救済と喪失 2

なんかあれよあれという間にやっぱり頭まともじゃなくなってきたので
私の好きなキリストの言葉を書く。
「だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」

ナイフや刃物や鈍器でなくとも人は傷つけられ痛みを感じているとするなら、誰もが一回は腹をぶち抜かれたり、後ろから刺されている。
それでも生きていかれるなら生きていこうよというのが私の趣旨。
私の罪は誰が許すのかはわからないけど、あなたの罪は私が許す。
例えば愛している人が大量殺人鬼だったら、あなたはその罪をゆるさない?私はわかんないけど。
そういうギリギリの攻防戦で、あなたがその罪を許せば、それは許された、他の誰が許さなくても。あなたが許さなかったら、他の誰に許されてもあなたは許さなかったことが残る。

私が愛している人のこれから犯すかもしれない罪についても最初から赦す。
そうした方が、いいような気がするからさ。生きていってほしいじゃん。「そんなことなんでもなかったんだよ」じゃなくて、クソの役にも立たない枕詞なんていらなくて、ただ「許します」と
私とあなたが違うこと、別の苦しみを持っていること、誰かのことを傷つけてしまった、もしかしたらお互いが傷つけあってしまうかもしれないこと、全部最初から許しているからいいんだ、と
そういう気持ちになることがあるよ

じゃあ自分で自分を赦せればすごく楽
それがうまくできないから苦しいけど
最終的には自分のことを赦せる日がくるといい

12月の終りも差し迫ってきて、山茶花が咲き始めた。
闇の中で、くっきり赤い 息を吸うと山茶花の匂いと、どこか知らない他人の家のお風呂の石鹸のいい匂いがする。
冬、寒くて寒くてマジで無理なんだけど(ていうか最近寒すぎると思うんだけど)
夜のなかで深呼吸すると、透明できれいな空気が肺のなかを冷たくし、私の外から見えない臓器の存在を感じさせる。

冬至も近くなった太陽の光は低いところから真直ぐ私の目を射して、とても眩しいし涙が出る。
もう年の瀬です。