sketch 31

正月でした。あけおめ今年もよろしくお願いいたします。
なんつーか、年末ぐっちゃぐちゃだったんですが、実家で食べては寝て食べては寝てを繰り返しているうちに、多少元気になりました。

父には働くということについて、説教をされたけどそれは全く間違っておらず、
「お前はいつまでも夢の世界にいる」と言われました。

対する私は夢の世界の住人であることを自覚しつつ、なぜそれがいけないのかわかりません。
多分世界に一人くらいは、夢の中の住人でもいいんじゃないかなと思うんです。
それは多分親心を考えりゃ随分通じない話だし、それもわかるんだけど
私は夢を見ながら必要最低限の生活費を稼ぐ役をやります。

人生は舞台だとシェイクスピアは言った

初詣に行った先、父は何をそんなに一生懸命祈っていたの?と聞くと、
「世界平和」を祈っていたと言っていて、
自分の願い事が叶うには、世界や人類が幸せでなければいけないから、とのことでした。
私は毎年、「こんなことができるように頑張りますので、見守っていてください」という願い方をするんですが、
今年は私利私欲に走って「あれがほしーい!」「あれがやりたーい!」「あの子がほしーい!」と願ってきました。
たまにはいいよねと思いました。。。笑

まあそんなこんなで3が日が過ぎました。
私は……私は……こんなでいいのか28歳!?そんな気もしていますが、今年も元気に頑張ろう。
夜中、さらさらと雪の降る音がして、空からは白いふわふわが音もなく降ってきてとてもきれいだった。
朝になると町は一面真っ白で、冬は美しい光景でした。
ベランダの手すりに積もっていく雪を見ながら、
もう戻らないこと、取り返しのつかないこと、悲しい淋しい苦しいこと、全部、
もうすこし明るく受け止められるようになりたいと思いました。
心の中に雪が降って、ずっと降りやまない。しんしん、しんしんと降ってどんどん冷たいのが積もっていく
春が来れば雪が解けるみたいに、それがちゃんと解けるといいと思う

Camellia

  1

朋が首を切ったとき、翠はほかの男のことを考えていた。
朋は頸動脈をカミソリで深く切り、身体の奥深い場所にある血はどれだけ赤黒いのか、翠に教えてくれた。
朋は翠が好きだったから、翠が他の男のことを考えているのも知っていた。だから頸動脈を切ってしまった。翠はほかの男を真直ぐに見つめ続けながら、朋と付き合っていたのはたしかだった。最低だった。でも朋をその男の代わりにしたことは一度もなかった。

翠は自分の頸動脈をさぐりあてて指でその形を確かめてみた。
そこには確かにどくどくと血液が力強く流れており、ここに刃を突き立てた朋はどれだけの恐ろしさと絶望感を持っていたのだろうか、そう翠は考えた。
だけど緑がほかの男を一途に追いかけていたのは確かだ。それでも恋人になろうと言ったのもたしかだ。忘れる努力をしたのもたしかなことだった。翠は罪だと思ったが、そのために自分が死のうと思わなかった。どうしても思えなかった。
生き続けることで贖うなんてことも考えたりしなかったし、死ぬことで何かがなかったことになるとも思わなかった。
その代わり、翠は呪いにかかってしまった。眠らなければいけない呪いだった。

彼女はとにかく部屋でよく眠っていた。起きている時間よりも眠っている時間の方が長いのではないか?と思うくらい、眠り続けた。眠らなければ正気を保つことができなかったのだ。
眠り姫など美しい形容詞はとっくの昔に、医療費のレシートと一緒に燃えるゴミに出していた。王子様もやってはこない、孤独な眠りだけをゆるやかに続けていた。
翠はもうすっかり、重度の睡眠薬中毒者だったのだ。
睡眠薬を手に入れるなら三つ四つ隣の内科にも心療内科にも行った。とにかくあらゆる手段をもって睡眠導入剤を手に入れた。医師の中にはもちろん、多く出してくれない人も、処方自体を断られることもあった。だけど翠にはもうそれしかのこっていなかったので、次の病院へ向かった。
その行為が自分を疲弊させていることはわかる。もう飲みたくない、と心の中でいくら叫んでも、現実、目の前であの暗くて妙に赤い血が流れた事実を変えることはできなかった。夢も見ない安寧な眠りが翠の唯一心休まる瞬間だった。
月曜日、150錠の薬の殻がゴミ箱に放り投げられているのを見て、翠の心臓はいつだって爆発しそうになる。
なんということをしてしまったのかと、自責の念に駆られる。
これじゃまるで、ゆるやかな自殺じゃないか、と。

  2

家に帰ると、翠が玄関のドアの前で倒れていた。どのくらい倒れていたのか知らない。時刻は午後6時ちょっと前。
ご近所さんの誰にも見られていなくれよかった、と思った。
とりあえず立たせようと持ち上げた腕は氷のように冷たかった。そのころもう翠の意識は混濁していて、目の焦点も会っていなかった。引っ張る形で家にあげたものの、家の中にある机の角とか洗濯ものとかに足をとられてすぐ転んだ。
その転び方が尋常じゃなく、まったく受け身を取らないままそのまま前に倒れる。
「こういうの、もういい加減にしてほしい」
そう翠に伝えてみたものの、曖昧な返事しか返ってこなかったので、諦めた。風呂に入れようと思って服を脱がすと抵抗はされず、裸の上半身が蛍光灯の光を受けてキラキラしていた。お世辞にも大きいとは言えない乳房の産毛が光る。あばら浮きまくっていよいよやばいんじゃないかと思うけど、俺は翠になにもしないと決めていた。同調するのは簡単だし、慰めてやるのも簡単だった。でも世の中のつらいことを全部背負って立っているみたいに見える、翠の態度が気に入らなかった。
風呂に入れてパジャマに着替えさせると、翠はポーチからまた薬を出して飲む。ぷちん、ぷちん、ぷちんと取り外された薬は翠の胃の中でゆっくりと溶けて蝕んで壊していく。
何も言わずにこのままベッドで寝てしまうだろう。何錠かの薬を一気に嚥下して、翠はようやく俺の顔を見た。
「怒ってる」
「怒ってるよ」
「ごめんなさい」

ただそれだけの会話の後、翠は「助けてほしい」とつぶやいて、眠りに落ちた。
助け方なんてわからなかった。何をしていいのかわからなかった。寂しい人間が二人、出会ってももうなにもすることなんてない。救ったり救われたりっていうのはもう翠の問題で俺のものじゃない。
助けられるのは俺じゃあない。 翠は俺を好きだというが、翠が俺を楽しませようとしてくれたことなんて一度もない。翠が俺のためにしてくれたことなんてなにもない。
それでも、人のベッドを占領して眠る翠の寝顔を見れば、苦しくなって涙が出るのも確かだ。
遠ざける術ならいくらでも持っている。傷つける言葉も簡単に吐ける。翠のその死をも厭わない戦いの傷跡が、どうしても痛くて、痛くて、俺のものじゃないのに痛くてたまらない。こうやってあっても、俺たちには話すべき言葉なんてものはない。共有できる痛みもない。むしろ翠はもっと傷ついてさらに眠りを必要とするだけなのに、翠はそれでも側で眠りたいと言う。そばにいると不安じゃなくなるという。胸の中を抉られるような気持ちで俺はしばらく泣いた。

  3

夢の中で私は彼の首から血が噴き出すところを見た。
実際には見ていない、これは夢だから。スパッと、あるいはザクっと頸動脈の一本が切断され、そこからは間欠泉のように赤黒い血がほとばしる、はずだった。
でも血の代わりに、山茶花の赤い花びらがあふれてきたのだ。
私はそれをとても美しいと思ったと同時に、誰かに許してほしくて、許してほしくて、すがりついて泣いて許しを請いたいという自分に気づいた。
もう一生贖うことはできない。私の命をもってしても。何を差し出しても。
私は泣いてしまうかもしれない、と思った。こんな風に泣く権利なんてないとずっと思っていた。裏切りを重ね続けたのは私だったから。泣きそうだ、という気持ちは吐きそうだ、という気持ちに変わり、思わず口に手を当てると胃の中のものがすべて逆流してくる感覚に襲われた。
だけどそこから溢れてきたのは吐瀉物ではなく、山茶花の赤い花だった。我慢しようとしてもボロボロと溢れてくる。手から零れ落ちて、いくつかの花びらが地面に落ちた。
カンカンカンと線路の警報機が鳴った。遮断機が降りてくる。もう走ったって朋のところには間に合わない。
私は相変わらず山茶花を吐き続け、朋も相変わらず首から山茶花を零していた。
朋はじっと私のことを見ていた。頸動脈から美しく山茶花の花びらを撒き散らしながら、ただ、ただ私をじっと見ていた。
そうしてそこでやっと涙が出た。
もう間に合わなかった。

目が覚めると朝で、私は私のベッドできちんとパジャマに着替えて横になっていた。
ゆっくりと身を起こして見ると、身体からあの赤い花びらが滑り落ちた。枕元は、山茶花で埋まっていた。
だれがどうしてこうなったのか、私は覚えていなかった。
私はしばらく泣いたが、なんのための涙なのかはよくわからなかった。

朋は私を好きだった。私は彼を好きだった。彼は私を好きにはならず、朋は頸動脈を切って、私は呪いにかかった。もう何もかも閉じて永遠に眠り続けたいのに、永遠に眠り続けることはできないという呪いにかかった。
意識があるのが辛いから、心臓が爆発して死んでしまいそうだから、また薬を飲んで眠った。
枕元の山茶花の花びらはそのままにしておいた。なんだか自分の血で満たされているような気がしたのだ。それは海の中にいる気持ちに似ていた。暖かくて柔らかくて、安心する。夢の残骸を引きずって現実に帰ってきてしまった。私は彼の部屋にいたはずだった。
だから私はまたこの夢を夢の中に戻しに行かなければいけないんだけど、このまま、山茶花を吐き続けるのも悪くない選択のような気がした。
よく眠れるような気がしたから。

sketch 30

文学フリマ - 第二十六回文学フリマ東京 開催情報に出ようと思っています。
ユートピアユーフォリア」を加筆して文庫サイズにしたものと、
あと一冊短編持ってこうと思っております~
(まあまだ参加料振り込みもまだなんだけど)

断薬チャレンジ!してみたけど2日しかもたず、3日坊主ですらない。。。
そしてリバウンド起こしてドバッドバ飲んでしまった

水曜日、どうしようもなくなって会社にも行けず地下鉄のホームでガタガタ震えていたのですが、友人が迎えに来てくれてなんとか事なきを得ました。
バイバイするとき、抱きしめさせてもらった。
死ねばすべてのしがらみや、悩みや、許せること許せないことどうしようもないこと、どうにもできないこと
美しいこと悲しいこと寂しいこと怖いこと、好きなこと執着すること、嫌いなこと憎むもの
すべてから解放されるのかもしれないけど、抱きしめた瞬間私は彼女の身体の形と、温度と、言葉では言い表せないような愛を感じたので
その1つだけで私の100個死にたい理由に勝る

私の頭の中で山茶花がこぼれるように咲き続けていて最近、そこらじゅうからあふれてる感じがするから
描こう、と思う。
ただ元気がないだけで、意識があると耐えられなくて発狂しそうになる。すべて忘れて眠り続けたい。
鬱が再発してる感じあるけど

仕事辞めることにしたんです。
とにかく今は心を立て直して、いままで好きだったことをもう一度できるようになりたい。
薬、やめればもっとお金もたまるだろうけどねェ…

私は私の緊急的救いとして薬を利用しているに過ぎないので。
何か大きなものが私を満たし、救ってくれるなんていう幻想を捨てて、
また最初から積み木を積み上げる作業を始めようと思う
なにも感じられない今の心は、どうでしょう?おかしい?
おかしいかどうかは置いといて、自分が楽しいと思って生きていないのは確かなことだな

救済と喪失 2

なんかあれよあれという間にやっぱり頭まともじゃなくなってきたので
私の好きなキリストの言葉を書く。
「だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」

ナイフや刃物や鈍器でなくとも人は傷つけられ痛みを感じているとするなら、誰もが一回は腹をぶち抜かれたり、後ろから刺されている。
それでも生きていかれるなら生きていこうよというのが私の趣旨。
私の罪は誰が許すのかはわからないけど、あなたの罪は私が許す。
例えば愛している人が大量殺人鬼だったら、あなたはその罪をゆるさない?私はわかんないけど。
そういうギリギリの攻防戦で、あなたがその罪を許せば、それは許された、他の誰が許さなくても。あなたが許さなかったら、他の誰に許されてもあなたは許さなかったことが残る。

私が愛している人のこれから犯すかもしれない罪についても最初から赦す。
そうした方が、いいような気がするからさ。生きていってほしいじゃん。「そんなことなんでもなかったんだよ」じゃなくて、クソの役にも立たない枕詞なんていらなくて、ただ「許します」と
私とあなたが違うこと、別の苦しみを持っていること、誰かのことを傷つけてしまった、もしかしたらお互いが傷つけあってしまうかもしれないこと、全部最初から許しているからいいんだ、と
そういう気持ちになることがあるよ

じゃあ自分で自分を赦せればすごく楽
それがうまくできないから苦しいけど
最終的には自分のことを赦せる日がくるといい

12月の終りも差し迫ってきて、山茶花が咲き始めた。
闇の中で、くっきり赤い 息を吸うと山茶花の匂いと、どこか知らない他人の家のお風呂の石鹸のいい匂いがする。
冬、寒くて寒くてマジで無理なんだけど(ていうか最近寒すぎると思うんだけど)
夜のなかで深呼吸すると、透明できれいな空気が肺のなかを冷たくし、私の外から見えない臓器の存在を感じさせる。

冬至も近くなった太陽の光は低いところから真直ぐ私の目を射して、とても眩しいし涙が出る。
もう年の瀬です。

救済と喪失 1

割と今日頭がまともだったんでいろんなことを考えていました。
煙草を買いに夜中コンビニに行ったら道の途中で職質された冬。人生で初めてでした(しなくてもいい経験)
おまわりさん「はーい。家出ですか?」
私「ち、ちがいます…」
おまわりさん「免許証見せて」
私「ハイ!」
おまわりさん「何してたの?」
私「煙草買いに行ったんですけど」
おまわりさん「たしかに財布とタバコしか持ってないね…」
私「ハイ!」
おまわりさん「家近いの?帰れる?めっちゃ車道に出てあぶないよ」
私「ハイ!」
おまわりさん「気をつけて帰るんだよー」
私「ハイ!」

はた目から見てもヤバかったんでしょうね、睡眠導入剤入れてから煙草ないことに気付いて外出た私が悪いなこれは

さてこのようなことをのっけから書いてるんですけど、こういう、メンタルヘルスで笑いをとることについて考えました。

共有できないこと

俗にいうメンヘラ芸について、私もやります。上記のようなことが主な例です。「こんなことやっちまった!ワハハ」みんな笑ってくれよと私は言う。
だけどこれは本当は笑いたくはないです。私は結構な勢いで睡眠薬の中毒者なんですが、それを15人いるくらいのTwitterでネタみたいに書きます。笑い話として。今日は60錠飲んじゃったよ~という話をします。笑ってくれよと思っています。面白いと思ってくれたらいいなとそのときは思います。
でもそれは違うのでした。私はそうでもしないと自分のした行為にとてつもない恐怖を感じてまともでいられないので、「そんなことは大したことじゃない」と誰かに言われたいのでした。たしかに言われたい。ウケる!と言われたらほっとします。
でも心の奥底ではそうではなく、私は必死に懺悔し、誰かに許しを求めています。
私はこんなことをした。したくなかった。誰か許してくださいと
誰か許してください。誰か助けてください。誰か救ってください。
「正解はだれも救ってくれない」です!わかるかな?
これは「誰も私のメンヘラを理解してくれない」ではないです。理解してくれる人めっちゃいます。でもこの痛みや傷や空虚さは私のものであり、誰かのものではないので、似ているというだけで誰かと同じではないです。正確には誰も私の痛みを全く同じように感じることはできない、ということです。

ここで最初のメンヘラ芸のことに戻りますが、「こういう人間です」と痛みをさらけ出すこと、「私もそうなんですよ」と同じく痛みを晒されること、これは悪いことではないと思います。
でもそこで生まれるのが、「この人は私と同じだし、私だけじゃないんだ」という気持ちです。
「メンヘラなんてみんななる、お前だけが辛い思いをしているわけではない」これもよく聞く言葉です。
なあでも、誰かが代わりにこの痛みを受けてくれるのか?
お前だけが辛い思いをしてるわけじゃない、じゃあお前の痛みは誰のものなんだ?私の痛みは誰のものなんだ?
あなたのつらさや痛みや、傷つけられたことや傷つけたことは、すべてあなたのものだ。
私の痛みも私だけのものだ。
それは共有することができない。

共有できないことの希望的側面と絶望感

なあ、じゃあこれはどこにしまえばいい?どこにオチをもってくればいい?ストーカーみたいな電話しまくってガチの拒否をされたよ。職質されたよ。薬飲みまくったよ。こんなこと本当はしたくなかった。もっと自然に愛したり愛されたり、労りあったり支え合ったり、そういうことしたかったよ。でもどうしてもそれができない。ひどい言葉を投げつけて相手が傷つくまでやって、やって、やって、やった先には同じ傷を私も負う。私のような(あくまで「ような」)人種は、とにかく人を傷つけることに関しては悪魔的な才能があります。
この空虚感を、焦燥感を、死にたいと思う気持ちを、他の誰も理解はしてくれない。1mmのずれもなく同じ感情を抱くというのは無理な話です。できない。神であってもできない。私は私であって、あなたではない。あなたの存在の代わりにはなれない。それと一緒で、だれも私の人生を代わりに生きてくれるなんてことはない。
救いを待ち続けていました。焦がれていました。いつか誰かが私を助けてくれるなんてことを考えていました。バカでした。私は寄り添うことはできるけど、人を救えるわけではないのです。逆もまたしかり、人は私にやさしく寄り添うが、お互いの空虚さを埋めることはできないのです。我々はお互い胸に空いた穴を見ることができないのです。
ここまできて結構絶望感だぜ~と思ったけどこれは希望の言葉でもあるからよく覚えていてほしい。
「君が辛いと思っていること、それはすべて君のものだ」ということ。誰にも渡すことなどできない。それこそがあなたの存在を存在たらしめているのです。みんな、そりゃそれぞれ辛いさ。人生生きてんだもん。想像もできないようなひどい目にあったりもする。
でも君はどこまでいっても「君」のものです。他の誰かと比較する必要なんてない。あなたの受けた傷は、あなただけのもので、他の誰のものでもない。
だから他人と分かり合うことなんて絶対にできない。あなたは他人のために自分のメンヘラをコンテンツとして提供するけど、それはあなたを救わない。家に帰って「私はなぜこんなメンヘラになってしまったのだろう」と過去の呪いをもう一度思い出し、自分のためだけに泣くことが、正しいことだと思っています。

世界から消えてなくなるということ

私は結構いろんな人に「死ぬのだけはやめとけ」と言います。それはなぜかというとほんとに死んでほしくないからです。
私とあなたが理解し合えないということは、つまり世界はそれだけの人数でできていて、大好きな人もいれば死んでくれ!!と唾棄すべき存在もあります。
死にたいよ~~と言われると、言われた相手は傷つきます。愛していればいるほど傷つくでしょう。
でも現実の死はそう甘くない。
もう失ったら何をしてもなにを差し出しても戻ってこない。これが現実です。
死んだらそれで終わりです。呪いがかかり、もう二度と笑ったりする権利なんかないんじゃないか?と一生後悔し続ける。
「あなたがいる世界」はその時点でおしまいになり、世界は決して連続してはいない。「あなたがいない世界」になる。
「あなたがいる世界」はもう二度と戻ってこない。
死ぬかもしれないことをイメージするだけで、だいぶ精神に来るのですが、本当に死んでしまうということは失う予感なんかよりもっとシンプルで暴力的にきます。この世のどこを探してももう君はいない。
考えるだけで辛いことです。イメージの死、想像の死はそれだけでもかなりつらい。でも現実の死というのはそれとは全く別のレイヤーで語られます。
それは予感なんていうものをぶっ飛ばしていきなり暴力的にぶつかってきます。
ああもっと優しくすればよかった、あんなこと言わなきゃよかった、なんて言ったところで何も変わったりなんてしない。戻って来られない場所、それが彼岸です。
死にてえ〜〜、私よく言う。でも死ぬよりマシだと思う。責任という言葉においては、それが一番理解できる「責任」というもの。選択の果てにわたしたちの生があり、私は自分で選んで息してる。
でもふと思うけど、それを他人に強要するのってどんなもんなんだろう?

私はあなたに死んでほしくない。無様に這いずり回ってたとえ私が見捨ててしまう側になったとしても、
生きていてほしい。生き抜いてほしい。戦ってほしい。生まれたことを選べなかった自分たちは、産んだやつの責任にしたい、ところだけど
生まれてしまったからには自分が生きなきゃいけない。人生ハードモード。
生まれたくても生まれられなかった人もいる。それに対して何をするの?とかそういうモラルの話ではないです。
生まれられなかった人、生きられなかった人の分まで生きてもその人たちの代わりにはならないし、
今リアルに感じている私たちの生の痛みは癒されたりはしない、という話。

sketch 29

空があんまり空っぽだった 早く暖かくなってほしい

山茶花が咲き始めて美しい

髪を切りました(前髪だけだけど)ひどく塞ぎ込んでて、ただ疲れている

最近オアシス→さユり→シロップのループ入れてるな〜

 

何も考えないで1日眠り続けたいと思う

次の三連休はいつだーー

好き好き大好き超愛してる。

好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫)

好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫)

 

 

この本超好きです

突然の不安感ばくはつでもどうしたらいいのかわかんなくなって泣き出して、電話してしまった。

今も心臓ばくばく言っているのをなんとか誤魔化そうとしてるけどどーにもならないかもしれない。

弱々の自律神経が…ぜんぜん自律してない。

天気が悪いのかもしれない。寒すぎ、冬かよ!!

突然訳のわからない不安や恐怖が降りかかってきて、最終的には泣き出す(泣くと多少スッキリする)、私はやっぱり好きな人に電話かけて、その頃薬でラリってるからどうしようもなく断片的な会話しかできない

何が不安なのかわかんないならできることないし、やる気もないし、どうしたらいいのかわからないしとにかく迷惑なんだよ

と、マジレスをいただいてしまった。

これはいよいよダメなやつだなと思う。もういよいよダメなやつ。私が作ったんだから私が壊さないと

「この電話で俺にすごくストレスがかかって、明日自殺したらどうも思うよ?」

「いやです」

「でもそれは逆のパターンもあって、この電話を正面から受け取らず、拒絶されたと思った私が明日自殺したらどうですか?」

命を盾にするのは嫌いだ

辛くても辛くても生きていかなければいけない。

生まれたのだから。死の情動は絶えず私を揺り動かし、そちらの世界に誘うけど、もう二度とやり直せないんだよ

 

そう、その人との関係も、もう二度とやり直せないんだよ。時間は巻き戻らないし、評価が変わることもない。

潮時というやつなのかもね。

私が作ったんだから、私が壊さないと

 

昔から私は与えられてばかりで、他人に与えることをしてこなかった。与えることができていたのかもしれないけど、自覚としてはない。人々は私に愛を与え続けている。私が愛を与えたい人間は、私からの愛を受け取ってくれない。

高校の頃、不登校でさ、男友達が毎週ジョジョを10巻くらいずつ持ってきてくれて、続きが読みたかったら学校に来なさいと言われて、そういう思い出。

彼は私のことが好きだったけど、きっともう違う場所で幸せになっている。

 

私は与えたい。愛情を。もっと優しくしたい。もっと優しくしたかった。こんなことをしたいわけじゃなかった。もっと別の形で渡せたらよかったのに。いつも傷つけることしかしない。

 

好き好き大好き超愛してる、のなかで、割愛するけどバディの女の子が死んだと聞いて、一緒に死のうと言いながら主人公は自殺しようとすると、止められる「それは一時の情熱」だということを知っているから。

愛は、とても偏る。

私人を幸せにできないどころか自分の幸せからも猛ダッシュで逃げてる

 

ほんとはもっと優しくしたかった。

与えたかった。

でも私の与えたい人は、私から何も欲しくない。

その人に心をあげてしまって、じゃあその心を別の人にあげればいいのかもしれないけど、それはその人のために作ったから他のには変えられない。埋葬して時が経って風化するのを待つしかないのよ。

愛して欲しい、不安だと言った時、泣いた時、大丈夫、何も不安じゃないといって、抱きしめてほしかった。

何も叶わなかった。

 

私はあなたの、そういう理解しようともしないところが嫌いです。

と、言った。涙が出ると楽なんだけどなかなか出てこないな

さよーならを言わなければいけない。

もうこれ以上、なんの見込みもない。遠くに行きたい。遠くで幸せに生きててほしい。ほんとうに愛していた、独りよがりだったかもしれない、

でも本当に愛してたんだよ。人の魂はその人のものだ。うまくいかない。

愛しすぎてないってことは、愛してないということなのだ。

なかなか伝わらない。私本当は誰のことも愛してないのかもしれない。感情を押し付けて

他人はただのサンドバッグか?と思う

でも誰に弁解でも弁明するつもりない、私は愛してる

私は愛してる

これを人はメンヘラと呼び境界性人格障害と呼ぶ医者も中にはいるだろう。

私は愛されたいのと同時に愛したい。与えたい。与えられない。うまく与えられない、優しくもできない。

人として生きていくのに欠けてるのかもしれない、最初から

努力はしてる 私の人生だから

傷を分かち合って、泣ける夜が来たらいいのにと思う。今まで受けて来た傷が全て溶けて無くなって、新しい生き物に生まれ変われたらいいのに。そんなものはない。だから私は今日も生きて、恥をさらし、人を傷つけ、同じくらい自分を傷つける いつか楽になれたらいい

妄想と現実の区別をつけてと言われても、私の現実はこれなんだ

今までの罪が溶けてなくなればいい もっと優しく労わりあったり、優しくしたり、自然にできるようになりたい