光について Ⅰ

Ⅱがある予定だったんですけど、ないです。
最近書きたいもののイメージが膨らんで来たので、ようやっとなにかものを書けるようになれそう。
あまりに強い光がいやで、でも暗くなるとそれはそれで不便だし不安になる。
下記、かいたのは多分2016/3だったかとおもう


『光について』

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明るい話題

そんな感じても考えてもわからないな。
孤独さをかみしめるように実感してもまだそれは底が浅いんだという
本当に、本当に、本当に孤独なったとき、君たちには伸ばす手があるということか?
私が頭のいい人が好きなのは、人間の本質的な孤独を少しでも知っているからだと思うよ

なんかうまく文章書けない
梅雨に入って、雨と水の匂いがする
風が吹くと私の髪が揺れる
バラクチナシクレマチスツツジはもう終わった。ブーゲンビリアは満開で、
これからもっともっと美しい色んな花が咲く
生きていかれそう?
生きていくしかないわけで

他人を最近諦めたその諦めたの内実は「あきらめくなちゃ!」とかそういうやつではなく
あなたのためにとかそういうんじゃなく全くもって自分のために
「ああ、そうそう人間ってんそんなもんだ」という消極的諦め

なんかきれいごとばっかいっても、人間の本質的な醜悪さは隠せない
そういう猥雑な世界の何、少しだけでも一かけらだけでも、何か美しいものが眠っている。
砂から砂金をより分けるように。

sketch 23

静かな朝だな
最近はものすごい量のお酒を連日飲みまくったしそれに連動して薬も飲みまくってしまった。
レ・ミゼラブル」、原作読んだことなくて映画しか見たことなかったんだけど、
主人公のジャンバルジャンが行き倒れて保護された教会の、高価な銀の皿を盗んで逃げる。
その罪でまたその教会へひっとらえられてきたとき、神父はこう言う。
「友よ、なぜ銀の皿だけを盗んでいった? 銀の燭台も持っていっていいと言ったのに」

奪って奪って、傷つけて傷つけて、それでも、
もっと全てを持って行って構わない、奪って行って構わないと、そういう、そういうことを言ってくれたらいいのにな
私は求めてばかりいる。
好きだから理解してほしくて、本当のことを言おうと思って、やり方を間違えていつもああそんなもんだなと思う。
もっと自然に労りあったり、笑いあったり、泣いたり、抱きしめあったり、手を握ったら握り返してくれたらどんなに素敵なことだろう
そんなことを思って泣いたりする。

オールカラオケの次の日はだいたいODして眠り続けてるからまずいですね~

sketch 22

夢の話。
薬を飲まないで眠ると、たくさん薬を飲む夢を見て目が覚める
私は電車に乗って家に帰ろうとしたけれど、反対方向の電車に乗ってしまって、どんどん家から遠くなる夢。
途中で電車を降りたいのに降りられなくて、行きたくないのにどんどん帰れなくなる夢。
帰れなくなる夢。

sketch 21

誰もがいつでも自分以外の他人の感情を100%理解するなんてできないから、「あなたはいつでも私のために傷ついたりなんかしない」。

そんなことはない、嘘だとわかっている、建てたそばから崩れる砂の城

自己否定の鬼だ

理解と感情との間には広く深い川が流れている

私の左手のしていることを右手は知らない

心なんて一生不安さ なあ

ユートピアはいつでもハレのちユーフォリア

何度他人の信頼を裏切ってきたら気が済むのかと思う。私の行動は他人の信頼を裏切る。私の頭は私の心を裏切り、私の心は私の身体を裏切り、私の身体は私の感情を裏切り続けている。
「結局のところ、あなたはあまりに強い光で、私は哀れな蛾だ。自分が焼き焦がされて死ぬとわかっているのに、近づかないわけにはいかない」
私はとっても橋をかけようと頑張っている。河を渡ろうと頑張っている。山に登ろうと頑張っている。
今日、院長に言われてうれしかったのは、「僕たちが目指そうとしているのは結局深く自分を信じられるようになることで、自分の行動に信頼が持てれば他者評価に依存しなくてもやっていけるじゃない」。
何がうれしかったかと言うと、私個人の問題であるとするのではなく、「僕たち」と言ってくれたこと。
深い恐怖や怯えや淋しさが私を苦しめるが、痛みや傷を抱えずに生きている人間はいないのだと思った。

ベートーベンの「悲しみから歓喜へ」という言葉を、武者小路実篤は「悲しみを貫いて歓喜へ」と直した、と昔教えてもらった。
深い悲しみを通して私は喜びを見つけ出せると、なぜか、信じている。心の底から何かを信じるとか、リスペクトするとか、愛するとか、そういうこともしかしたらなかったのかもしれない。でも私はいつも希望を信じることを捨てることはできない。この世のどこかに愛や真実や希望が転がっているということを信じてやまない。