかにまで増える。男だけではなくついに一般人の女しかも老人が被害者ということもあって世論は一気に国と軍部を批判しにかかる。私の生まれた長野県の須坂は畑ばっかの田舎なんだけど、その一部も閉鎖地区になってそこに昔から住んでいた人はもちろん強制退去させられる。私の実家はギリギリ範囲外で無事ということを母からのメールで知る。けど自分住んでいるところのすぐ近で戦争なんてやってるのやだわあ、と母は私に愚痴をこぼす。私は実家が心配になる。田舎なんてそりゃ田んぼとか畑とかしかないんだから都市部よか閉鎖地区にしやすいだろう。でもそこに住んでる人にとってはそんなこと関係ない。田舎には田舎なりの、人々の生活がちゃんとある。他にも閉鎖地区にされた町は全国にたくさんあって、そこに住んでた市民は仮設住宅の前でプラカードを掲げて反対する。
 人々たちの間では、自分たちの住む町にアビタ人が降りてこないように、家の屋根を白くするのが流行る。新商品の白い瓦がバカ売れするようになり、街はだんだんと白く塗り替えられていく。

 今朝のニュースが錦糸町ソープ嬢が客としてアビタ人とセックスしたってことで逮捕されたことを伝えていた。何の罪かはよくわかんないけど多分やっぱスパイの嫌疑かなんかだろう。アビタ人の方は依然逃走中でニュースキャスターのお姉さんが情報提供を呼びかけていた。ほんとなんかいよいよヤバいだろこの世界。私はそんなことを思いながら相変わらず花屋で働き続けている。そんなに何も変わらない。やっぱり金もない。年末が近づくと正月用の花をたくさん用意しなきゃいけなくなるからそんなに暇もない。いわゆる貧乏暇なしってヤツです。そして泰幸が戦争に行ってから四か月、何の音沙汰もない。朋くんと連絡が取れなくなってから二か月、やっぱり何の音沙汰もない。未亡人は相変わらず店に大金を落としてくれて、私はそのたび領収書に「ユートピアユーフォリア」と書き続ける。
 年末はとにかく忙しかった。戦時中であっても主婦はちゃんと正月を迎えるために花を買っていくのでやっぱり伝統はすごい。あと主婦は強い。松と葉牡丹と南天と、金に塗られた枝ものとスプレー菊を組み合わせた「お正月セット」は飛ぶように売れる。年末最後のセール日なんて店の外まで行列ができるくらいだった。私はその忙しさにかまけてしばらくいろんなことを考えるのを休んでいた。
 そして年が明けてから一週間くらい経ったクソ寒い雪の夜、私は一人の少女を「拾う」。

 花屋が八時半で閉まるので、八時くらいには外に出してある苗ものなんかを並べたワゴンを店の中にしまい始める。外はちらちらと雪が降り始めていた。思わず「しのぶさーん! 雪です雪!」と子どものようにはしゃいで声をかけた。はーっと息を吐くと白かった。外のものをみんなしまって、花屋のシャッターを閉めたあと次の日のための準備をして、ノートに退勤時間書いて帰る。毎週金曜日は遅番で、お昼に出勤してそこまでがルーチンワークだ。さて帰ろうかとなるのはだいたい九時半、家に着くのは十時ちょっと前になる。
 最寄駅について電車のドアが開くと思った以上に冷たい風がぶわっと車内に入ってくる。うわー冷えんな今日と思って改札通って駅から出ると、店を閉めたときよりも雪は大粒になっていた。水気を多く含んだ牡丹雪がどかどか降っている。傘をさして夜道を歩くと、傘にもどんどん雪が積もって、目の前も真っ白で、私は今年初めてのその雪にすこしはしゃぎながら家に帰る。そのあと明日電車動くんかな、と心配になる。土曜日は普通に九時半出勤で六時半に帰るのだ。私の勤務スケジュールは月火木金土で、そのうち火曜と金曜が遅番。明日電車動かなかったら面倒だなあとかそんなことを考え考え歩いて行くと、私のアパートの前になんか黒いごそっとしたものが置いてあるのに気づく。
 最初はゴミ袋かな? と思い、近づいてよくよく見るとそれは人間だった。
 さらによくよく見るとそれは紺のセーラー服に黒いコートを着た、黒髪の少女だった。
 これは行き倒れかなんかか、それとも誰かに後ろから頭殴られたのか強姦か事件か!? 私は警察に電話をかける前に、とりあえずこの子に意識があるか、軽くゆすってみる。あ、頭打ってる人ってゆすっちゃいけないんだっけ? コートや髪にどっさり積もった雪の量からして、だいたい二十分か三十分くらいこの子はここで気を失ってたんだろう。
「もしもし? おーい、大丈夫ですか?」
 そう声をかけ冷たいほっぺたをぺちぺち叩くと、少女は意外にあっさりと目を開けて私を見た。
「誰ですか?」
 オイオイこっちのセリフだよ。
「そこのアパートに住んでるんです……あなた大丈夫ですか、誰かに襲われたとか事故とか? 痛いところありますか?」
 そう聞くと少女はごしごし目をこすって、「……お風呂かしてくれへん?」と言った。関西弁だった。

 少女は風呂かから上がって、わしわしとタオルで頭を拭きながら「ありがとうございました」と私に言った。
「なんであんなとこで倒れてたんですか」
 ほんとに強盗とか強姦魔とか迷い込んだアビタ人とかそういうのに襲われたんじゃなくて? 私はそれを心配していた。
「あー、ちゃいます。だいじょうぶ。ここら辺初めてきたんで道わからんくてね、迷ってしまって。お金ももうないし、それでちょっと寝てたらいつの間にか雪降ってて。起こしてもらわんかったらあそこで凍死しとったわ」
 そして少女はアハハと楽しそうに笑うが、多分関西圏から、少女一人でここまで来てお金が尽きて路上で凍死寸前、というのはどういう種類の笑いで済ませていいのか私にはわからない。というわけで私もとりあえずアハハと言っとく。名前を聞くと少女は「カヨ」と名乗った。
「佳作の佳に、君が代の代、で佳代」
 単純にいい名前だなあと思ってそう言うと、そうかあ? とか言って佳代は首を傾げた。「私のこと、佳代でええよ。おねーさん、名前なんていうん?」
 私が自分の名を名乗ると、「えーそんなん絶対私の名前よかおねーさんの名前のほうがええやん。外人みたいや」と佳代は言う。そう、ちょっと昔そうやって外人外人からかわれていたので私は自分の名前があんま好きじゃないのだった。
「佳代のお父さんととかお母さんとか、保護してるって連絡しなきゃいけないから番号教えてよ、たぶん今頃心配してるよ」
「しとらんよ、そんなん。私家出してきたねん。二週間前くらいに母親蹴っ飛ばして」
 は? 家出?
「いやそりゃもっと心配してるでしょ、二週間何して生きてきたのよ」
「主に売春」
 それを聞いて私は頭がくらっとしてしまう。はーこんな少女が家で母親蹴り飛ばして家出してそのまま電車かなんかで東京まで来て売春。よく見ると佳代の髪は黒くてまっすぐでまだつやつやとしている。肌も若さあふれんばかりの弾力をもって、白くて、風呂上がりだからちょっとだけ上気して頬はほんのりピンク色だ。目が大きい。そして鋭い。自分の隠しておきたい中身まで全部見透かされてしまいそうな視線を送ってくる。手足も長くて、まだ発達途中の少女特有の危ういバランスを保っている。こんなきれいな子どもが、売春。
「佳代、今いくつ?」
「十四」
 ということは中学二年生くらいか。「学校は?」
「行こうと思ったらおかーさんがもう学校行かせんからな言うて堺にあるユートピアユーフォリアの施設連れてこうって私の腕めちゃ強くひっぱってくんねん。アホかボケー言いながら母親蹴って逃げたわ。で、そこからガッコ行って帰ってもまた同じことの繰り返しやろ。アホか。逃げてきたわ」
「お父さんは?」
「おとーさんは航空会社勤めてて外に女おるから滅多にうちに帰ってけーへん」
 もうすでに自分の家のようにくつろいでクッションに頭を預ける佳代は、なんかすごい殺伐としている。
「こないだ、静岡におったアビタ人死んだやん。あれでうちの周りの支部も一気にわーって怒ってな、もう武装せなアカン! てなってしまったんよ。誰にも言ってない話だからみんな知らんけど、実は堺支部にも一人アビタ人おんねん。そんでみんなそいつ守らなきゃヤベー! って言いだしておかーさん持ってる宝石とかブランドもんとか全部バンバン売って、おとーさんにもらった結婚指輪も売ってお布施して、そればれて大喧嘩してからおとーさんは帰ってこん。私のこともどうでもええねん、私おかーさんの連れ子やし。再婚しとんねんうちの両親」
 でもお母さんとは血繋がってんでしょ? 心配じゃないのお母さん、私がそう聞くと、佳代は「アッハッハ」と大して面白くもなさそうに笑った。
「おかーさんの最大の興味は私じゃなくて宗教なんや。今日はアレしましたコレしましたって報告するとこまでは許せても嫌がる私の手ェ引っ張って無理矢理入信させに行くんやで。家族でも血繋がってても許せへんこともあるやろ」
 まあ確かにそれはやだわな。でももっと他にいろいろできることあったんじゃないだろうか……東京の繁華街を流れ流れて見知らぬ男とヤってお金もらってまた違う繁華街行って、最終的にはお金も尽きてこんな埼玉のベッドタウンのぼろアパートの前で雪まみれになって倒れる。その前に頼れる人や、頼るべき公共施設があったんじゃないだろうか。
「なんとなくおねーさんの言いたいことわかるわ。大阪からわざわざ東京きて売春なんてやらんでも逃げるとこいっぱいあったやろ? て話しやろ。でも違うねん。私はどこでもいいからあそこから遠い所に逃げたかったんや。誰も私のこと知らん場所に。そうしないといつか私はあの「ユートピアユーフォリア」の信者になっとったわ。絶対いややろそんなん。だれも追ってこれんような場所に逃げなあかんかったんや」
 ふー、あまりにも濃い十四年間の話を聞いてしまったな、と私は思う。丁度お湯が沸いた音がしたので、紅茶をいれたコップを二つ持って机に行く。置く。
 その紅茶はスリランカのもので、いまはどこでなにしてんのかわからない、朋くんの置き土産だ。
「それにしてもおねーさん片付け下手なん? めっちゃ部屋汚いで」
 そう言われて私は返す言葉もございません。キッチンの隅には毎回毎回間に合わなくて出せなかった燃えるゴミの袋が四つ位たまっているし、ベッドの上には脱ぎ散らかした洋服が積んである。
「まー今日はこれ飲んであったまって寝て、あんなとこに何時間も倒れてたんだから風邪ひくよ。明日どうすりゃいいか考えよう」
「そのことなんやけど」
 コップの縁をふーふー吹いていた佳代が目を上げて私を見る。なんとなく続く言葉を想像出来てマジか止めてくれこれでも私はいろんなことあっていろんなこと考えて結構疲れてんだぞ、と思っていた。こんな多感な年頃の少女の面倒とか絶対見られない。
「おねーさん、二週間、二週間でええから、ここに置いといてくれん? そしたら私また行くとこ決めて勝手にやってくから。置物かなんかかと思って」
 そうだと思ったぜ。
「そういうわけにはいかんよ。佳代、佳代はまだ義務教育受けてるような歳で、ずっとそんな売春とかなんかひどい生活続けてくわけにはいかないでしょ。家に連絡はできなくても学校にならできる。学生証見せなさい」
 佳代は唇を尖らせて首を振った。「んなもんあるわけないやろ。アキバで鞄枕にして公園で寝て起きたら鞄ごとなくなってたわ」
 窓の外を見ると雪は音もなくしんしんと降り積もっていた。明日の朝には五センチ以上の積雪になりそうな予感で、部屋の中もどことなく冷え冷えしていた。
 明日は電車動くかな、と思ったとき携帯に連絡が入り、「雪の影響で明日は臨時休業にしま~す 僚子 ♡」というメールが来ていた。正月の激務に対する僚子さんなりの労いだろう。とりあえず明日ゆっくり寝られる! と、私が机を動かして自分の寝るスペースを確保しようとしていると、「何しとんの?」と佳代から声がかかる。
「佳代はそこで寝な。私はこっちで寝るから」
「アホちゃうん。一緒に寝りゃええやん」
 私はそうですか、と答える。佳代がそれでいいなら。狭いベッドに佳代と二人でもぐりこんで、佳代は「うわ、おねーさんあったかい」と言う。その私は誰か人と一緒のベッドに入るっていい気持ちだな、と考えていた。朋くんと一緒に寝たときのこと。もっと前、泰幸と一緒に寝たときのこと。なんだか理由もなく安らいだ、それぞれのときのこと。でも中学生の女の子と一緒のベッドに入ったのは初めてだな。佳代はもう眠りについたようで静かに静かに息をしている。美しい獣のような目は閉じられていると年相応のかわいい寝顔だった。佳代の背中にくっつくようにしていると、失ってしまった思い出についてのあれこれが私の中にあふれ出す。なんの音もなくなった部屋には、時折電線に積もった雪が地面にどさっと落ちる音と、さらさらと空から雪が降る音だけがしていた。久しぶりに感じた他人の温度とかそんなことを考えている間に、私もいつのまにか寝ていた。

 さて店が臨時休業になってぽっかりと空いた土曜の朝、私が掃除やら洗濯やらやってる横で佳代は私のパソコンで埼玉の繁華街について調べていた。「埼玉って田舎やなあ」
「何調べてんの」と聞くと、「商売場所」とだけ答える。こいつまだ懲りもせずウリやろうとか考えてんだな~と思って私は佳代の後ろ頭をばこんとひっぱたいた。
「痛った、何するん」
「働こうっていうその情熱は認めるけど別の場所にしなさいよ。スーパーとか」
「こんなどっから来たかもわからん中学生雇うスーパーがどこにあんねん。せやかて軍需工場もこの辺にはないやろ?」
 そう、身元が怪しかったり、勤務年数が異様に少ないくせに転職回数が異様に多かったり、フリーター歴が長かったり、そういう世間的ダメ人間をどこも雇ってくれないのは私が一番知っていることだった。幸運に浮かれて、忘れていた。
「でもそういうの感心しないよ、やっぱり」
「それはおねーさんが『性』を売りモンにするのにモラル的に嫌や~ってだけやろ。私はそんなことこれっぽっちも思ってへんし、私の周りで売春してたりソープ勤めてるおねーさんたちもみんなそうやったで」
 私は黙る。確かに「性」というものはいつの時代も産業として成り立ってて、需要があるから供給がある。少ないだろうが中にはその仕事に誇りをもってやってる人もいるだろう。佳代は佳代なりに一人でなんとかしていくために居場所や仕事を探していて、そうみるとこの少女も立派に人間として世の中と戦おうとしている。一人の力で立とうとしているのだ。佳代は強い。でもまだ十四歳で、そんなんで佳代の心は傷ついたりしないのか?
「そういえば佳代、あんた鞄盗られて学生証ないって言ってたけど、学校の名前くらい覚えてるでしょ。言いな」
 そう言うと佳代はパソコンから目を離さないまま「嫌や」と言った。またこうムカムカっとくるのでもう一発後ろ頭にぶち込もうと思ったときに佳代が口を開く。
「二週間。二週間だけでいいんや。そのあとはどうしたってええ。堺にある中学校全部片っ端から電話かけてもええ。『ユートピアユーフォリア』の堺支部の私のおかーさんに電話かけてもええ。二週間だけ、猶予をください。頼むわ」
 そこで振り向いて「頼むわ」と言った佳代の目の強さに私はうっと負けてしまう。社会人とは。大人とは。こういうとき正しい道に導いていかねばならんのが大人の務めだと思い込んでいたけど、そして佳代は子どもだけど、でももう一人の人間だ。ちゃんと自分で選んで、ちゃんと自分の意思を持ってる。
「もしあれなら料理とかするで。私めっちゃ料理うまいんやで、おかーさんがクソ宗教ハマったせいで家事せえへんかったからな。材料とかあってリクエストとかあったら、おねーさんのごはん私が作ったるよ」
 仕方ねえなあもう、と私はため息をついて、「じゃあ親子丼食べたい」と言った。佳代は「オッケーオッケー親子丼とか軽い軽いわ」と言いながら「池袋激裏情報!最新風俗マップ」というサイトを見ていた。頼むから変なリンク踏んだりしないでほしい……と私は半ば諦めの混じった気持ちでその画面を見ていた。架空請求とか普通にこわい。
 佳代の作った親子丼は確かにおいしかった。夕飯を二人で食べて、洗い物をしていると余った肉と卵で明日はオムライス作ったるよ~と佳代がのほほんと言う。佳代は紅茶に牛乳と砂糖をたっぷり入れて私の部屋でのんびりくつろいでいる。まだ二日目だ、環境への順応早すぎないか?
 そこで思いあたって私は佳代に聞いてみる。「佳代、お姉さんとかいるの? お兄さんとか」
 佳代は年上の人間に対する甘え方を心得ている、というか慣れているように見えたので、私はそう聞いてみたのだ。すると佳代が、今まで聞いたことのなかったような声で「お兄がおる!」と言った。洗い物を終えた私は濡れた食器をカゴに全部伏せてエプロン外して手を拭いて、座る。佳代は空の私のマグにお茶を注いでくれる。いい子なんだな、基本が。
「私のお兄はおとーさんの方の連れ子で血はつながってないねん。でも一番好き。家族ん中で、お兄が一番私にやさしかったし、なによりお兄はちゃんとした軍のパイロットなんや。エースパイロットってやつ。かっこいいねん。セストラルに乗ってんのやで」
 佳代に聞く話によれば、やっぱり「しるし」が出ちゃって問答無用で戦争駆り出される一般人たちは、よほどの才能がない限りセストラルには乗らない。光が漏れてこないような特殊な繊維がもう開発されていて、それ着て地上戦を行うことのほうが多いらしい。全員が全員日本で戦えるわけじゃなくて、バリとか中国とかロシアとか、人手の足りない部隊に送られていくこともある。外国でもそれは然りで、佳代は今まで居たショーパブでアメリカ人と中国人とタイ人の一般兵を見たことがあるという。
「お兄は強いからまだ死んでなんておらん。そんでたまに私に手紙を送ってくれるんや、基地から。でもおかーさんはお兄は選ばれた人間だから早よ角砂糖になって幸福なユートピア行った方がいいって信じとんねん。一回私宛に来た手紙私に渡さんと燃やそうとしたことあったからそんときも私蹴り飛ばしたわ。次やったらこのババアぜってー殺すと思ったわ」
「何が書いてあるの? その手紙には」
 佳代は今まで見せた中で一番少女らしい、かわいく輝いた顔でお兄さんのことを話す。
「空から見る空がどんだけ果てしなくて、ずーっと向こうまで続いてて終わりが全然わからんのやでーとか。周り中青い色に取り囲まれてるのに、自分のいる場所の空気にはなんの色もついてへんから面白いしきれいだよって。あとは空から見た地上の様子とか、どっかのひまわり畑が見えたよ、とか堺の上通るときには佳代がちゃんと学校行ってるか心配やなあとか、そういうこと」
「佳代はお兄ちゃんのこと好きなんだねえ」と私が言うと、佳代は「当たり前やんお兄が初恋やで、私」と言った。
 十三歳離れてるけどそんなんどーにでもなる話や、と聞いて私は佳代のお兄さんと同い年だということに気付く。「はー、私佳代のお兄さんと同窓生だわ」
「え? おねーさん二十七なん?」
 その驚きがどの種類のものかわかんなくて、「どういう意味で?」と聞くと、佳代は眉間にしわを寄せて「おねーさんまだ二十三くらいだと思ってたわ、社会経験なさすぎ」とため息をついた。
 むかっとしてそりゃこっちのセリフだと思う。佳代は社会経験ありすぎ。しかも普通じゃないタイプの。たまに遠くを見つめているその目は何を見ているんだろうか? 家に帰ることもせず、これから何度も危険な目にあってはそれでも野生の獣のように生き抜いていく、佳代がまだ十四の少女だということに、改めて驚きを感じる。
 日曜の昼過ぎ、佳代は「ちょっと出てくるわー」とふらっと出て行って、夜七時を過ぎたころに五万円握りしめて帰ってくる。「いやーなんなんケチやな、ここいら」
 平然とした顔をしながらぐしゃぐしゃの五万円のしわを伸ばして「はい、これは家おいて貰ってるからおねーさんの分」と私にそのうち一万円を渡す。
「バカ言わないでよ受け取れるわけないでしょ」私はちょっと本気で怒る。「こんな汚い金受け取りたくもないか」佳代は特に傷ついた風もなくそう言う。
「違くて、そういうこといってんじゃなくて、それは佳代の稼いで来た金なんだから佳代が使いなさい」
 私は恐る恐る、聞く。「もしかして本番やってきたの?」
 そう聞くと佳代はアハハと笑った。「まさか。ピチピチの十四歳と本番やるんやで、そんなら八万以上はとらんと割に合わんわ。もちろん交通費は別。今日は暇そーなおっさんとちょっとデートして裸見せて舐めてやったくらい」
 くらくらっとくる。
「池袋ってどっちが栄えとるん? 西口と東口」
 その問いに私は短く「東口」と答える。こんなあっけらかんとしてるけど、私が十四の頃はもっと性に対してあこがれや怯えがあった。もちろん初体験は好きな人としたかったしキャードキドキの季節だった。もう何年前か数えるのも面倒だけど確かに私の「十四歳」はそんなんだった。今だってそれはあんまり変わらない。好きな人とセックスしたい。佳代にはそういう気持ちはないんだろうか? 好きでもない男の人に身体触られて、嫌悪感とか自己嫌悪とか自分が汚れているとか、そういうネガティブな気持ちは持たないんだろうか?
「佳代は好きな人いないの?」
「おるよ」
 佳代は間髪入れずに答える。「その人とエッチしたことある?」と私は聞く。
 佳代はばさばさと私の貸した服を脱ぎ、また違う服に着替える。脱いだ服を洗面所にある洗濯機に放り込んで戻ってくると、簡単に「ない」とだけ答えた。
「私はお兄のことほんまに好きやねん。家族愛とかじゃなくて、恋しとんの。でもお兄はちがう。お兄は私のこと『妹』として好きやねん。だからエッチできないししたことない。私は家出してきた二週間くらい前に錦糸町でショーパブの店長やってるおじさんとのエッチが初体験やった。その代わりそこに住んでちょっと働かしてもらえることになった。後悔とかはしてへん。いい人やったで」
「嫌悪感とか、ないの。いろんな人といろんなことするのに」
「ない。それはもう割り切ってるし、運いいねん私。生理的に無理無理勘弁してや~って人とヤったことないし、そもそもっから人に触ったり触られたりすんの好きだから、その延長線上やと思えば別に何てことあらへんよ」
 うーん、私は佳代が、そういう行為をすることに傷ついていて実は自己嫌悪でいっぱいでできるんなら早く辞めたいと思っていて……みたいなことを期待していたのだが、現実はそうではなく、佳代はもうすでにそういうことを受け入れていて割り切っていて、ほんとに平気そうだった。
「あ、でもお兄とエッチできたら普通に幸せやろなとは思う」
 いざ大阪から逃げてでもなんもできそうなことなくてお金もなくてどーしよーとなっていた佳代の前にあらわれたのが、そのショーパブの店長だった。「なんかな、ちょっとお兄に似てたんや、顔とか」。いろんなことがもうどうでもよくて自棄になっていた佳代は六万円でその人に抱かれるが、意外と紳士的で優しくゆっくりしてくれて処女だった佳代はもちろん結構血が出て痛くて、その間ずっと手をつないでいてくれた。そのあと佳代は泣きながら身の上話をして、店長はそれを聞いてそのまま黙って雇ってくれたらしい。
「ま、雇ってくれたっても皿洗いとか配膳とかやってお小遣い貰ってたって程度や。あとたまにステージで歌わしてくれて、そんときのおひねりは全部私のモンになってた」
「歌ってたの? ショーパブで」
「うん。でも別に歌うまいわけじゃないで、私。ただ店長が私の声好きや言うから」
 えー歌って歌って、と私はお願いする。嫌や恥ずかしいしお金も貰えんやん、と嫌がっていた佳代も、私がお願いし続けると結局小さい声で歌い始めてくれる。
 なんたる偶然、それはあの「 The water is wide」だった。


  There is a ship and she sails the sea
  She's loaded deep as deep can be
  But not as deep as the love I'm in
  I know not how I sink or swim


 船が海を渡っていく。これ以上ないほどに深く荷を積んで、深く。でも私の愛の深さには及ばない、そう歌う佳代の声を聞きながら、私の胸の内にはさまざまな感情が波のように寄せては去っていった。
 その晩佳代は眠りながら泣いていた。私はそれを見て、佳代はやっぱり十四歳のあどけない少女なのだと思う。自分では傷ついてないと思っていてもたぶんちゃんと傷ついていて、それでもまっすぐに前を見て生きようともがいている、立派で気高い、少女の娼婦だった。

 六時半でバイトが終わって七時半ちょっと前に家に帰ってくると佳代はいない。その代わりにラップをかけてあるオムライスだの煮物だのが二つ分机の上にあって、そのうち一方に「チンして!」とメモが貼ってある。でも私は待つ。佳代は早くて十時、遅くて十一時半くらいに帰ってくる。十四歳のくせにたまに酔っぱらっている。そして佳代と一緒にご飯を食べて、風呂に入って一緒のベッドで眠る。
 そんな感じで一週間が過ぎる。
 私はもう佳代に対して今日は何をしてきただのどんな人だったのだのは聞かない。佳代が話すときはもちろん聞くけど、話さないときは聞かない。その代わり嫌な奴にあたった日なんかは、寝るとき私を後ろからぎゅーっと抱きしめて佳代は寝る。そういうのでだいたいなんとなくわかる。
 そんなある日佳代が衝撃の事実を述べる。
「あ、そいや私アビタ人とヤったことあんねん。錦糸町居たとき」
 私ははい!? とそれに答える。淡々と佳代は続ける。「そんで今月生理来てへんわ、そういえば」
 私は慌ててダッシュで薬局行って妊娠検査薬買ってダッシュで家まで帰って佳代にそれ渡してトイレに押し込んでため息をつく。妊娠検査薬なんて自分のためにも使ったことねーよ。
 結果は陰性だった。ほっとする私の後ろで佳代が「生理不順とかいつものことやしへーきへーき」とか言うので私は本気で怒る。
「妊娠してたらどうするつもりだったの」
「産む」
「アビタ人との子どもをか?」
「せやね」
 あのなあ……と私はため息をつく。「産むのにも育てるのにもお金がかかんだよ。佳代が十四歳まで育ってきたのだってすんげーお金使ってんだよ。それが全部じゃないしだからって親に感謝しなさいとか説教するつもりないけど、もし佳代が産んで、辛い思いするのは産まれた子どもなんだよ」
 そう言うと佳代はイライラしながら「産んでくれとか誰も頼んでへんやろ」と口答えする。それに私はぴしゃっと返す。
「じゃあ頼まれてもない子ども作ろうとするんじゃない。避妊くらいちゃんとしなさい」
 佳代は何も言わなかった。


   7


 佳代はそのアビタ人と、勤めていた錦糸町のショーパブで出会ったという。
 その日は丁度店で歌を歌って、そのあと例の店長から佳代を指名した「お客」としてその男を紹介されて一緒にホテルに行く。途中一言も話さないので佳代は「多分この人は口がきけへんのやな」とかわいそうに思う。そしてホテルついて部屋入って振り向いた佳代は仰天する。
「髪の毛真っ白やってん。店にいたときは黒かったから気づかんかったんやけど、それズラで、そいつは実は戦争から逃げて地球人の振りしてるアビタ人やったん」
 やべー私角砂糖に変えられるお兄と最後にキスくらいしたかったと思いつつ固まる佳代に向けて、そのアビタ人は「大丈夫」と言った。
「日本語通じんの?」
 私がそう聞くと、「通じた」と佳代は言った。「でもこっちの喋ってること理解できてるってだけで別にアビタ人が日本語喋ってたわけやないん。テレパシー送ってくんねん」
 うわ出たテレパシー。マジであるのかそんなん、そう思っていると佳代が「ほんまやねん、なんか頭の中でしゃべってくんねん」とちょっと怒ったように言ってくる。「信じてるよ大丈夫だよ」と私は笑う。
「そんで私が『私んとこ殺すんですかね~?』てビビりながら聞いたら、頭ん中で『殺さないよ、大丈夫』て答えてくんねん」
 うんうん言いながら聞いていると佳代が神妙な顔をして言う。「でも本当にビビるのはこっからやねん。そのアビタ人お兄の声で喋るねん」
 ん? どういうことだ? と思っていると佳代が見解を述べる。どうやらアビタ人のテレパシーは、その人が聞きたい人の声で再生されるのではないか、と佳代は言う。
「なんか聞いたりすると、お兄の声で返事してくるから私はお兄に会いたくなってめちゃめちゃしんどくなって、そのアビタ人に声出せないのか聞いたねん。そしたら普通に出せる言うから喋ってもらったらエエ声してたよ。何語喋ってんのかは全然わからんかったけど」
 へー、じゃあ多分全国各地で「ユートピアユーフォリア」に保護されているアビタ人は、そのテレパシーで意思疎通はかってんだな、と私は考える。そしてその声は聞く人によって違い、その人の一番聞きたい声で再生される。愛する人を失った人たちの集まりでもある「ユートピアユーフォリア」でアビタ人が続々と保護されてるけど、そのテレパシーはよく考えると結構残酷だなと思う。もういない人の声が聞けるのだ。アビタ人が神の使いだって言われてるのも納得できるし、角砂糖になってユートピア行っちゃった魂が降りてくるってのにも説得力が増す。
「どんな感じの声だった?」
 私がそう聞くと、佳代はうーん、としばらく考えて、貝殻耳に当てたときみたいな低い声、と答えた。どういう声なのか全く伝わってこない。でも詩的だね、と言うと佳代は「私国語はいっつも五取ってたわ」と斜め上あたりの答えをくれる。こいつアホだなーやっぱ中二だなーと私は微笑ましい気持ちになる。
 その貝殻の声をしたアビタ人の名前は「しゃろ」だと佳代が言った。しゃろ? シャロ? なんだその名前と思っていると、「私も最初一回で聞き取れんかったから三回くらい聞き返したわ。でも確かに『しゃろ』って名前で、アビタ人の言葉で『知恵のある人』っていう意味らしいで」
「アビタ語やっぱあるんだ」
「あったんや。で、『しゃろ』は結婚してて、奥さんは『ミタカア』て名前で、『きれいな川』て意味らしい」
 そういう話を聞いていくとぼんやりとしたアビタ人という敵が、急激にリアルな存在として自分の前にあらわれてくる。今まで侵略戦争起こして空から光の筋と共に降ってきて男たちを角砂糖に変える、圧倒的加害者、「悪」のアビタ人もまたちゃんとした世界をもって生きていて……と思うとなんだか戦争に対して微妙な気分になる。
「第三の手は? なかったの?」と私が聞くと、佳代は「なかった。そこだけきれいに禿げててん」と答えた。
 てことはそのアビタ人は犯罪者ってことなのか? 第三の手は神聖でとても大切なもので、それをちょん切ってしまうというのは非アビタ人道的な行いだと、私は泰幸との会話を思い出す。
「アビタ星はな」
 と、佳代がそのアビタ人からテレパシーで聞いたことを教えてくれる。ここからは、アビタ人がなぜ突如として地球を襲ってきたのか、なんの目的で男たちを角砂糖に変えているのか、そういう話。

「アビタ星は、地球より二回りっくらい小さい星らしいんやけど、環境とか経済とか国とか、そういうのが地球とよく似とるんやって。地球みたいに朝と昼と夜があって、川とか海とか山とかあって、男と女がいて、いくつかの国とか言葉とかあって、食べ物とかお金とかの商売のシステムもあって、そりゃ非常に地球に似とるらしいんよ」
 
 アビタ星は環境も文化も地球によく似ていて、そこではいろんな歴史があり、愛があり人々とその生活があった。戦争も宗教ももちろんあり、お金もあり貧富の格差もあり、都市もあれば田舎もある。ただ科学力は地球よりかなり高水準で、それを除けばほんとに地球とよく似た、言ってしまえば地球とうり二つのような星だった。
 しかしある日突然アビタ星に悲劇が襲う。それは謎の伝染病だった。
 それはアビタ人の女にだけ感染し、しかも感染者を百パーセント死に導く。アビタ星からは一気に女が減っていき、「しゃろ」の嫁「ミタカア」も例外ではなかった。二人の間にいた娘もその伝染病に罹って死んでしまった。科学者であった「しゃろ」は、他の仲間たちと必死になってその伝染病の原因を探るが、アビタ人たちの高い知能をもってしても原因は一向にわからない。その病がどこから持ち込まれたものなのかさえもわからなかった。ただ研究の結果その病は、アビタ人の女の持つ特定の遺伝子にだけ反応し発症するものだということだけがわかった。さて、どっかで聞いたことのある話だ。そこで一人のアビタ人がある提案をする。
 「アビタ星とよく似た星を探し、この伝染病の仕組みを応用したウィルスをばらまき、その星の男を滅ぼしてアビタ人の血を残そう」、と。
 幸いにも地球はアビタ星よりも科学の発展が遅く、アビタ人たちはさっそくウィルスを作って侵攻の準備をする。でも何人かのアビタ人はそれに反対した。自分たちのこの辛さを、愛する人々を失う悲しみを、自分たちは知っているのになぜ他の星の人間に与える必要がある? と。「しゃろ」は反対した中の一人だった。だから第三の手を切られた。「麻酔も使わんとゴリゴリ切られて死ぬほど痛かったって言っとったわ」。そしてさっさと死ねとばかりに第一陣として最初に地球に送られた。そのときから「しゃろ」はずっとずっと逃げ続けているという。そしてもうすでにアビタ星に女はただの一人もおらず、最後の一人になるまで今も壊れたポンプのごとくアビタ人の男を地球に送り続けている。
「私がな、その『ミタカア』と同じくらいの歳だったんやって。なんやアビタ人全員ロリコンなんか? て聞いたらロリコンて言葉自体が通じなかったから意味教えたった。笑っとったわ」
 そんな三文にもならないようなつまらんSFは暖炉にくべるべし、全部ロシアに送ろうと思った私は話をする佳代の真剣な目を見て、それが本当に起こったことなのだと悟る。
「ヤったの、そんで」
 私がそう聞くと、佳代は「うん」と答えた。「『しゃろ』が考えたことはな、全部お兄の声になって私の頭ん中に届くねん。ヤってる途中でも。それが悲しくて私は泣いて、それから『しゃろ』は頑張って何も考えんようにしてたけどやっぱ無理で、やっぱお兄の声で、もうどうしようもないやん、笑ってしまったわ、最後は」
 人間の男となんも変わらんかったよ、と佳代は言う。温度も、形も、身体の機能も。「あ、でもそんとき私のパンツ白やってんけど、アビタ人ふつーに白見えるで。だからガンガン飛行機雲出しとるセストラルは全然ステルスやないし、家の屋根なんぼ白くしたって無駄や。たぶん軍のお偉いさん方と、『ユートピアユーフォリア』信者の皆様は知っとるんやろね。でもアビタ人にとって『白』は聖なる色らしくて、触れたり見たりするのにちょっと、ためらうらしいんや」と佳代は笑う。うわ、ひでーなと私は思う。いろいろなんか、無駄じゃん。勝ち目ないじゃん。セストラルもそれ作った世界中の天才も、信じて屋根の色塗り替える一般市民もみんなアホじゃん。
 今の軍の装備とかは基本的にやっぱ「白」を基調に構成されている。おバカな人間達はアビタ人には見えないと思っているのだ。でも世界中に同時的無差別に降りてくるアビタ人がその光線銃で一般人を撃たずにおとなしく閉鎖地区に行ってくれるのは、たぶん「白」が神聖な色で見たり触れたりするのためらうていうのと関係してるんだろうと思う。畏れみたいな感情を利用した、まあ脅しみたいなもんだ。ならやっぱ全く効果がないわけじゃないよなと私は思い直す。よく田舎の畑にキラキラ光る丸いビニール風船とか聞かなくなったCD吊るしてあったりする。私の実家の畑にはよくあった。それと一緒で、鳥避けみたいなもんだ。
 つまりセストラルは約十億円の迎撃機能付き鳥避け。笑える。
「アビタ人と私たちと、色の見え方はたぶんそんな変わらへん。アビタ人が本当に大切に神聖にしてるのは『透明なもの』で、目に見えないもので、そこから派生して『白』も神聖な色になったんやって。雪て降ってるとき白いけど溶けると透明になるやん。それと一緒だって、『しゃろ』は言っとった」

 そして「しゃろ」から日本円でしっかり八万受け取った佳代は、数日後店長に呼ばれて、この辺でソープ嬢とヤったアビタ人を軍が探し回っていると聞かされる。店長も佳代からの報告を受けて初めてそいつがアビタ人だったと知り、お前ちょっと立場が危ないからしばらくここから離れてろ、と言われる。そういうわけで佳代はいったん錦糸町の店を離れ、関東をうろうろしつつ日々を凌ぐ。そして私に拾われたのだった。
「どっちが勝つと思う?」
 佳代がそう私に聞く。
「地球人と、アビタ人と、どっちがってこと?」私がそう聞くと、佳代は首を横に振る。「ちゃう。軍アンド国家と、『ユートピアユーフォリア』」
 なんで? と聞くと佳代は「だってもう多分、アビタ人相当地球に溶けこんどるで。全然違いないんやもん。そんで『ユートピアユーフォリア』はアビタ人守るために武装しはじめたやん。まだドンパチするまではいってないけど、たぶんそのうちそうなるで」
 状況は思ったより複雑で、アビタ人は唯一絶対の「悪」ではなくてそれなりの事情があって、「しゃろ」のように優しい人もいる。そういうことを知ってしまうとただもうアビタ人殲滅すべしとか言ってられなくなる。
「私、お兄に生きててほしいと思うし、ガンガンアビタ人撃ち落としてバッチリ回転決めるお兄のことかっこいいし好きやと思う。でもお兄に『しゃろ』のこと殺してほしくないねん。そう思うとクソみたいな教えやけど『ユートピアユーフォリア』は戦争する気のないアビタ人のこともっと守ってほしいと思うし、でもそこに入り浸るおかーさんは目がイっとるしもう何が何だか私にはわからん」
 私もまったくそう思う。
「私べつにアビタ人との子ども産んでもええと思っとるで。なんかこう、和平の道みたいなもんはないんかな?」
 私は佳代の話を聞いて、佳代とおんなじように何が何だかわからんわ、と思う。こうしているうちに誰かはアビタ人に角砂糖に変えられていて、でもその一方では別にいーじゃんハーフ増えてもウィンウィンじゃんとか思う。でもそのあとすぐに戦争してる泰幸とか未亡人みたいに愛する人を角砂糖に変えられちゃった人のことを考えて、アビタ人に同情することに対して罪悪感を覚える。その晩私と佳代は胸中複雑なまま抱き合って眠る。そんで二人そろって夜中に目を覚まし、カーテンの向こうに光の筋を見る。午前二時半ちょっと過ぎ、二人でアビタ人の降臨の瞬間を見る。


  8


 なんか突然目が覚めて起き上がると隣で眠っていたはずの佳代が「なんか」と言った。振り返ると佳代と目があう。そこで佳代は緊張した面持ちで「なんか」ともう一回言う。私も「なんか」と答える。そう、なんかだ。なんかが来てる。
 枕元の時計を見ると午前二時半ちょっと過ぎで、でもそれにしてはカーテンの向こう側がぼんやり明るい。なんか、と思って私はカーテンを開けようと窓側に寝ている佳代を跨ぐ形で手を伸ばす。佳代は私の手の下からごそごそ起き上がって、一緒にカーテンに手をかけて開ける。

 光が降っていた。
 空から五本くらい、太い光の筋がサーチライトのように一直線に地面に向かって伸びている。よく見るとその中にちらちら光るものがゆっくりゆっくり降りてきているのがわかる。
「アビタ人や」
 佳代がそう呟いた。嘘だろ、と私は思う。そりゃアビタ人はいつどこに降りてくるかなんてわかんないし予告もしないし予測のしようもない。でもこんな時間にこんな近くに、アビタ人が降りてくるなんて思ってもいなかった。私はこの辺閉鎖地区何個あるんだどこだと必死で考える。夜の雲を割って降っている光の方向はたぶん和光あたりだ。やばいぞ、私はそう思う。降りてくるアビタ人の姿がはっきり見えないからある程度距離はあるんだろうけど、それでも光が強すぎる。そのうちパラパラパラパラ……と自動小銃の掃射音や車の音が小さく聞こえてきて軍が急行してきたのがわかる。囲い込めるのか?
 この光景を見ている人は私たちの他に何人くらいいるんだろうか? 結構危機だ。アビタ人がピンポーンおじゃましまーすとか礼儀正しく訪ねてくるわけない。突然窓ガラスがバシャーンと割れてアビタ人が押し入ってきて何も言う間もなく角砂糖、とかあり得る話だ。
 気がつくと私と佳代は震える手をぎゅっと繋いでいる。繋がったところからお互いの手の震え方の少しずれたリズムが伝わってくる。しばらくそのまま手を繋いで、目の前の光の筋を二人でじっと見つめるけど、消えない。五分くらい経ってもそのサーチライトのような光は消えない。おいおい何人くらい降りてきてんだよ長すぎるよ怖いよ、と私は思っているのだが、やがてそこに別の気持ちが芽生えて混ざり始めるのを感じる。でも私はそれを認めたくない。そのかわりに佳代がそれを言葉にする。
「めっちゃきれいや」
 同じことを思っていた。
 目の前の光の筋は本当に圧倒的に光だった。真っ白くて太くて力強く、地球に向かって迷いなく伸びている。なんで強い光が白く見えるのかわからない。人間が色を認識するシステムって光の反射がどうたらこうたらで……てことは知ってるけどどう反射したら白になるのかはよくわからない。光は本来ならば透明なはずなのにとにかくその光は白くて、私はたぶんアビタ人と同じように、それを「神聖だ」と感じる。怖いという気持ちがだんだんと薄れていって、ただ「きれいだ」という気持ちだけが残る。あそこにはアビタ人が降りてきていて、軍がそれと対峙して脅して撃って殺しながら閉鎖地区に追い込もうと必死になっている、なのに私の中にはその光が美しいという気持ちしかなくなり、怖いとかはもうすっかり消えてしまう。
 光はまだ消えない。私と佳代はやっぱり強く手を繋いだままその光を見つめている。佳代が突然口を開く。
「おねーさん、好きな人おるん?」
 私は光の筋を見つめたまま答える。「いた。大好きだった。愛してた」
「いま、どこにおるん」
「戦争に行った」
 佳代は「そか」と言って黙る。泰幸は今どこにいるんだろうか、この光をもしかして見ているんだろうか?
「もう一人、好きになりそうな人がいた。その人はまだ死んでないし戦争にも行ってない、でも今もうどこにいるのかわかんない」
 そう私が言うと、佳代はまた「そか」と短く答えた。私は真っ白な光の筋を見ながら、なんとなくあのとき朋くんに言われた魂の話を思い出す。
「その人がね、言ってたんだけど、人の身体の中には魂が詰まってて、私とか佳代もそうだけど、皮膚の下にはすぐ、魂があって、私たちの身体はその魂で満たされてて」
 そこまで言って私は、なんか泣きそうだと気付く。でもなんで泣きそうなのかはよくわからない。なぜだろう、あの光はせつない。死にたくない、生きていたい、生き残りたいというアビタ人の死に対する戦闘エネルギーみたいなものがあの光なんだろうか。なんて切実な、必死な光なんだろう。
「私たちの身体は魂で、満たされてて、わ、私たちが、触れてるってことは、魂と魂が、触れ、触れてるってことで、でも、魂は、目に見えなくて、透明で」
 気がつくと結局私はぼろぼろ涙をこぼしていた。喉の奥の方がぐぐっと詰まってうまく言葉が出てこない。美しくて神聖で切実な光の筋を目の前にして、私は意味のわからないことを佳代に話し続ける。意味わかんないだろうなと思っても、なぜかそうせずにはいられなかった。繋いでいる佳代の手はちゃんと温かくてやっぱり私は魂の温度について考える。満たされている。身体中。
「大事にしたかったんやな、みんなのこと」
 佳代も光の筋を見つめたまま、そう言う。全然会話繋がってないけど私はその言葉を自然に受け取り、そうだよ、大事にしたかった、と思う。泰幸のことも大事にしたかった、もっと。朋くんのことも大事にしたかった、もっともっと。こんな風に失ってしまう前に。自分のお父さんやお母さんやじーちゃんやばーちゃんや、友達や、友達のまた友達や、自分の愛している人がこれまた愛している人まで、もっともっと大事にしたかった。「だ、だいじにしたかった、もっとちゃんと、大事にしてるって、言えば、よかった」
 もっとちゃんと伝えればよかった。もっとたくさん愛してると言えばよかった。そのままグシャグシャに泣き続ける私を見て、佳代が突然「よっしゃおねーさん、抱いたるわ」と言う。なにを生意気な、十四のくせに、しかも私は別にレズっ気とかはないぞと考えている間に、私は佳代に抱きしめられている。
 温かい佳代の魂に触れて包まれている。
「えま」
 佳代が私の名前を呼んだ。そう、今更だけど私の名前は「えま」と言うのだ。先も述べたようにこれで昔は外人外人からかわれていたのであんまり私は自分の名前が好きじゃない。もっと普通の名前がよかったーと思うことがたくさんあった。
 外国圏での「エマ」という名前は語源が「癒す人」だと言う。アビタ人の「しゃろ」や「ミタカア」にちゃんと意味があるように、人につけられた名前には必ず意味が込められている。でも自分はその語源のように他人を癒すタイプの人間じゃないと思うし、両親がどんな意味や願いを込めてつけたのか聞いたことがないのでわからない。まあでも実際とりあえず私にはそういう名前がついている。
 佳代がその名前を呼ぶ。そうするとなんとなく生まれて初めて、「癒す人」という自分の名前がしっくりくるような気がする。いや今癒されてるのは私の方なんだけど。
「えま」
 佳代が私の名前をもう一度呼んだとき、それは佳代の声ではなかった。それは、泰幸の声だった。私はびっくりして思わず佳代の顔を見る。でも佳代は「ん?」みたいな目で私を見て、再び腕にぎゅっと力を込めて私を抱きしめ、私の髪の毛の中に手を差し込んで優しく撫でながら、「よしよし、えま」と言う。そしてそれは今度は、朋くんの声だった。
 私は突然思い出す。泰幸とまだ付き合ってた頃、なんでもない日にデートして居酒屋で「えま、何飲む?」と言われたそのときのことを。朋くんとセックスしたあとの夜明けのベッドの中で「えまのすっぴんの方が好きだよ」と言われたそのときのことを。お父さんが「えまはすぐ無理するからあんまり考えすぎるな」と言ったときのことを、お母さんが「えま、早く地元帰ってきてくれたら安心すんだけどな~」と言ったときのことを。今まで出会ったすべての人たちが愛をこめて私の名前を呼んだときのことを。過ぎ去っていった人々の声を、今ここで起こったことのように唐突に思い出す。
 わかった佳代はたぶん、ほんとはアビタ人なんだと私は思う。
 なんかのわけあって一人だけ生き残ってしまった、アビタ人最後の女、それが佳代の正体だ。
 アビタ人のテレパシーはその人の一番聞きたい声になって聞こえてくる。
 なんの理由かわからないけど、佳代は何かを私に伝えるために人間のふりして私の前にあらわれたのだ。
「えま」
 何重にも重なって、私が愛している、私を愛しているすべての人の声が聞こえる。
「愛してる」
 ずっとずっと前から今でも愛してると、泣きながら私がそう言うと佳代は「知っとる」と笑いながら答えた。それはもう誰かの声ではなく、聞きなじんだ佳代の声だった。佳代、愛を大事にしなさい、私は心の中でそう佳代に向かって語りかける。佳代はたぶんアビタ人なのでテレパシーが通じるはずだ、と思いながら。佳代、愛を大事にしなさい。愛は見えない、魂と一緒で。でもちゃんとある。これから先、佳代が愛しているということを大事にしなさい。愛してる人にちゃんと愛してるって伝えなさい。それが大きくても小さくても順序があっても、すごく愛してる人もいればちょっとしか愛せない人もいても、とにかく愛してたら愛してるってちゃんと伝えなさい。私は佳代の腕に抱かれながらそう語りかける。佳代からの返事はなかった。そしていつの間にか光の筋は消えていて、世界は午前三時近くの静寂と暗闇を取り戻していた。「きれいやったな」と佳代が言う。
「それにしてもおねーさん、泣きすぎやろ」
 私はまだビショビショに泣いていて、うるさいなと答えようとしてもやっぱり言葉にならずにただただ涙だけが流れ続けて、答えの代わりにしゃくりあげる。それを見て佳代が笑って、そこからまったく覚えていない。私は佳代に抱きしめられたまま泣きながら気を失うようにして眠りについた、らしい。佳代曰く、「死んだかと思ったわ」。

 その週の金曜日の遅番が終わって十時前に家に帰ると机の上にご飯があって、やっぱりそこにメモが貼ってあるのだが私はもう佳代がここに二度と帰ってこないということを確信する。机の上にあるのは一人分のオムライスで、そこに貼ってあるメモにはやっぱり「チンして!」とあって、そしてその下に、「愛してる 佳代」と書かれていた。
 私が佳代を「拾って」から、丁度二週間だった。
 佳代はもうここには帰ってこない。またどこか繁華街を流れ流れて知らない男とヤってお金もらって生きてくのかもしれないし、錦糸町の店に戻ったのかもしれないし、もしかしたらいつか大阪の堺の両親の元に帰るのかもしれない。でももう佳代は「ここ」には絶対戻ってこない。
 私は佳代の書いた「愛してる」という文字を見て思う。
 サンキュー佳代、私も愛してる。もうこれ以上ないくらい。


   9


 本日は晴天ですという天気予報のあとに昨日の戦闘では地球で千二百人が角砂糖になり、でもアビタ人は千三百人死にました、とお天気お姉さんが伝える。
 世界は確実におかしな方向に進んでいって、戦争は泥沼化し、もう誰が何人何個の角砂糖になってしまったのか、多分正確な数字は誰にもわからない。ガトリングガンとかで蜂の巣にされたアビタ人の大量の死体は今日も海沿いに建てられた焼却場で焼かれ続ける。そこには慈悲とか感情とか、ない。燃えるゴミの袋と一緒に次々ぽいぽい入れられて灰になる。
 でも私の世界はあんまりなんにも変わっていない。
 正確には私の「把握できる世界」はあんまり何にも変わってはいない。
 
 二月に入ってすぐに私は一週間くらいバイト休みをもらい、久しぶりに実家に戻る。トンネルを抜けたらなんとやら、高速バスの中でふと目を覚ますと山は一面雪景色で、あー長野だ、まだ冬だ、と私は思う。実家は無事でみんな元気でいてくれて、久々に帰った私を歓迎してくれる。私は実家に帰ってやろうと思っていたことがあるのでそれを実行する。
 大事な人々を抱きしめて、その魂の温度を感じるのだ。
 この怒涛の何か月間で私はいろいろなことを学んだ。忘れてしまわないうちに、覚えていられるうちに、復習は大事である。まずは父から。
 ただいまと玄関を上がると実家の匂いがする。その家にはその家の匂いがあって、私は実家に入るたびに「あーうちの匂いだ」と思う。一人で暮らしている部屋とはまた違うその匂いは私を安心させる。夕方新宿から高速バスに乗って長野駅についてそこからローカル線に三十分くらい乗って、家に帰ったのは夜十時半過ぎだった。お母さんは寝転がってテレビを見ながら「おかえりー」と言った。お父さんは駅まで私を迎えに来てくれて、車の鍵を机の上に置いて、「元気にしてんのか」と私に言う。それに答えずに私はお父さんに抱きつく。「お父さん大好きー」
 もちろん二十七歳の娘が突然こんなことしてきてお父さんはちょっと困惑するしなんか辛いことでもあったのかと心配する。でも私は関係なくそのままお父さんに抱きつき続ける。お父さんはなんかよくわからない反応をしながら私を抱きしめ返す。これがお父さんの温度。
「はい次お母さん~」
 と言いながら私は寝転がっているお母さんの隣に横になってこれまたぎゅーっと抱きしめる。お母さんは笑いながら「おかえりー」と言って、やっぱりちゃんと抱きしめ返してくれる。変な家族。そう思いながらも私はとても嬉しい。これがお母さんの温度。
 そして久しぶりの実家の自分の部屋のベッドのなかで、私は眠る前に泣く。やっぱ感動屋なのだ。すぐ涙出る。都会で一人で帰ってもこないで好き勝手フリーターして、そんで突然戻ってきたと思ったら抱きしめてくるわけわかんない娘のことを、両親はとても愛しているということを改めて知って、お父さんもお母さんもあったかくて、私はものすごい泣く。愛のために泣く。悲しいんじゃなくて嬉しくて、それでもこの温度をしばらくしたら私はやっぱり忘れて失ってしまうんだろうということが切なくて、泣く。
 次の日は祖父母に会いに行く。
 久しぶりに会ったばーちゃんはもともと小柄な人だったんだけど、さらに縮んでいて私は少しびっくりしてしまう。ばーちゃんは今までの人生、一生懸命生きて死の手から逃げ続けてきて、でもそろそろ死がそこに追いつこうとしている。戦争とはまた関係ない純粋な死が近づいている。生まれてくれば必ず死ぬ、それは仕方ない。ばーちゃんは今まで一生懸命生き切ってきたし死ぬのは仕方ない。そう思うけどやっぱまだもうちょっと頑張って走って逃げて生き続けてほしいと私は思う。
 ばーちゃんももちろん抱きしめる。身長百六十センチの私の胸あたりにばーちゃんはすっぽり収まってしまう。
「えまのことばっか苦にしてるだに、早く帰ってこい」
 ばーちゃんは長野の真ん中あたりの生まれで、方言で私にそう言う。
「心配しなくて大丈夫だよ、ばーちゃん長生きしてよ」
 そういうとばーちゃんは「言われなんでもえまが嫁さ行くまで生きるだ。ばーちゃんは百まで生きるだ」と言う。私は笑って「じゃあ私お嫁行かない。ばーちゃんそしたらずっと生きててくれるし」と言うと、ばーちゃんは「なに馬鹿なことせってるだに、早くいい人見つけるだ」とちょっと怒る。ちなみに「せう」というのは「言う」という意味です。随分小さく細くなったばーちゃんを腕の中にしまって、これがばーちゃんの温度。私はそう思う。
 菊作りが得意だったじーちゃんは、寡黙でちょっと天然入った人なのだが、しゃべらなくても相変わらずそこにいるだけでなごむし面白い。じーちゃんは背が高くて抱きしめづらいので、私は座っているじーちゃんのことを後ろから抱きしめる。じーちゃんは二十七歳の孫娘に突然抱きしめられてちょっと照れている。じーちゃんにも長生きしてほしいと思う。昔は頼もしく大きく見えたじーちゃんの手は、相変わらず大きいけど確かな老いを感じさせて私を切なくさせる。その手の色合いや、刻まれた皺やシミは、長く生きた木の肌を思い出させる。「じーちゃん長生きしてね」と言うと、じーちゃんは「おお」と答えてくれる。これがじーちゃんの温度。
 お父さんやじーちゃんはまだ「しるし」が出ていなくて、戦争行かなくて済んでいるけど私は佳代にアビタ人についてのいろいろを聞いているので、このまま戦争が続けばお父さんにもじーちゃんにも必ず「しるし」が出るだろうことを知っている。その前に早く戦争終わんないかなと思う。この温かい魂を、そんなあるわけないユートピアになんて連れて行ってたまるか、角砂糖になんてしてたまるか、と思う。
で、今この瞬間にも誰かの愛している人をガンガン角砂糖にしているアビタ人はやっぱり許せないし戦うしかない、アビタ人殲滅すべしと思う。でも、それとはまた別のところで私はアビタ人の中にも「しゃろ」のような優しいやつもいると知っているので、その気持ちは殺せ殺せ! というよりもどっちかというと生存本能に近い気持ちだ。私は生き残りたい。好きな人にも生きていてもらいたい。そのためには今のところ戦争が続いてアビタ人を殺していくしかない、という消極的殺意。例えば今地球人口が七十億人いるとしたら、単純に二で割って三十五億人の男を角砂糖に変えたらアビタ人の勝ちだ。果てしない。そしてアビタ星は地球より小さいらしいけど、そう考えても私たちは二十億人くらいのアビタ人を殺さなければ戦争なんて終わらない。もしかしたら私の生きている間に戦争なんて終わらないかもしれない。アビタ人はウィルスをばらまいて地球の男に「しるし」をつけて全部殺して、地球の女と子どもを作ってその血を残すつもりでいるし、地球人たちはそれに全力で抵抗しているからだ。
 でも去年の夏ごろは無理無理アビタ人とか絶対無理子ども産みたくないという気持ちだった私は、今はべつに地球人でもアビタ人でもいいからいつか本当に愛している人と一緒になって、家族を作って、愛をつないでいきたいと思っている。そう考えると変わったと思う。あの光の降った夜、もしかしたら敵であるアビタ人の最後の女だったのかもしれない佳代は私に愛というものの不確かさと、その真逆の確かさを同時に教え、私をそんなふうに変えた。

 地元にはほかにも親戚とか友達とかいろいろ大事な人たちがいるのだが、さすがに一人ずつ会って突然抱きしめるわけにもいかないのでとりあえずここでいったん終了。なすべきことをなした私はそのまま五日くらい実家に滞在して、お母さんの作ってくれた料理を食べて、冬の寒さに震え実家の風呂の広さと熱さに感動する。そんな今まで知っていたようなつまらない小さなことを改めて一つずつ発見していく。田舎の夜の静けさと月の明るさを思い出し、寒すぎる夜中のベランダに出て冬の星座を数える。童心に帰り一人で雪だるまを作って遊んだりする。実家は農家なのでだだっ広い林檎畑があるのだが、その裸の枝に積もった雪の美しさを目に焼き付けようとする。私の家から一キロくらい山の方に行けばもう閉鎖地区だ。このたくさんの林檎の木も全部切られていつ閉鎖地区になってしまうかわからない。私はいろんなことを覚えていようと頑張って記憶に焼き付けようとする。でも結局忘れてしまうことを知っている。記憶もやがて失われていってしまうことを知っている。でも、それでも覚えていたいと努力する。雪は真っ白で空は灰色で曇っていてしかも寒い。でも私は耳が痛くなって耐えられなくなるまで、だだっ広い林檎畑の真ん中に立ち尽くして目の前に広がる世界をぼんやりと、でも見続ける。
 実家ではお決まりだが早く結婚しろだのしかも実家に帰って結婚しろだの婿をもらえだのいろいろ言われるがそれはそれで別に聞き流して、みんな私のこと愛してて心配なんだなと変換する。私も愛してるよ、と口に出して言うのはさすがに恥ずかしいので私は家族みんなに「愛してる」とテレパシーを送る。多分届いたはず。家族が私の愛を忘れかけたころ、私が家族の愛を忘れかけたころに、また近いうちに帰省しようと私は思う。そして実家に別れを告げ、また一人の暮らしに戻る。
 私はバス乗り場についてきてくれたお母さんにだけ、別れ際「愛してるよー」と言う。結構ちゃんと恥ずかしい。お母さんは「ばかじゃないの」と言って笑うので私はムキになって「だから愛してるってば!」とバスの出発時刻ギリギリまで言い続ける。お母さんは最後には「私もえまのこと愛してるよ」と言う。ありがとうお母さん、と言うと「身体大事にしなさい」と言われる。今の私には、言われるすべてのことが愛の言葉に聞こえる。

 一人暮らしに戻って、相変わらず花屋で働き続けて三月になって、早春の花が店頭に並ぶようになる。日本水仙、蝋梅の枝もの、スイートピー、ストック、チューリップ。どれも美しくいい匂いがして、店中がその甘い匂いで満たされる。
 そうか、春が来るのかと私は思う。そしてこの春で、戦争は四年目に突入する。冬の曇り空では見え辛かったセストラルの残す白い飛行機雲も、春の洗い流されたような晴れた空にはよく映える。
 そうして今日も誰かの命は失われていく。人間もアビタ人も関係なく、とにかくどこかで平穏に幸せに生きていくべきだった人間が死んでいくのだ。
 それでも春は来る。何度絶望に突き落されても私の世界には何度も春が来る。世界だって、何度絶望に突き落されても、知らん顔して冬のあとには必ず春が来る。

 それって結局希望に似ている。
 未亡人が愛する夫と幸せな未来と自分の身体を理不尽に何の理由もなく突然奪われて、何もかもを憎んで世界が滅びろと呪って、それでも生き続けている理由。それでもどうしても失えなかったもの。

 それは希望だ。

 ある日私は夢を見た。
 あたたかい日差しの降るワンルームの部屋のソファで、私はアビタ人の男に膝枕をしている。ソファは私の好きな春の若草のような薄緑色で、私とアビタ人の体重を受け止めて柔らかく沈んでいる。私のお腹の中にはそのアビタ人との子どもがいて、アビタ人は普通の二本ある手で私のお腹を優しくさすり、産まれてくるのをとてもとても楽しみにしている。アビタ人の頭頂部から生えた第三の手を、私の右手が握っていて、空いた左手で私は彼の髪を梳いている。第三の手は優しく、でも確かな力を込めて私の手を握り返している。私は笑いながら、アビタ人のその白い髪がどれだけ美しいかを言って聞かせる。アビタ人である私の夫はそれを聞いて幸せそうに笑う。私もとても幸福で、リラックスしていて、そこには何の不安もない。
 そうして目を覚ましたあと私はなんでかわかんないけど泣いた。いつも私の感情は私の都合お構いなしに溢れてこぼれる。私は自分が何で泣いてるのかよくわからなかった。それが余りに幸せな光景だったからだろうか。真っ白な髪の色だけを覚えていて、彼の顔は思い出せなかった。 目を覚ましてしばらくしても私の右手にはまだアビタ人の第三の手の温かみが残っている。神聖な第三の手。そしてその魂の温度。

 私は口ではせんそうはんたーいとか言ってるけど、多分人類世界平和とか絶対なくて、宇宙船地球号とかいう言葉をすんごいバカにしていて、ラブ&ピースとか来るわけねーだろアホかテメーとか普通に思う。
 理想を掲げるのはいいことだ、そこに向かって努力することも。もしかしたらそれが叶って本当にバカになるのは私かもしれない。でもそれはいい。というかそっちのほうがいい、普通に考えて。
 でも多分そうはならない、と私は思う。
 たとえば遠くアフリカで飢餓に苦しむ子どものこととか私には考えられないし、スリランカの戦争で夫を失った女の人のこととか私には考えられないし、それは私にとっての現実ではない。かわいそうだなと思っても何にもできることなんてない。
 たとえこの戦争がアビタ人全員殺して無事に終わっても人はまた別に新たな敵を見つけて自分の譲れないものをかけて争い続けるだろう。たとえばそれは佳代の言ったみたいに「ユートピアユーフォリア」対国アンド軍かもしれない。
 世界は一つになんかならない。
 絶対。
 だから私は私の小さな世界の中で周りの大切な人を大切に守りたいと思う。そのためだったら私は、栄光の女兵士第一号として多分すごい勢いで戦って自動小銃ぶっ放してアビタ人虐殺しまくると思う。ジェノサイドする。
 そして多分アビタ人たちもそうなんだろう。自分たちの希望を、大切なものを守るために、小さな幸せや喜びを守るために、地球を目指して飛んできて男たちを次々と角砂糖に変える。
 絶対に分かり合えたりなんかしない。

 泰幸は生きてるかな、と私は思う。生きていてほしい。まだどこかで泰幸は生きていて、泰幸の小さな世界の小さな喜びや大切なものを守るために戦っていてほしい。そして泰幸の守りたい世界のその中に私は入っているんだろうと思う。
 朋くんはどうなのかな、と私はまた思う。もう二度と会えなくたっていいから、それでもやっぱり生きていてほしいと思う。もうすでに朋くんは私の小さな世界の中に組み込まれていて、それを失うということは私は私の世界の一部を失う。戦争に行かないでほしいし、それよりも死を選ばないでほしい。死が朋くんを選んだとしても、そこから逃げ続けてほしい。本気で。その人生の空虚さや無力さと戦ってほしいと思う。朋くんの全力をもって。
 そういうの私の自己満足でわがままなのかもしれない。でもいまはそういう風にしか思えない。
 この戦争にどんな結末が待っていても、たとえ好きな人が全員死んでアビタ人が侵略大成功してアビタ人との子供産まされることになっても、おそらく私はその子供を愛するだろうしなんらかの希望や幸せを見つけてしまう。
 私と泰幸も、私と朋くんも、厳密には分かり合うことなんてできない。
 でももう彼らは私の一部なのだ。朋くんの言うように魂が本当に身体に入っているんだとしたら、もう彼らは私の魂なのだ。私の家族も友人も、僚子さんもしのぶさんも荻野さんも、佳代も、そして未亡人でさえも。
 生きていてほしい、私は何度も何度も祈る。

 春が来ると私は二十八歳になる。
 拝啓、早春の候いかがお過ごしでしょうか?
 沈丁花の花が咲いている。窓を開ければ甘い匂いと柔らかな日差しが私の部屋に入ってきます。今月も八万円の家賃払って水光熱費雑費食費もろもろ稼いで私は必死に生活をします。
 この世にユートピアなんてない。というかどこにもユートピアなんてない。今日も空には飛行機雲だけを残してアホのセストラルがやっぱり大量に飛ぶ。人々は今日はアビタ人が何人死んで、地球人が何人死ぬのか考える。そして死に行く地球人の中に、自分の愛する人はいないか心配するんだろう。「ユートピアユーフォリア」では人々が手をつないで幸せについて一生懸命祈り、魂を待ち続ける。毎日毎日、何本も空には白い傷跡が残されて、誰かが死地に赴き誰かが死に、誰かが殺して誰かが悲しみ戦争はずっと終わらない。
 神様はいない。
 お金もない。
 お空の向こうでは将来有望な若者たちが次々と「粉砕」される。
 明日もたぶん地表には角砂糖が次々降り注ぎ、やっぱり神様なんていない。
 ユートピアなんてもんはない。
 でも、愛と魂はある。

 だから愛ある限り私は私の人生を生き切らなければならない。強く。
 というわけで私は八万持って銀行行って家賃払って今日も花屋でバイトします! がんばれ私、がんばれ世界。
 失われ損なわれ絶望し続ける世界の中でも、決してなくならないものがただ一つだけある。

 四月の初めの日曜日、スーパーに行って卵やらなんやらを買って家に帰る途中、私は帰り道にある勾配のきつい坂を相変わらずはーはー言いながら登っていた。もう汗ばむくらい暖かい春の陽気だ。そして私のアパートの前に一人の人間が立っているのを見つける。
 私はそのシルエットを知っている。誰なのか一発で分かる。そして、久しぶりに会うそいつになんて声をかけようかと思いながら坂を登り、登る途中からなぜか涙が溢れてくる。そいつが振り向く。私に気づいて、笑っている。
 私はそれを見て、とめどなく流れる涙を拭うこともせず、ただそいつを抱きしめることだけ考えて、あと少しの坂を一気に駆け上がる。
 そいつは泣きながら坂を走ってくる私を見て、口を開けて笑った。

 なあみんな、春だよ。
 希望の季節だ。