新世界より

世界は一つしかない。世界はたくさんある。
多元宇宙とかそういう科学的な話ではなく、主観の話。
私の世界は私にとって一つしかない。私の見ている・感じている世界は一つだけなんだけど、
他の人にもこれは言える。なぜなら私はその人とは違う個体だから、その人の見ている「世界」を共有することができない。
え?でも世界って共通認識できる現実としてそこにあるじゃん?
というのとはまた別の話で、認識できる世界の周りに人それぞれの世界観が膜を張っている言えばわかりやすいだろうか。
そう、私の世界はシャボン玉の膜で、つつけばもろく崩れる結構弱いものなのだ。だから簡単に、知らない間に他人の世界観に生きることにもなってしまう。
世間ではそれを「大人になる」と呼んでいる。
それ自体悪いことなんかじゃなくて、脈々と続く命の連なりを考えればむしろ歓迎すべきことだ。家には家の「世界」がある。その中で過ごすことは、人間がこれからも生きていくことに多分多大な貢献をしている。

トンネルを抜けると雪国だということはわかっていた。
だから別段驚きもしなかったけど、いつみても家の屋根がそろって真っ白、というのは美しい光景だと思う。
冬の日はもう低く柔らかく家々を照らしている。山の雪と、屋根の雪と、夕日に照らされた家の壁。あっという間に後ろへ通り過ぎてしまう景色を私はとても好きだった。

真冬の夜空、ベランダに出て上を見上げると、私をめがけて雪が降ってくる。私は雪に吸い込まれていくような感じがする。さらさら、と雪と雪がぶつかり合う音がして、それ以外は全くの無音だ。寒くて仕方ない。呼吸するたび耳が痛くなる。
でも息を吸うと冷たくて透明な空気が肺を満たして気持ちがよかった。

多分創世記は神様だからできたのであって、人間である私がそれをするのは非常な困難をともなうだろう。
現に28歳になっても、欠片すらつくれてはいない。
でも私は結構マジで創世記を行わなければいけない。何故ならそうしないと、生きていけないからだ。
物語を作るということは、生きていくということの芯にとっても近い。
だからこそマグダラちゃんは物語を作り、それを人に届けている。それはだれかのなにかのためではなく、全く個人的な行為で、マグダラちゃん自身のための行為だ。
実際マグダラちゃんが港区のキレーなクリニックかなんかで受付をやっている普通の社会人だとしてもそれはいい。
マグダラちゃんの物語が重要なのだ。星にAIを増やした結果人類は衰退し、愛する人の死から立ち直れないまま自分の脳をAIに移して永遠の命を手に入れる。そしてその星で一人ぼっちになってもずっと生きながらえているというマグダラちゃんの作った世界。
世界の物語が重要なのであって、そこにマグダラちゃんの生が刻み込まれている。
何億個もある銀河系の内、太陽を中心に回る地球という星にその呼びかけが天文学的確率で届き、それを聞いた人々がパズルをするようにマグダラちゃんの物語のピースを埋めていく。
マグダラちゃんのためだけの世界は、私の世界と重なり合って、そこに微妙に違う色彩が流れる。
完全な理解などというものはない。

重要なのは、世界を作ることなのだ。何度も言うけど。
だから私も私の創成期をしないといけない。一からきちんと、世界を立て直さないと、他人の作った世界の中で生きてしまうことになる。
大変にむずかしいことで、結構私は積み木を積んだ傍から足を引っかけて倒していっているが、もう少し、あと少しは考えたい。
その目に見つめられると、少し怖い。
もし私が死んだら、この目をあげよう。どんな風に見えるんだろう。
すこしでも美しい世界であることを望んでいる。君が気に入る世界だとなおいい。