きみは天使だった

『神様明日の朝幸せになってますように、なってないなら死んでますようにと願って眠りについて、次の朝目が覚めたときどっちも叶っていなかったときの絶望の話をしようか?
でも多分それは絶望と呼ぶには温すぎて、誰かに話をすれば笑われたり怒られたりするのかもしれない。痛みや感情は相対値じゃなくて絶対値であることをみんな結構よく忘れるからだ。私にとっては絶望する! に限りなく近しい朝は誰かにとっては別にいつもと変わらない、よくある毎日のなかのただの朝だ。
私は毎晩毎晩神様にお祈りをしてから眠りにつく。明日の朝幸せになっていますように。なってないなら死んでますように。それか世界が滅んでますように。そしてそれは毎日叶わない。ちゃんと毎日同じ朝が来て、電車が動いて私は出勤する。
そもそも幸せがなんなのかわからないんだから神様だって叶えようがないのだ。』

「うたのパパを殺したい」
 俺はそれを聞いていよいよ緑の頭はやべえなと確信する。緑はもともとちょっと変なところがあって友達と言ったら俺とうたしかいないようなもんだけど、俺も友達やめたくなるレベルでやばい。たぶんこれ聞いたらうたも友達やめたくなる。
 まあ緑には友達がいないのではなく、緑が友達と思ってないだけだ。クラスの女子と仲良くしゃべっている姿ももちろん見かける。そもそも俺だって同じクラスの緑という女子と一日中行動を共にしてたらそれはすごい変だし、だいたい友達がいないのは俺ということになる。でも緑が友達だと心から思っているのは、たぶん俺とうたぐらいのもんだろうというのははた目から見ててもなんとなくわかるのだ。「緑、俺とお前は友達だよな?」
 そう聞くと緑はちょっとムッとして「お前って呼ぶのやめてくんない?」と言った。「友達だよ。ヤスは唯一の友達」
 俺はちょっとほっとして答える。
「なんでうたのパパを殺すとか言うの」
「だってうた新しいパパにヤられちゃうから」
 何てこと言うんだこいつは。俺は目の前が真っ暗になったような気がした。気がしたっていうだけで、長野市の夏は相変わらず湿度が高くて空が青くて暑いし眩しい。
 長野市立第三中学校の体育館わきのチャリ置き場で、これから帰る俺と緑は話をしている。
「なんでそういう話になるんだよ。うたのお母さんが再婚するってだけで、なんでその新しい親父にうたがヤられんの。話飛躍しすぎだろ」
「いや間違いないね私にはわかんだよ。ヤスにはわかんないだろうけど。こないだそういう本読んだし」
 本当にいよいよ緑の頭はおかしい。
「いや、それは小説の話だろ。現実じゃないだろ。何読んだんか知らないけどうたの親父がうたに手出すって決まったわけじゃないだろ」
「でもうた、かわいいじゃん。私がうたの新しいパパだったら絶対うたのことそういう目で見るわ」
 こいつは結婚しない方がいいし、性犯罪で捕まるからむしろ家から出さない方がいいし近所の小学生男子とか襲う前に俺が矯正しなければ……と思って俺は肩を落とす。非常にめんどくさい。
 ところで俺たちが「うた」と呼ぶその子は隣の二組の女の子で、花園うたと言う。うたは本当にマジで俺と緑しか友達がいない。なぜならうたは保健室登校をしていて、学校にきてもずっと保健室にいてクラスの授業になんて出ないからだ。
 うたは俺たちが小学三年生のときに、隣の学区の小学校に転校してきた。それがもう本当に薄幸の美少女って感じではかなげで細くて折れそうで白くてかわいい。初めて会ったときから俺のアイドルだ。うたは光っていた。冗談とかじゃなく本当に俺の目にはうたは光って見えた。
 でもいくら性春真っ盛りの中学三年生でも、俺はうたでは抜けない。グラドルの水着の巨乳の谷間とか、同じクラスの美人の最上の運動服の半袖から覗く脇とか、ネットに違法で上がってるAVしかもちょっとうたに雰囲気の似た子とかではガンガン抜いても、絶対うたでは抜けない。なぜならうたはそういう欲望みたいなものと無縁の世界で生きていかなければいけないからだ。それは俺がただ勝手にそう思っているだけなんだけど、でもそう強く思わせるほどに、うたは本当に儚いのだ。儚いというものが具体的にどんなものか俺には実はよくわかってないんだけど、とにかくうたを一言で現せと言われれば、儚いというほかない。
花園という苗字は京都のもので、うたは京都で生まれたが、最初は父方の祖父母の家でほぼ監禁されるみたいに育てられていた。うたは認められた子ではなく、うっかりミスって産まれてきてしまったのだ、と祖父母に言い聞かせられるみたいにして育ってきた。そう、実のところ年若かったうたのお母さんは、そのときすでに結婚していたが子どもができなかった超金持ちのうたのお父さんと不倫して、その末にうたが産まれてきた。うたとお母さんは引き離され、うたは世間から隠されるみたいにして育ってきたから、うたは当然京都でいじめられた。そのあとうたのお母さんが頑張って頑張ってお金を稼いでうたを半ばさらうみたいにして取り返して長野県の田舎に逃げるように移り住んできた。
 でもこのド田舎はそういう噂はすぐに広まる。俺はそれをよく知っている。だから転校してきた小学校でもうたはいじめられて、三年耐えて卒業後、俺と緑と出会ったこの第三中学校でももちろんシカトくらったり陰口立てられたりひどいときには上履きのなかに給食で出たドレッシング全部入れられたりして、いまじゃすっかり保健室登校なのだ。
うたのお母さんは駅前の大通りをちょっと左に入ったところにある、飲み屋が集まる「要町通り」の小さなスナックで働いていて頑張ってうたを育てている。何度か会ったけど、うたのお母さんは本当に太陽のような人で、いつも笑ってて、いつもあんまり笑わないうたとは対照的だ。バイタリティに溢れている。でもうたのお母さんはうたのことが大好きだった。たまに全然喋らないでぼーっと虚空を見つめているような不思議ちゃんのうたのことが大好きで、そういうのちゃんと伝わってくるから俺は好きだ。
 不倫は良くない。不幸になる人が必ずいるから。
 でもそれでうたは生まれてきた。それは俺はよかったなと心の底から思う。
 矛盾してるけど仕方ない。
 話は戻るが、スナックで働いているお母さんはどんなご縁か東京で学校の先生やってるっていう人と再婚することになって、うたは今度また東京に転校しそうなのだ。緑はたぶん寂しいからそんなバカなこと突然言い出したのだろう。
「てかお前はよく考えた方がいいよ。まだヤられるかどうかなんてわかんないのにうたの親父殺してどうすんの」
「ヤられてからじゃ遅い」
「いやだからその前提いらねーよ。まだ俺たちうたの親父さんがどんな人かすら知らないじゃん。だいたいどうやって殺す? 死体とかどうするん?」
 と、ここまで言うと緑は黙り込む。そして俺を恨めしそうな目で見て、ヤスは悲しくないん? うたのこと好きじゃないん?」
 と言う。何言ってんだかなこいつはなと思いながら「俺だって悲しいよ、うたと離れたくないよ」そういうのが精いっぱいだった。

「こうした研究のあと、生まれついて魂の数は十四個に分かれていることがわかりました。記憶がある子もいるかもしれないけれど、魂検知マーカー検査を、人は生まれたら必ずやります。それは義務だからです」
「先生、魂は一箇所にとどまるものなんですか」
俺が挙手もせずに聞いても、先生は何も言わなかった。クラスの三分の一が寝ているのだ。緑も例外じゃない。机に突っ伏して小さい寝息立てている。
「そうですね、魂は常に流動して体の中を駆け巡っています。ですからマーカーで色を付けて、ちゃんと十四個あるのか確認します。十四個に満たないものや、十五個あるなんて言う人も中にはいます。その際の対応については諸説ありますが、基本的には魂の切除などすると、人格形成にも関わってくると言われていますので、そのままにしておくことが多いです。」
俺が魂検知マーカー検査をした時の結果は、家のアルバムに挟んである。虹色のそれぞれの色を濃い・薄いの二色ずつにして出てくる検査結果の紙に、俺の魂は綺麗にプリントされていた。十四色の魂。あなたの魂はふつうです。
いまこの瞬間にも俺の身体の中をものすごいスピードでこの十四色が駆け巡っている。
マグダラちゃんは、ラジオで「私は生まれたときマーカー検査を受けるのを拒否した。その義務を果たさなかったから、生活はいつも苦しかった。ただ、他人に自分の魂を触られるということがとても嫌だった。私じゃなくて、私の両親が。だから生活はいつも結構ギリギリだった。
 あとあと調べてみると私には魂が十三個しかなくて、それで何か納得した。自分が生きていくのに何かが足りないという気持ち。すとんと納得いったの、魂が足りなかった」
と言っていた。
「ちょうどメールが来ましたね。日本、大阪府にお住いのラジオネーム『月子』さん。月っていいよね、私は好きだよ。『いつも楽しくラジオ聴いてます』。ありがとう。『マグダラちゃんは何色の魂がなかったんですか?』」
 「説明するのが難しいんだけど、私の場合は色すらなかった。十三個の魂の全てが青い色をしていた。宝石みたいな、海みたいなグラデーションだった。」

俺の魂はちゃんと標準的に十四個あって、多分緑もそうだろう。うたの魂は、実は十五個ある。

memo 続かないかも