innocent

「innocent」…無罪、無垢、純真、汚れのない

イノセントさを人はだんだん忘れていくらしい。それが大人になるってことらしい。そう聞くとなんかそれを失うことがダメだというように聞こえるけど、イノセントな魂が人生のいったい何の役に立つ?
自分の死生観や世界観を培っていく過程で、人はいろんなことを忘れ、自分が子どもだった時のことを、気持ちを、だんだん忘れて世の中に適応し、苦しいなとおもいながらもなんとか世界の一部として頑張って生きていく、そういうことしたかったよ。
自分のことばかり考えている。

純粋さ、無垢さ、そういったものは世界にとても傷つけられる。世界のすべてを自分が変えられるわけではないと気づいたとき、世界は自分にやさしくないのだと気づいたとき、私(たち)はなぜか非常に孤独を感じる。純粋さとは、高潔さとは、無垢さとは? 汚されないことはつまり適応できないということだ。
そしてそういう気持ちって大変な閉塞感につながる。それは翻れば自分は悪くないという気持ちに繋がりやすい。
この世界は私が選んだのではないし、この≪存在≫もまた私が選んだのではない。そこで受ける苦しいとか悲しいとか大変とかしんどいとか、自分を脅かす傷は自分が選んだものではない、から。
そしてその閉塞感を打ち破るほどの何かを自分は持っていないから。
そういう苦しみから解放されるためには、自らもその世界の一部だと受け入れるか、その世界から永遠におさらばするしかないんだろう。
もしかしたらすごく極端なこと言っているのかもしれない。

なんか一種のそういう閉塞感から抜け出すことができないという気持ちを抱えている人は多い気がする。

もうちょっと誰かと深くかかわりあえたら少しは楽になるんだと思うけど、誰かと深くフィットしてかかわりあうっていうのが私はあんまり得意じゃない。なぜならそういうことに傷つけられるから、自分の思ったことを言うと人は傷つくし、わからないというから。
世界に理解を求めるくせに、私は世界を理解する気がないというのはとても卑怯なことのような気がする。

抵抗することって私の人格の大部分を占めていて、それはなにか特定のものというより≪世界≫そのものへの抵抗。
私は≪世界≫を受け入れてたまるかという抵抗。思春期のような。
いくら≪世界≫が理不尽に私を傷つけても、私はそれに屈しないという、あきらめの悪さ。どうあっても私は≪世界≫を変えてみせるという気持ち。
でもまったくの他人と深くわかりあえた瞬間に私は≪世界≫のことを忘れるし、許したり、愛せたりもする。
ただそのわかりあえる他人ってあんまりそうそう出会えるものではないし、結構あっさり別れてしまったりその後何年も連絡をとらなかったりする。そのとき、私はその人のことを本当に必要とし、その人も私を本当に必要とする。何事にも代えがたい素晴らしい経験を私は何度もしているが、それってあっさり失われたり途切れたりする。
そして私はその事実にとても傷ついたり、平気で忘れたりする。
でも傷跡はちゃんと残っているから私はときどきちゃんと思い出して繰り返し傷ついてどんどん閉じていく感じがするなあ。

生まれたとき、子どもの頃、無垢な純真な汚れない魂があったとする。
でも無垢であることはもうれっきとして一つの傷だ。
魂には最初から傷がついている。

もうちょっと≪世界≫と仲良くなりて~~と思う。でもそういうものって他人を通じてしかもらえない。言葉や振る舞いによってしか繋がれない。もうちょっとなにか、理解できる「形」として残してくれりゃいいのにそううまくはいかない。
なので社会性は失いたくないな、働こう、無垢な魂がご飯用意してくれるわけじゃないし、家賃も水光熱費も払ってくれるわけじゃないのよ。
≪存在≫に意味が与えられるなんてことはないと知っているのに私はそこにあらん限りの抵抗をしている。本当の愛、本当の信頼、本当のなにか。嘘やごまかしやなんとなくじゃなくて、本当にゆるぎなく真であるなにか。
きっと見つかると信じて生きていきましょう、と私の大学の恩師は昔言った。
でもそれって躍起になって探すと見つからなくて、ふと何の気なしに目をやったときそこに見つかる。一瞬だけ。

一見正反対の、矛盾した事柄はいつも隣にいる。生と死だったり、嘘と本当だったり、愛と憎しみだったり、悲しみと喜びだったり。それこそ無垢なものとそうでないものとか。そういうものが。
割とそういう事実に直面すると混乱するので整理して反対に置いておきたいんだけど、天秤みたいにつり合いが取れる状態に。
そういうものを整理しておけるようになりたいと望む一方、整理できない自分を失いたくないとも思う。
もしかしたらその正反対の一方を通ってからじゃないと、もう一方にはたどり着けないんじゃないかなと思う。

そんな感じで苦しんでいる。

「明日はこっちも降るらしいよ」

 「明日はこっちも降るらしいよ」と彼女は言った。私はふーんとつまらなさそうに返事をした、居候として受け入れてみたはいいものの、私はまだ彼女の名前のすら知らず、また彼女のほうでも私の名前なんて知らない。それでいいんだろうなと思う。
 無職でどうしようもないから、一日だけでいいから風呂を貸してくれと言われてもう三日たった。ここ東京都足立区は空っ風が強く寒かったが、私はずっとここに住んでいるから別にどうとも思わない。彼女の方が異様に寒がっていた。
 「ふるさとには雪が降るの?」
 と私が問いかけると彼女はあーとから返事をしたままテレビから視線を動かさなかった。テレビでは全国の降雪確率が順番に流れている。
 天気予報は外れたのか当たっているのか、その日のお昼の内に雪が降り始めた。私は街灯に照らされて白く光り、さらさらと音を出して積もる雪を飽きもせずに眺めていたかったけど、彼女はそうではないらしかった。
「眩しい。眩しくて眠れないから閉めてよ」
 私は軽くため息をついてカーテンをぴたりと閉じた。「こっちは雪が少ないからはしゃいじゃう気持ちわからないかな」と彼女に言うと、彼女はもう眠り込んでいるようで小さな寝息だけが大して広くない(二人で暮らすなんて考えられないような)部屋に響いた。私は眠ることができず、時折カーテンを少しだけ空けては雪の積もって行く様を見ていた。電線に積もった雪が、重みに耐えられず地面に落ちた。明け方まで私はそうしていた。雪は降ってきているのではなく、地上のあらゆるものを空へ吸い込んでいるようにも見えた。このままだと空が落ちてくるかもしれない、と思ったところでようやく雪を眺めるのをやめて振り返ると彼女は起きていた。午前四時だった。
 出身地も名前も知らない彼女はただ「わけあって無職で」としか言わなかった。ただ雪に対する反応で、彼女が少なくとも雪の降る街で生まれたとなんとなく想像がついた。
 「雪国の生まれなの」と私が問いかけると、彼女は別段抵抗もなくあっさりと「そう」と答えた。
 「私は雪がたくさん降る場所のことを知らない。どんなところ?」
 言われて彼女は、まだ暗い朝の四時半のベッドで、故郷の話をはじめた。

 小さいころから見ていたから特別な感情なんて普段ない。寒いのは嫌で都会に出てきて、まあ種類の違う寒さにちょっとまいったけど雪の降る中外に出ているときほど痺れるような寒さはない。ちょうど五センチくらいの針が、耐えず自分の身体を刺し続けている感じ。それが私の生まれたところの寒さ。ただ家の中があったかい。外の空気を入れないようにできているからね。
 私が一番好きだったのは、裸の林檎の枝に雪が積もっている場面。…… 場面。情景? ごつごつと薄茶けてねじ曲がった林檎の枝に、白く雪がかかっている。これ以上ないほどの美しい。地面もみんな白く染まってて、タンポポだのそういうかわいい花は全部雪の下に埋まっている。
 本当に何もないんだ。そこだけ世界の終りのようだ。生きているものは、雪と私だけなんじゃないかと思うくらい、静かで、音は全部雪に吸われて消えて行ってしまう。とても死の世界が近くにある。灰色の雲から新しく雪がどんどん降ってきて、私の肩や頭にも積もって、耳が冷たくて呼吸するたびに肺が鳴る。本当になにもないところだった。喜びとか、命とかそういうものがないようだった。私は好きだった。

 新雪の上に鼻血を垂らしてしまったことがあったよ。たしか雪合戦の球が丁度鼻にぶつかって、その球がまたこれでもかというほどに固められていたから私は思いっきり鼻面を雪の球で打たれて、あっと思った瞬間には遅かった。鼻の中を生暖かい液体が伝ってくる嫌な感じがして、ぽたぽたとあっという間に三個、白い雪の上に血が滲んでいった。
血があまりにも赤くて、雪があまりにも白くて、そして自分から流れて出た血は湯気が立っていたのが気持ち悪いと思った。血は美しい形で雪の上に跡を残した。自分の手足は冷え切っているのに、身体の中だけはこんなに熱いんだ。そのとき、私は自分も周りの人間も急に恐ろしくなったことを覚えている。
 恐ろしく、不気味で、でも美しかった。本当に。なにか汚してはいけないものを汚してしまった罪悪感みたいなもの、初めてそこで知ったように思う。
 そして、採血するたびに自分の血の色のことを思った。雪の上に降ったような鮮烈な赤さではなく、身体の奥深くにはこんな赤黒い血が流れているんだと思って、そのたびなんだか嫌な気持ちだった。私の身体の血を全部抜いて、あのきれいな赤い色で満たせていたらよかったのになと。

 越えられない山があったんだ。峰が白く染まり始めると里にも雪が降る。そういう目印の山があって。子どもの頃の私はその山は越えてはいけないもので、恐れとか憧れとかそんな感傷をさしはさむ余地もなく、ただの境界線だった。
 でも大人になったら、その山を簡単に越してきてしまった(正確に言うと、新幹線でね)。ここで彼女は少し笑った。自嘲的な、鬱屈した、ひねくれたような笑い方だった。
 ああ、越えてしまえるなんて思ってすらいなかったのにな、と彼女は言った。

 雪国に戻る気はないの、と私が聞くと、彼女は今のところはないよと答えた。彼女は荷造りをしていた。荷造りをしていたと言ってもパジャマも歯ブラシもシャンプーも私の家のやつだから、彼女の持ち物はあの日新宿で出会ったときの恰好そのままで、小さな鞄一つ持つだけの簡単なものだった。
 死ぬときはどうするの、最後私は彼女に聞いた。
 「死ぬときは。――死ぬときは雪国に帰るよ。私はいろんなことがあって無職で貯金もないし、家族はいるけど金の無心をするような親不孝者だし、明日の保証もなんにもない人間なわけ。だけどせめて死ぬときくらいはあの雪の上で力尽きていたい。焼かれて灰になってしまうよりいいような気がする。清潔で。山にはカラスとか動物もたくさんいるけど、そいつらが食べればまたあの白い雪の上に赤いまだらの花が咲いて、湯気が立って、それも凍って、春になる前にすべて消えていてほしいというのが私の願い」
 「これからどこに行くの?」と私が聞くと、彼女は黙ってわからないというように首を振った。
 「私はいつか、その裸の林檎の木に積もる雪を見に行こうかな」と言うと、彼女は鞄からペンとメモ帳を取り出して、自分の実家への行き方を丁寧に書いてくれた。思ったよりも整った字だった。
 準備が終わって彼女が私の家のドアノブを回すとき、「そういえばなんて呼べばよかった?」と聞いた。彼女は振り返って少し考えてから「ぼたん」と言った。
 「じゃあ、あなたのことなんて呼べばいい」と逆に聞かれたので、私は私の本名を名乗った。「みゆき」
 ぼたんは少し考えたあと、自嘲的でも何でもなく、ただ純粋に小さく笑った。
 「いつか来なよ。――きっと美しいから、みゆき」

 それじゃありがとう、となんの感慨も名残惜しさも残さずぼたんはドアの向こうに消えていった。ふと窓の外を見るとまだ雪は降り続いていて、私は慌てて傘を持ってぼたんの跡を追おうと外を見たが、そこにはもうぼたんの姿はなかった。そういえば彼女の脚は長かった。走るのに長けていそうな。

 一人になった部屋で考える。ぼたんのこれからのこととか私のこれからのこととか考えても仕方ないことを。さらさらと降り続ける雪をぼたんも見ているはずで、明日の朝になれば積もった雪は水交じりの泥になって、車がそれを跳ね上げる。テレビは同じ言葉を繰り返していた。「東京都でも雪は続くようです。明日の降雪確率は50%。傘が必須の天気となります。」明日になればどうせ消えてしまうのになぜ、今雪は降らなければいけないのかなと私は考えていた。答えはいつまでもわからなかった。

sketch 32

高いビルの上についているあの、赤い色のランプが好きだ。
夜の中で明滅する赤い光。

33歳の知り合いのお父様が亡くなられたそうな。
時間は待ってはくれない。生きている意味を感じなければ、どうやって生きていっていいのかわからない
傍にいたかった。
でもそれはできなかった。

光について Ⅱ

結局ぼくたちが光について言えることなんていくつあるのだろう。
「君はぼくの光だ。」なんていう、ただ恥ずかしいだけでもはや古代のものとなった定型文を、最初に考えついた人間にノーベル文学賞のひとつでもくれてやりたい気持ちになる。そうしてそんな言葉を簡単に使うやつらを全員裁いてやりたい。もうこの言葉は余りに使い古されすぎた。言おうと思えばいくらでも、誰にだって言える。

光について考えることは、愛について考えるのに似ている。

光はいつもそこにある。ただある。それが何なのかぼくたちは一つも考えない。朝になれば自然と世界には光があふれ、夜はまぶしいライトの下でいつまでも眠らない。愛もそうだ。自然といつでもそこにある。でも実体はない。かたちもない。それをつかまえることはできない。ぼくたちがそれをつかまえようとすれば、それはいつでも指の間をすり抜けていく。でも確かにここにはある。なくなっちまえと思ってもたしかにここにはある。夜のうちにも太陽がどこかで照っているように、星が燃えているように。

ぼくは本当に君の夢を見た。
たくさんの光の中で君が笑っている夢を見た。
その夢を見たあとで、ぼくはずいぶん長い間たくさん泣いた。なぜならそれは確かに純粋に夢で、現実ではなかった。ぼくは現実で君がそんな風に笑っているのをみたことはなかったし、現実で君をそんな風に笑わせてあげることはできなかった。

光について考えることは、君について考えるのに似ている。

報われない愛をきっかけに地球が全部爆発して消えてしまうとしても、固い愛の結び目をほどくためにぼくはここにいた。
どんなに厳しい夜が来ようとも、ぼくがじっと留まっていても、閉ざしたカーテンの向こうにはやがて新しい朝が来てそこにはまた新しい光があふれ、人々はそれぞれどこかに向かう。
ぼくはそれにとても救われるし、とても傷つけられる。
どんなに固く閉ざした悲しみのなかにも、少しの隙間があれば光は浸食して、やがてそれをきれいさっぱり癒してしまう。
ぼくはそれにとても救われるし、とても傷つけられる。
ぼくは光から逃げることができない。実体もない、かたちもない、つかまえることができない、だからぼくはどこまで行っても光からのがれることはできない。どんなに悲しいことがあっても、君がいなくなってしまっても、たくさんのものを失ってそれが二度ともどってこないとしても、ぼくは光だけは失うことができない。

光とはいったいなんなんだろう?
結局のところぼくにはわからない。ぼくが光について言えることはそれだけだ。

新世界より

世界は一つしかない。世界はたくさんある。
多元宇宙とかそういう科学的な話ではなく、主観の話。
私の世界は私にとって一つしかない。私の見ている・感じている世界は一つだけなんだけど、
他の人にもこれは言える。なぜなら私はその人とは違う個体だから、その人の見ている「世界」を共有することができない。
え?でも世界って共通認識できる現実としてそこにあるじゃん?
というのとはまた別の話で、認識できる世界の周りに人それぞれの世界観が膜を張っている言えばわかりやすいだろうか。
そう、私の世界はシャボン玉の膜で、つつけばもろく崩れる結構弱いものなのだ。だから簡単に、知らない間に他人の世界観に生きることにもなってしまう。
世間ではそれを「大人になる」と呼んでいる。
それ自体悪いことなんかじゃなくて、脈々と続く命の連なりを考えればむしろ歓迎すべきことだ。家には家の「世界」がある。その中で過ごすことは、人間がこれからも生きていくことに多分多大な貢献をしている。

トンネルを抜けると雪国だということはわかっていた。
だから別段驚きもしなかったけど、いつみても家の屋根がそろって真っ白、というのは美しい光景だと思う。
冬の日はもう低く柔らかく家々を照らしている。山の雪と、屋根の雪と、夕日に照らされた家の壁。あっという間に後ろへ通り過ぎてしまう景色を私はとても好きだった。

真冬の夜空、ベランダに出て上を見上げると、私をめがけて雪が降ってくる。私は雪に吸い込まれていくような感じがする。さらさら、と雪と雪がぶつかり合う音がして、それ以外は全くの無音だ。寒くて仕方ない。呼吸するたび耳が痛くなる。
でも息を吸うと冷たくて透明な空気が肺を満たして気持ちがよかった。

多分創世記は神様だからできたのであって、人間である私がそれをするのは非常な困難をともなうだろう。
現に28歳になっても、欠片すらつくれてはいない。
でも私は結構マジで創世記を行わなければいけない。何故ならそうしないと、生きていけないからだ。
物語を作るということは、生きていくということの芯にとっても近い。
だからこそマグダラちゃんは物語を作り、それを人に届けている。それはだれかのなにかのためではなく、全く個人的な行為で、マグダラちゃん自身のための行為だ。
実際マグダラちゃんが港区のキレーなクリニックかなんかで受付をやっている普通の社会人だとしてもそれはいい。
マグダラちゃんの物語が重要なのだ。星にAIを増やした結果人類は衰退し、愛する人の死から立ち直れないまま自分の脳をAIに移して永遠の命を手に入れる。そしてその星で一人ぼっちになってもずっと生きながらえているというマグダラちゃんの作った世界。
世界の物語が重要なのであって、そこにマグダラちゃんの生が刻み込まれている。
何億個もある銀河系の内、太陽を中心に回る地球という星にその呼びかけが天文学的確率で届き、それを聞いた人々がパズルをするようにマグダラちゃんの物語のピースを埋めていく。
マグダラちゃんのためだけの世界は、私の世界と重なり合って、そこに微妙に違う色彩が流れる。
完全な理解などというものはない。

重要なのは、世界を作ることなのだ。何度も言うけど。
だから私も私の創成期をしないといけない。一からきちんと、世界を立て直さないと、他人の作った世界の中で生きてしまうことになる。
大変にむずかしいことで、結構私は積み木を積んだ傍から足を引っかけて倒していっているが、もう少し、あと少しは考えたい。
その目に見つめられると、少し怖い。
もし私が死んだら、この目をあげよう。どんな風に見えるんだろう。
すこしでも美しい世界であることを望んでいる。君が気に入る世界だとなおいい。

sketch 31

正月でした。あけおめ今年もよろしくお願いいたします。
なんつーか、年末ぐっちゃぐちゃだったんですが、実家で食べては寝て食べては寝てを繰り返しているうちに、多少元気になりました。

父には働くということについて、説教をされたけどそれは全く間違っておらず、
「お前はいつまでも夢の世界にいる」と言われました。

対する私は夢の世界の住人であることを自覚しつつ、なぜそれがいけないのかわかりません。
多分世界に一人くらいは、夢の中の住人でもいいんじゃないかなと思うんです。
それは多分親心を考えりゃ随分通じない話だし、それもわかるんだけど
私は夢を見ながら必要最低限の生活費を稼ぐ役をやります。

人生は舞台だとシェイクスピアは言った

初詣に行った先、父は何をそんなに一生懸命祈っていたの?と聞くと、
「世界平和」を祈っていたと言っていて、
自分の願い事が叶うには、世界や人類が幸せでなければいけないから、とのことでした。
私は毎年、「こんなことができるように頑張りますので、見守っていてください」という願い方をするんですが、
今年は私利私欲に走って「あれがほしーい!」「あれがやりたーい!」「あの子がほしーい!」と願ってきました。
たまにはいいよねと思いました。。。笑

まあそんなこんなで3が日が過ぎました。
私は……私は……こんなでいいのか28歳!?そんな気もしていますが、今年も元気に頑張ろう。
夜中、さらさらと雪の降る音がして、空からは白いふわふわが音もなく降ってきてとてもきれいだった。
朝になると町は一面真っ白で、冬は美しい光景でした。
ベランダの手すりに積もっていく雪を見ながら、
もう戻らないこと、取り返しのつかないこと、悲しい淋しい苦しいこと、全部、
もうすこし明るく受け止められるようになりたいと思いました。
心の中に雪が降って、ずっと降りやまない。しんしん、しんしんと降ってどんどん冷たいのが積もっていく
春が来れば雪が解けるみたいに、それがちゃんと解けるといいと思う

Camellia

  1

朋が首を切ったとき、翠はほかの男のことを考えていた。
朋は頸動脈をカミソリで深く切り、身体の奥深い場所にある血はどれだけ赤黒いのか、翠に教えてくれた。
朋は翠が好きだったから、翠が他の男のことを考えているのも知っていた。だから頸動脈を切ってしまった。翠はほかの男を真直ぐに見つめ続けながら、朋と付き合っていたのはたしかだった。最低だった。でも朋をその男の代わりにしたことは一度もなかった。

翠は自分の頸動脈をさぐりあてて指でその形を確かめてみた。
そこには確かにどくどくと血液が力強く流れており、ここに刃を突き立てた朋はどれだけの恐ろしさと絶望感を持っていたのだろうか、そう翠は考えた。
だけど緑がほかの男を一途に追いかけていたのは確かだ。それでも恋人になろうと言ったのもたしかだ。忘れる努力をしたのもたしかなことだった。翠は罪だと思ったが、そのために自分が死のうと思わなかった。どうしても思えなかった。
生き続けることで贖うなんてことも考えたりしなかったし、死ぬことで何かがなかったことになるとも思わなかった。
その代わり、翠は呪いにかかってしまった。眠らなければいけない呪いだった。

彼女はとにかく部屋でよく眠っていた。起きている時間よりも眠っている時間の方が長いのではないか?と思うくらい、眠り続けた。眠らなければ正気を保つことができなかったのだ。
眠り姫など美しい形容詞はとっくの昔に、医療費のレシートと一緒に燃えるゴミに出していた。王子様もやってはこない、孤独な眠りだけをゆるやかに続けていた。
翠はもうすっかり、重度の睡眠薬中毒者だったのだ。
睡眠薬を手に入れるなら三つ四つ隣の内科にも心療内科にも行った。とにかくあらゆる手段をもって睡眠導入剤を手に入れた。医師の中にはもちろん、多く出してくれない人も、処方自体を断られることもあった。だけど翠にはもうそれしかのこっていなかったので、次の病院へ向かった。
その行為が自分を疲弊させていることはわかる。もう飲みたくない、と心の中でいくら叫んでも、現実、目の前であの暗くて妙に赤い血が流れた事実を変えることはできなかった。夢も見ない安寧な眠りが翠の唯一心休まる瞬間だった。
月曜日、150錠の薬の殻がゴミ箱に放り投げられているのを見て、翠の心臓はいつだって爆発しそうになる。
なんということをしてしまったのかと、自責の念に駆られる。
これじゃまるで、ゆるやかな自殺じゃないか、と。

  2

家に帰ると、翠が玄関のドアの前で倒れていた。どのくらい倒れていたのか知らない。時刻は午後6時ちょっと前。
ご近所さんの誰にも見られていなくれよかった、と思った。
とりあえず立たせようと持ち上げた腕は氷のように冷たかった。そのころもう翠の意識は混濁していて、目の焦点も会っていなかった。引っ張る形で家にあげたものの、家の中にある机の角とか洗濯ものとかに足をとられてすぐ転んだ。
その転び方が尋常じゃなく、まったく受け身を取らないままそのまま前に倒れる。
「こういうの、もういい加減にしてほしい」
そう翠に伝えてみたものの、曖昧な返事しか返ってこなかったので、諦めた。風呂に入れようと思って服を脱がすと抵抗はされず、裸の上半身が蛍光灯の光を受けてキラキラしていた。お世辞にも大きいとは言えない乳房の産毛が光る。あばら浮きまくっていよいよやばいんじゃないかと思うけど、俺は翠になにもしないと決めていた。同調するのは簡単だし、慰めてやるのも簡単だった。でも世の中のつらいことを全部背負って立っているみたいに見える、翠の態度が気に入らなかった。
風呂に入れてパジャマに着替えさせると、翠はポーチからまた薬を出して飲む。ぷちん、ぷちん、ぷちんと取り外された薬は翠の胃の中でゆっくりと溶けて蝕んで壊していく。
何も言わずにこのままベッドで寝てしまうだろう。何錠かの薬を一気に嚥下して、翠はようやく俺の顔を見た。
「怒ってる」
「怒ってるよ」
「ごめんなさい」

ただそれだけの会話の後、翠は「助けてほしい」とつぶやいて、眠りに落ちた。
助け方なんてわからなかった。何をしていいのかわからなかった。寂しい人間が二人、出会ってももうなにもすることなんてない。救ったり救われたりっていうのはもう翠の問題で俺のものじゃない。
助けられるのは俺じゃあない。 翠は俺を好きだというが、翠が俺を楽しませようとしてくれたことなんて一度もない。翠が俺のためにしてくれたことなんてなにもない。
それでも、人のベッドを占領して眠る翠の寝顔を見れば、苦しくなって涙が出るのも確かだ。
遠ざける術ならいくらでも持っている。傷つける言葉も簡単に吐ける。翠のその死をも厭わない戦いの傷跡が、どうしても痛くて、痛くて、俺のものじゃないのに痛くてたまらない。こうやってあっても、俺たちには話すべき言葉なんてものはない。共有できる痛みもない。むしろ翠はもっと傷ついてさらに眠りを必要とするだけなのに、翠はそれでも側で眠りたいと言う。そばにいると不安じゃなくなるという。胸の中を抉られるような気持ちで俺はしばらく泣いた。

  3

夢の中で私は彼の首から血が噴き出すところを見た。
実際には見ていない、これは夢だから。スパッと、あるいはザクっと頸動脈の一本が切断され、そこからは間欠泉のように赤黒い血がほとばしる、はずだった。
でも血の代わりに、山茶花の赤い花びらがあふれてきたのだ。
私はそれをとても美しいと思ったと同時に、誰かに許してほしくて、許してほしくて、すがりついて泣いて許しを請いたいという自分に気づいた。
もう一生贖うことはできない。私の命をもってしても。何を差し出しても。
私は泣いてしまうかもしれない、と思った。こんな風に泣く権利なんてないとずっと思っていた。裏切りを重ね続けたのは私だったから。泣きそうだ、という気持ちは吐きそうだ、という気持ちに変わり、思わず口に手を当てると胃の中のものがすべて逆流してくる感覚に襲われた。
だけどそこから溢れてきたのは吐瀉物ではなく、山茶花の赤い花だった。我慢しようとしてもボロボロと溢れてくる。手から零れ落ちて、いくつかの花びらが地面に落ちた。
カンカンカンと線路の警報機が鳴った。遮断機が降りてくる。もう走ったって朋のところには間に合わない。
私は相変わらず山茶花を吐き続け、朋も相変わらず首から山茶花を零していた。
朋はじっと私のことを見ていた。頸動脈から美しく山茶花の花びらを撒き散らしながら、ただ、ただ私をじっと見ていた。
そうしてそこでやっと涙が出た。
もう間に合わなかった。

目が覚めると朝で、私は私のベッドできちんとパジャマに着替えて横になっていた。
ゆっくりと身を起こして見ると、身体からあの赤い花びらが滑り落ちた。枕元は、山茶花で埋まっていた。
だれがどうしてこうなったのか、私は覚えていなかった。
私はしばらく泣いたが、なんのための涙なのかはよくわからなかった。

朋は私を好きだった。私は彼を好きだった。彼は私を好きにはならず、朋は頸動脈を切って、私は呪いにかかった。もう何もかも閉じて永遠に眠り続けたいのに、永遠に眠り続けることはできないという呪いにかかった。
意識があるのが辛いから、心臓が爆発して死んでしまいそうだから、また薬を飲んで眠った。
枕元の山茶花の花びらはそのままにしておいた。なんだか自分の血で満たされているような気がしたのだ。それは海の中にいる気持ちに似ていた。暖かくて柔らかくて、安心する。夢の残骸を引きずって現実に帰ってきてしまった。私は彼の部屋にいたはずだった。
だから私はまたこの夢を夢の中に戻しに行かなければいけないんだけど、このまま、山茶花を吐き続けるのも悪くない選択のような気がした。
よく眠れるような気がしたから。